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早稲田大学卒業後、2022年4月に新卒で入社し、コミュニティマネージャーとなった中野悠雅さん。入社後約3ヶ月が経った現在は、新規事業立ち上げの責任者を務めている。
「自然で自由な表現を受け入れてくれる会社」を軸に就活を進めていた彼がTYPICAを選んだ決め手とは。幼い頃より周囲から浮きがちで、社会への適応と自己表現の狭間で揺れ動いてきた彼の現在地とは。(文中敬称略)
◆ 就活にスーツはいらない
2021年3月。これから本格化する就職活動を前に、中野は「自然体で臨む」というポリシーを決めていた。
それを体現した出で立ちは、「寝起き丸出しのボサボサの髪に、おしゃれメガネのパジャマ姿」。一般的には、近所のコンビニに行くことすらためらう格好だろう。しかしそれこそが、中野が社会で生きていくために選んだ“正装”だった。
中野の自然体スタイルは、面接でも遺憾なく発揮されていた。「弊社は第一志望ですか?」と問われれば「んー、第四くらいですかね」と答える。「挫折経験はありますか?」と問われれば「そんなに大きいのはないですね。そんなのがあったら死んでますよ」と応じる。
挑発とも反抗ともとれる態度を示す“生意気”な就活生を好ましく思った面接官は、一人もいなかっただろう。だが、他の就活生や面接官から白い目で見られることは織り込み済みだった。それでも自分の流儀を貫く中野の胸には、こんな自分を受け入れてくれる会社はゼロではないはずだという希望的観測が宿っていた。
そうはいっても、30社ほど連続で「不採用」が続くと、さすがに方針を変えざるを得なくなった。考えを改めた中野は、遅まきながらリクルートスーツを購入した。
5月になり、まわりの友人は皆、すでに内定先を確保していた。中野は、しかるべき“就活生”像をなぞるかのように、動画などで攻略法を学び、面接対策を練った。それが功を奏したのか、1社、2社と内定先を獲得していった。
だが、手に入った安堵感とは裏腹に、中野の心は晴れなかった。飾った自分を評価してくれた会社に入社しても、いずれ必ず行き詰まるときが訪れるだろう。そう思い直し、再びパジャマスタイルに戻そうとしていた矢先で出会ったのがTYPICAだった。
ジャケットで決めて臨んだ一次のオンライン面接で、担当者から『暑くない? 脱いでいいよ』と声をかけられたとき、中野はすでに心をつかまれていた。『自然体でいいよ』というメッセージを受け取った中野のなかには、ようやく探していた場所が見つかったという感覚が芽生えていた。
共同代表・山田との三次(最終)面接でも、中野は自分を飾らなかった。「普段コーヒーは飲みますか?」と訊かれた際は、「業務スーパーの安いインスタントを飲んでいます」と正直に告白した。スペシャルティコーヒーを扱う会社の面接にはふさわしくない0点の回答だが、画面の向こうで山田は爆笑していた。
「そのときも自分が受け入れられた気がして心地よかったんです。ただ、手応えはあまりなかったので、採用通知が来たときは驚きましたね」
入社後約3ヶ月が経った今、「TYPICAが大好きになっている」という中野だが、このインタビューを受けることには躊躇いを感じていた。自分がまだ何も成し遂げていないという理由の他に、記事を出すことがTYPICAにとって必ずしも得策ではないと考えていたからだ。
「僕や(同じく新卒で入社した)森川さんの記事があることで、そこに示されている“正解”に寄せようという意識が就活生の中で働き、自然体でいられないんじゃないかと懸念したんです。というのも、『自然体で臨む方がいい結果を招く』と身をもって感じた僕自身、自分を曲げなくてよかったと思っているからです」
◆ 適応なんかしなくていい
「自己表現」や「自然体」。それは、中野が物心がついた頃から常に人生の中心にあるテーマだった。中野自身に記憶はないが、幼稚園時代、他の子どもが静かに行儀よく座っているなかで泣き叫んだり、自由気ままに振る舞ったりしていたのだ。周囲から「独特やな」「変やな」と評されるキャラクターは、すでに芽吹いていた。
だからといって、まわりと断絶するほど自分の世界に没頭するような人間でもなかった。小学1年、中学1年、高校1年……。新しい環境に変わったタイミングでは必ず、「適応モード」が無意識のうちに発動していたのだ。
「でも、毎回結果は同じ。頑張って適応しようとするけれど、どこかで必ず我慢の限界がやってくる。そして、飾るのは面倒だから自然体でいこう、と吹っ切れるんです。そんな現実から逃げるのではなく、強みとして活かそうとずっともがいてきた感覚はありますね。
実際、TYPICAでも同じような状態に陥り、悶々としていた時期があります。そんなとき、『そもそも適応する必要あるの? むしろ適応したらダメだよ』と後藤さんから言われて肩の荷が下りたんです」
自然体になって創造性を解放した方がよい結果を生むことを、中野は自身の経験から教わってきた。そのひとつが大学時代。企業の新商品を考えるワークショップで、300人の中からグランプリに選ばれたのだ。
中野が考案したのは、タイマーを設定した時間になれば部屋中にフレグランスと化粧水を噴射する目覚まし時計だ。「よい香りに包まれながら顔を保湿できて、快適な朝を迎えられる」という突飛な発想が、企業の担当者から評価されたのだ。その創造性は、今も健在だ。
「今、考えている新規事業のコンセプトは後藤さんや山田さんに評価されて自信になりました。ただ、アイデアを具現化させていくことは苦手なので、格闘しているところです。
もともと論理的な思考がすごく苦手で、0-100の比率と言ってもいいくらい、感覚を優先するタイプ。仕事でも理論立てて説明することが求められる場面はあるので、鍛えなければと思っていますが、ロジックによって創造性の幅が狭まってしまうことを避けたいんです」
◆ 人に評価されない表現に価値はない
「よくも悪くも集団内では目立つ存在だった」という中野だが、学校でもプライベートでもひとりで過ごす時間が好きだった。あるときは詩を書き、あるときは哲学書を読みながら生と死について思考を深める。またあるときは窓から通行人を眺めて、その人の人生模様に思いを馳せる……。そういった時間に充足感を覚える中野の心に、他者は介在していなかった。
そんな中野に転機が訪れたのは、高校1年生のとき。数学の授業中にこっそり詩を書いていたところを教師に見つかり、クラスメイトの前で読み上げられたのだ。穴があったら入りたいような気持ちになったのも束の間、周囲から返ってきたのは「おー」「すげぇ」という感嘆の声だった。
その一件を境に、目に映る世界が広がった中野は、人前で自分を表現する手段としてダンスに挑戦することを決めた。ジャニーズ事務所に自ら履歴書を送り、最終面接までこぎ着けたが、通っていた高校は自分の意志で選んだ厳しい進学校である。3年間、朝から夕方まで、学校にこもりきりで勉強するような環境では、ダンスに費やす時間を確保できず、やむなく辞退した。
生まれ育った大阪を離れ、早稲田大学に入学後は、ビジネスコンテストのプレゼンに自分の意思で出場したり、立候補してゼミ長を務めたり。その傍ら、本気の人たちが通う韓国系のダンススクールに入会し、ダンスのスキルを磨いていった。
「どれも何か明確な目的があったわけではなく、その時々の感覚に従ってやったことです。僕がそういう生き方を大事にしているのは、後悔なく心地よく死にたいから。一つひとつの選択に計画性はないから儚い感じがするけれど、儚いものを大事にしていたら、結果的に大きいものが生まれる気はしていますね」
◆ 周囲との調和は大前提
集団への適応を苦手としていた中野だが、友人がいない孤独な学生生活を送っていたわけではない。クラスで浮いていた一方で、いわゆる陽キャグループともノリを合わせる術を身につけていた。自分を出すことと周囲に合わせること。その狭間で揺れ動きながら、最適解を探し続ける日々だった。
「アイツは自己主張の強い目立ちたがり屋だと、まわりから煙たがられたり、疎ましがられたりするような行動や発言は避けるようにしていました。当時からずっと思っているのは、自己表現がうまいのと自己主張が強いのは紙一重だということ。常に客観的な視点を持ちながら、まわりの人や場の雰囲気、文脈をもとに自分を出すタイミングを探ることが習慣化しているんです。
僕は自己表現をしたいといっても、芸術家として生きたいわけではありません。いくら自分が満足できる表現をしても、人に価値を見出してもらえなければ意味がない。そのチューニング力をもっと磨いて、まわりにいい影響を与えられるのがベストだなと思っています。
結局、自分ひとりで生きているわけじゃないですからね。そのことへの感謝の気持ちは忘れず、許される範囲内で最大限自分を表現できる環境で過ごしたい。そう望んでいたなかで縁があったのがTYPICAなんです」
中野は現在、生産者やロースターと生活者をつなげるための新規事業を創造している。コーヒーに適正な対価を支払うことに対する生活者の理解が醸成されていない。その問題意識が、中野をつき動かす原動力になっている。
「僕が担当している大阪は特に、喫茶店文化が根強く、苦くてパンチのあるコーヒーが支持されているエリアです。親世代の店主が『この地域ではあんまりスペシャルティコーヒーは出ないから』『うちは焙煎量が少ないから、今回はTYPICAさんで買えないよ』と嘆く姿を見るにつけ、自分が何とかしたいという思いが膨らんできたんです」
自分の欲求を満たす自己表現と、誰かの願いを叶える自己表現。その両者ではくぐり抜ける視点や感覚、思考は大きく異なる。調和を大前提とする中野に、TYPICAは“ダイナミックな世界で生きている自分”を自覚させたのだ。
「コーヒーがどこから来ているのか、生産者がどういう思い、どういう苦しみや喜びを味わいながらコーヒーをつくっているのか……。それを知ればきっと、生活者の行動も変わっていくはずです。僕の目標は、TYPICAという大舞台を借りて、コーヒーに対する生活者の意識を変えていくこと。
抜本的に変えなければならないコーヒー業界の課題を解決するために、TYPICAのすばらしい世界観を伝える。そんな場づくりができるのは、全国の新卒採用者数万人の中でも僕だけだと思うんです。マーケットに革新をもたらす旋風を起こした仕掛け人が、新卒だったらおもしろいじゃないですか」
写真:Misa Shinshi