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2016年にオランダ・アムステルダムに移住し、オランダ・ベルギーを中心とした個人ガイドやオランダ弁護士事務所のジャパンデスク(相談窓口)の仕事を経験。コロナ禍による収入減が生活を直撃していたなかで、TYPICAと出会い、2021年2月よりメンバーの一員となった西尾真一朗の物語りとは。※文中敬称略
◆ とにかく仕事が欲しかった
「英語が使えてインタビューで通訳できる人、ヨーロッパでフレキシブルに動ける人をTYPICAという会社で探しているみたいだから、やってみない? 真ちゃんにはぴったりだと思うよ」
TYPICA代表の後藤と共通の知人からそう声をかけられたところから、西尾の新しい人生は始まった。
さかのぼること約5年前。日本の商社で営業の仕事を1年ほど務めたのち、オランダに移住し、個人ツアーガイドとして会社を立ち上げたのは2016年12月のことだ。
「コネも金もないけれど、まったく人見知りしない性格だし、これまで培ってきた英語力を活かせる仕事でもある。頭の中に情報を詰め込んで、コミュニケーション力を発揮すれば、何とかなるんじゃないかと思ったんです」
起業後は、一からWebサイトを構築したり、空港の前や観光スポットで名刺を配ったりして、アグレッシブに顧客をつかんでいった。頻繁に更新し、自分の人間性やガイド内容を紹介したブログから仕事につながることが多かったという。
「当初、ガイドはその国の歴史や文化について詳しく語れなければいけないと思っていたけれど、お客さんはそういった情報を得ること以上に何よりも安心して観光したいのだと途中で気づいたことがターニングポイントになりました」
西尾はオランダやベルギーを拠点に、個人の希望を叶える“パーソナルアシスタント”として、打ち合わせや商談の通訳などのビジネスサポートも行うようになる。「スペインに一緒にサッカーを観に行ってほしい」、「イギリスにも連れて行ってくれ」という要望にも応えるなかで、ガイドと客という間柄を超えた密接な人間関係を構築。リピーターを増やしていった。
その後2019年12月には、オランダの弁護士事務所にて弁護士と立ち上げたジャパンデスクとしての仕事もスタート。主にオランダに移住したい、オランダでビジネスをしたい日本人の相談窓口となり、専門家と顧客の橋渡し役を担ってきた。
それなりに順調なオランダ生活に波乱を巻き起こしたのは、2020年春に訪れたコロナ禍だ。ロックダウンによる経済活動の停滞は、観光分野の仕事を生活の糧とする西尾を直撃した。入国制限が行われたために、弁護士事務所の仕事でさえも途絶えてしまったのだ。
収入を得る術を失った西尾は、アムステルダムの役所からサポートインカム(援助金)を受給しながら、新たな仕事を探していた。喉から手が出るほど仕事がほしい。そんなタイミングで出会ったのが、TYPICAだったのだ。
「状況が状況だったので、仕事を選ぶつもりはありませんでした。でもいざ仕事をやり始めると、各ロースターさんの人生や生産者に対する熱い想いを聞いたりするうちに、やりがいのある仕事だと思い始めたんです」
2021年2月に関わり始めた当初、週20時間勤務だった西尾は、徐々にTYPICAの仕事の比重を増やしてきた。近いうち、ヨーロッパ責任者のポジションにつく予定だという。
「ロースターにコンタクトをとる。コーヒーを配送する仕組みを整える。拠点をつくるためにオフィスを探す……。どんどん降ってくるさまざまな業務にできる限り応えていくこともおもしろかったんです。あとはやっぱり、自分を求めてくれている人がいて、自分にもできることがあることがとてもうれしかったですね」
◆ 知らない世界を見てみたい
西尾がオランダに移住した原点は、浪人時代に通った予備校にある。
高校3年間、野球に打ち込んでいた西尾の成績は、同級生のなかで320人中311位。野球部を引退した7月から必死に追い上げたものの、現役での受験には間に合わず、浪人生活に突入。通い始めた予備校で出会った英語教師が、西尾の人生に光をもたらした。
「その先生が中学1年生の英語から丁寧に教えてくれたおかげで、英語が大好きになったんです。もともと脳が空っぽだったからでしょう。文法の仕組みから単語、構文まで、少しずつ進歩していることが実感できるのが、とてもおもしろかったんです。いつの間にか、大学受験レベルの英語の長文を読めるようになっていると気づいて達成感を感じたこともありますね」
英語のおもしろさに魅了された西尾の興味は、英語を使ったコミュニケーションにも広がっていった。大学では英語教員の免許も取得。教育実習に行った際には、ALTの教員と積極的に英語でコミュニケーションをとるなど、外国人の友人を増やしていった。持ち前の人見知りしない強みを存分に発揮し、彼らとニューヨークに旅行に行ったこともある。
その後、西尾が立教大学大学院・異文化コミュニケーション研究科に進学したのも、大学時代に外国人と交流し、考え方や価値観の違いに触れたからだ。修士論文は、カンボジアのシェムリアップで暮らす人々のライフストーリーをテーマに執筆した。
「今まで知らなかったことを知れるので、色んな人の話を聞くのが好き」という西尾にとって、東京が物足りなく感じられるようになるのは時間の問題だった。英語を使いたい、もっといろんな国の人と知り合いたいという願いは、いつかオランダで暮らしたいという志に変わっていった。
「オランダは外国人にとって居心地の良い国。なかでも首都アムステルダムは移民が約50%もいて、多様な文化や価値観が尊重される都市として知られています。そんな場所で20代後半から30代前半までの5年間過ごしてきたことは、僕の人生において大きな意味を持っています。
ここで暮らしていると、まったく価値観が違う人や言語体系が違う人など、いろんな人と出会う機会があるので刺激的です。たとえば、僕は今、ベネズエラ人とイタリア人とルームシェアをしているのですが、クリスマスにベネズエラの伝統料理『ハヤッカス』を食べさせてもらったり、ゲイやレズビアンの友人から、熱い恋愛話やパートナーへの想いを聞いたりと、いつも僕の知らない世界を見せてもらえるんです。
TYPICAの仕事も、それは同じ。ヨーロッパのトップロースターの話を聞けたり、いろんな国のコーヒー生産者と開催するイベントに通訳で入ったりと、毎日が新鮮な驚きや発見にあふれています」
◆ 高い壁に立ち向かっていく
専門的なスキルを持たない状態でも、海外生活を始めようとする西尾は「怖いもの知らず」で「後先考えずに行動している」ようにも見える。
「高い壁を乗り越えようとするのが好きなのかもしれませんね」
西尾の野球歴は、小学校から高校までの10年間。小中学校ではレギュラーとして公式戦にも出場していた西尾は、高校ではどうしても甲子園に出場したいと、野球推薦で入学する選手も多い強豪校に一般受験で入学。静岡県内トップクラスの進学校でもあるその高校に入学するため、中学3年の1年間は毎日約8時間の勉強を自らに課し、合格を勝ち取った。だが喜びのもつかの間、入学早々、西尾は現実を突きつけられていた。
「身体つきも技術も全然違ったし、1年生で140kmの球を投げる人もいた。推薦で入学したチームメイトと自分とのレベルの差に衝撃を受けたんです。それでも2年生の終わり頃までは、どこかで挽回のチャンスがあると夢見て練習に励んでいました」
高校3年になり、監督から『裏方に徹してほしい』と言われたとき、西尾は覚悟を決める。最後の夏はベンチ入りもできず、アルプススタンドで応援したが、「同じ寮で過ごしていた後輩が、僕のバッティンググローブを使ってホームランを打ってくれたのはいい思い出」だという。
結局、チームは地方大会で敗退し、甲子園出場の夢は叶えられなかった。西尾はそこで、「公式戦出場経験が一切ない」3年間の高校野球生活に幕を閉じた。
「終わった瞬間、完全に燃え尽きた感覚がありました。やりきったという気持ちもあったし、何より自分の能力の限界を悟りましたよね。そこで野球に距離を置いて以来、キャッチボールもほとんどしていませんから」
◆ “青春時代”を生き続ける
「当時のことを冷静に振り返れば、自分の実力でレギュラーとして甲子園に出たいと思うこと自体、無謀だったと思います。僕は一浪で日本大学文理学部に進学しましたが、まったく勉強してこなかったのに慶應義塾大学の経済学部を第一志望に据えたところも、まぁ無謀ですよね(笑)。
ただ、無謀を無謀だと感じないところが僕の取り柄なのかもしれません。考えすぎて前に進めないよりも、あまり考えずにとりあえず前に進んだ方がいい結果を生むこともあると思うんです」
西尾は先日、TYPICA代表の後藤から「しんちゃんが今、描いている夢はすぐに叶えられるものでしょ。これから予想をはるかに超える未来を作っていこう」と言われたという。
「これを聞いたとき、彼の描くスケール感に驚き、この会社が僕を大きく成長させてくれる場であることを確信しました。ヨーロッパで生豆流通のプラットフォームを確立することが、僕の直近の目標です。
人生でやりたいこととしては、できるだけアムステルダムに長く住み続けたいですね。何もない状態で飛び込んで、ウーバーイーツのような料理の宅配員やホテルの清掃業などのアルバイトもやりながら何とか生きてきた街。ゼロから友達を作ってきた街。多様な価値観を持つ人たちがお互いを尊重し合う街……。そんな“青春時代”の思い出が詰まったアムステルダムはもう、『第二の故郷』を超えているんです」
真剣に甲子園や慶應義塾大学を目指した10代の頃も、異国の地で新たな目標を見つけた30代の今も、西尾の生き方は変わらない。まだ出会ったことのない「この瞬間」にワクワクする――。そんな“青春”が、西尾の人生を彩り続けるのだろう。(つづく)
文:中道 達也