【代表インタビュー】なぜCRM・Salesforce?誰しもにチャンスがあり活躍できる会社にしたい
代表取締役 日髙 滋
日本でCRM・SFAが広まるのをつぶさに見てきたSalesforceの達人。営業アウトソース会社のコンサル業務の一環で、Salesforceの導入支援を始めたのをきっかけに、サンアンドサンズコンサルティングを設立。大手人材グループの案件を長く手掛け、セールスフォースジャパンからの信頼も厚い。創業時に付いてきたメンバーがみんなステップアップした今、同社の次の時代を担う人材を探している。
新卒入社したテクノロジー関連企業では、どんな仕事を経験しましたか?
私が社会人になったのは1985年。当時は、パソコンがようやく一般発売されたばかりで、1台180万円もする高価な機械でした。コンピュータが未来をつくると予想され、世界中の企業が技術革新にしのぎを削っていた時代です。テクノロジー関連企業も、コンピュータを理解し操れる人材の育成に力を入れており、大量採用を実施していました。大学4年までバスケットボールに心血を注ぎ、ほとんど勉強していなかった私でも、そんな流れの中で入社することができました。
当時のテクノロジー関連企業は、人材育成に本気でした。営業で1年、エンジニアで1年半、研修とOJTを通じて、コンピュータについてゼロから教えてくれる体制が整っていました。ITについて何も知らなかった私ですが、「ITは特殊技能であり、専門家になれる」というイメージに惹かれ、エンジニアの道を選びました。
テクノロジー関連企業では7年間、エンジニアとして勤務しました。業務の中心はシステムデザインで、コードをひたすら書くというよりは、設計と構想に重きを置いた仕事でした。社内で唯一、20代の若さでサブPMのポジションを任される等、順調にキャリアを築くことができました。日本初のオンラインバンキングを構築するプロジェクトではPMを務め、成功に導きました。
テクノロジー関連企業からCRMベンダーに転職した理由は?
テクノロジー関連企業でエンジニアとしてキャリアをスタートしましたが、入社以来ずっと同じメガバンクの案件を担当しており、次第に広がりを感じられなくなりました。もっと外の世界を見たいという思いが強くなり、テクノロジー関連企業を退職してCRMベンダーに転職しました。
そのCRMベンダーは、私が入社した当時はSalesforceよりも製品競争力がありました。実際、Salesforceとコンペになって負けた記憶はありません。テクノロジー関連企業での最後の時期には、エンジニアから営業職へジョブチェンジしており、CRMベンダーでも営業として入社。最終的には国内の営業責任者を務めました。
創業者のトム・シーベルは、強烈なバイタリティとパーソナリティを持つ人物で、CRMベンダーでの仕事は非常にハードでした。ある有名なアメリカの経営者が来日した際、「トム・シーベルの下で3年働いているのは驚きだ!」と言われたほどです。CRMベンダーでの経験を通じて、CRMに関する専門知識を深く蓄えることができました。
その後、アメリカのソフトウェアメーカーを経て、フランスのソフトウェア企業の日本支社長として就任する話が持ち上がりましたが、直前で日本進出が白紙に戻り、私自身も職を失うことに。そんな折、テクノロジー関連企業とCRMベンダー時代の先輩が創業した会社に声をかけてくれ、入社することになりました。
Salesforceとの出会いは、どのような形でしたか?
ソフトウェアメーカーを退職後、テクノロジー関連企業・CRMベンダー時代の先輩が創業した会社に入社しました。そこでは、営業のアウトソーシングをメイン事業として展開しており、単に業務を請け負うのではなく、クライアント企業の営業活動を詳細に分析し、どこを効率化すれば成長に繋がるかをコンサルティングするところから始まる仕事でした。コンサルの結果として、業務を受託するという流れです。
営業活動を分析するには、まず業務の整理が不可欠です。さらに言えば、業務を可視化し、どこでどんな業務が行われているかを明確に把握する必要があります。営業コンサルの現場で私が活用したのが、Salesforceでした。SFA(Sales Force Automation=営業支援システム)として急成長していた時期で、営業活動のデジタル化と分析を支援するツールとして非常に有効でした。
CRM・SFAへのニーズが高まっていたタイミングでもあり、営業業務のアウトソースを発見するためのツールとして導入を始めたSalesforceでしたが、次第に「導入支援だけを依頼される」ケースが増えていきました。そこで、Salesforceの導入・活用支援に特化した会社として「サンアンドサンズコンサルティング」を立ち上げることになりました。
藤沢と鹿児島にオフィスを構えている理由は?
当社を立ち上げるまで、私は外資系企業で働きながら、都心での生活を送っていました。起業に際しては、地方でのんびりと暮らしたいという思いがあり、湘南・藤沢の地を選びました。若い頃にサーフィンを嗜んでいたこともあり、海の近くに住みたいという希望がありました。湘南はサーフィンのメッカでもあり、都心まで1時間かからないアクセスの良さも魅力でした。
鹿児島にオフィスがあるのは、初期メンバーの一人が鹿児島出身だったことがきっかけです。飲み会の席で「地元にITエンジニアの仕事がないのを何とかしたい」と聞いていたことが心に残っていて、ちょうど大口のお客様との取引が順調に進み、エンジニア不足を感じていた当社の状況と合致。鹿児島にエンジニア拠点をつくろうという話が自然と立ち上がりました。オフィスが狭かったこともあり、立ち上げ当初からフルリモートの働き方を選択。鹿児島に住んでいる社員とも、距離を感じることなく一緒に働ける環境を整えました。
社名の「サンアンドサンズ」は、私の名前「日髙」にちなんだ「サン(SUN=太陽)」と、設立時に付いてきてくれた前職時代の仲間達「SONS(息子達)」を繋ぎ合わせたものです。若い人達が活躍できる会社にしたいという思いは、創業当初から変わらず持ち続けており、鹿児島オフィスの設立もその一環です。
今後の人生で、やってみたいことはありますか?
私は今、湘南地域で働き暮らしています。この地域は、全国でも「片親率」が高く、貧困家庭の割合も高いと言われています。経済的な理由で、将来に希望を持てない子供達が少なからずいる現状を目の当たりにし、彼らの夢を支援するNPOを立ち上げたいと考えるようになりました。
医者の家系に生まれた私は、幼い頃から「戦中戦後、お金を取らずに患者さんを診て回った」という話を聞いて育ちました。ボランティア精神が血の中にあるのかもしれません。湘南に住み、地縁が広がる中で、地域の課題に触れ、機会に恵まれない子供達の未来を支える活動をしたいという思いが強くなりました。
私自身、大学まで本気でバスケットボールに打ち込んできましたが、膝のけがでそのキャリアを諦めざるを得ませんでした。そんな私にチャンスをくれたのがテクノロジー関連企業でした。バスケばかりやっていた私に、社会人としての道を開いてくれた企業があったからこそ、今の自分があります。だからこそ、同じように「チャンスさえあれば未来を切り開ける」子供達に、機会を届けたいと思っています。