こんにちは!ENKS代表の玉水です。
今回は、代表インタビューの前編として、私自身のこれまでのキャリアについて、お話しさせていただきます。
ぜひ最後までご覧ください!
プロフィール
1985年10月生まれ、滋賀県出身。
京都産業大学を卒業後、2008年より食品会社に新卒として入社。
営業職として、スーパーや飲食店、ホテル等を中心に、ルート営業+新規開拓に従事。
2009年から通信系のベンチャー企業に転職。
大手通信キャリアの固定回線の販売を行う。
2013年に株式会社MRSに入社。
保険、太陽光、人材紹介、システム販売等、様々な事業の立ち上げに携わり、2023年4月よりグループ会社のエンクスの代表取締役に就任。
これまでのキャリア
ー 「喜ばれて、喜ぶ」。営業の原点
新卒で入社したのは食品会社です。もともと「食べることが好き」という理由で商品開発を志していたのですが、ゼミの先輩から「営業に向いていると思う」と勧められ、職種を変更しました。
入社後は、ルート営業や新規開拓を任され、自分が「美味しい」と思った商品を心から勧めることができる環境に、やりがいを感じていました。
契約が決まったときの嬉しさはもちろんですが、お客さまから「ありがとう!」と直接言っていただけることで、自分の仕事が誰かの役に立っていることを実感できる瞬間が何より嬉しかったです。
ある日、訪問先の飲食店でふと目に留まった日めくりカレンダーに、「喜ばれて、喜ぶ」という言葉が書いてありました。その瞬間、それまで自分の中にあった漠然とした感覚が、言葉として腹落ちしたんです。
今でも「喜ばれて、喜ぶ」という言葉は、私の営業の根幹にあります。
ー 成果が正当に評価される環境を求めて転職
その後、通信系のベンチャー企業に転職し、固定回線の営業を担当しました。
ここでの経験は、かなり壮絶でしたね。ノルマが厳しく、夜遅くの訪問でお客さまから怒鳴られ、名刺を投げられたこともありました。
そのとき感じたのは、「自分は、まだまだ未熟」だということ。
「こんな時間に行かないといけないのは、自分の営業スキルが足りないからだ」
そう考えて、自分のトークを録音して聞き返し、「なぜ上手くいかなかったのか」「なぜ成功したのか」要因を一つひとつ洗い出すようにしました。
振り返りを重ねるうちに、「相手が何を感じていたか」「どう話せば届くか」を考えられるようになり、次第に成果も出せるようになっていきました。
正直、当時はきつかったですが、この経験があるからこそ今の自分があると思っています。
ー0→1の連続。挑戦と失敗の積み重ね
その後、ENKSのグループ会社であるMRSに転職しました。
MRSは、前職の先輩方が3人で立ち上げた会社で、当時はフレッツ光のテレマーケティングを中心に行っており、「訪問営業の部隊を立ち上げたいから来てほしい」と声をかけてもらったのがきっかけです。
ここでは営業だけでなく、新規事業の立ち上げにも関わるようになりました。通信、人材紹介、システム、保険、太陽光…取り組んだ事業は20件以上。しかし、成功したのはそのうちの4〜5件です。
たとえば、商業施設で風船を配って営業した太陽光販売は3か月で撤退。唯一残ったスキルは風船の上手な作り方くらいでした(笑)
一方で、成果につながった事業の一つが、外国人高度人材を対象とした人材紹介です。ベトナム支社と連携し、エンジニアなどの技術人材を日本の製造業に紹介していました。
配属された当時は、キャンセル率が非常に高く、60〜70%に上ることも。そこでまず取り組んだのは、資料の見直しです。現地スタッフの写真や実績、具体的な声を盛り込み、相手の不安を払拭できるようなプレゼン資料に刷新。また、「この会社にはうちの人材は合わない」と感じた場合には、あえて他社をご紹介することもありました。
目の前の数字ではなく、本当に相手にとって最善の選択肢を考える。そのスタンスが伝わったのか、「玉水さんだからお願いした。担当変わらないでくださいね!」と言われたときは、営業をやっていて本当に良かったと思える瞬間でしたね。
ー管理職なんて、自分には向いてないと思っていた
実を言うと、人材紹介までのキャリアは、「営業のプロ」として結果を出すことに注力してきました。マネジメントには興味がなかったし、正直「自分は管理職には向いていない」と思っていたんです。
でも、あるとき異動したのが、赤字続きだったシステム販売部門。
営業体制も整っておらず、人間関係もギスギス。開発と営業の連携もうまくいっておらず、徹夜で営業担当がデバッグ作業…そんな毎日でした。
そんな状況の中、常務から「これからもずっと営業だけをやるのか?」と問いかけられました。
私は「営業を極め、いろんな部署の教育にも関われる存在になりたい」と答えました。すると、常務は「それをやるには、まずマネジメントを経験しないとね」と。
翌日、私はその部署の責任者に任命されました。
ー初めて組織づくりに向き合った経験
そこから、初めて本気で「組織づくり」というものに向き合うようになりました。
当時は、業績が伸び悩んでいただけでなく、メンバー同士の人間関係もぎくしゃくしており、全員が誰かしらに不満を抱えているような状態でした。その中で、まず私が意識したのは、「一人ひとりの話をきちんと聞くこと」。表面的な衝突の裏には、「相手の考えを理解しきれていない」ことが原因であることが多い。だからこそ、対話の中で「こういう考えがあって、こういう背景でやっているんじゃないか」と、相互理解を少しずつ促していきました。
同時に、業務負荷や連携のしづらさなど、現場の環境改善にも注力し、残業や徹夜が常態化していた働き方も見直していきました。
そうした日々の積み重ねの中で、少しずつ人間関係が改善し、やがてメンバー全員の視線が「部署の業績を伸ばすこと」へと向かっていったんです。
特に印象に残っているのは、チーム全員で賞与の目標額を達成したエピソード。
当時の賞与制度は、部署の利益の20%がボーナス原資になる仕組みだったので、まずは、全員に「いくら欲しいか」と聞いてまわりました。
必要な原資を逆算し、それを達成するためにどれだけ売上・利益が必要かを共有。「達成するためには、どうすればいいか」をみんなで考えて、実行に移しました。
その結果、無事目標額を達成。メンバーから「ありがとうございます!」と感謝されたときは、営業成績よりもずっと嬉しかったです。
ー「管理職に向いていない」という思い込みが変わった瞬間
この経験を通じて気づいたのは、「人と人の間に立つこと」「チームで結果を出すこと」は、自分が想像していた以上にやりがいのある仕事だったということ。
赤字だった部署は半年後には黒字に転じ、下半期で約4,000万円の利益を出せるようになりました。徹夜もなくなり、関係性も改善され、8か月連続で目標を達成するチームへと変わっていったんです。
個人の成果に喜びを感じていた自分が、「仲間の成長と成果を一緒に喜ぶこと」に、これほどの充実感を覚えるとは思ってもいませんでした。
ー失敗と挫折も
もちろん、良いことばかりではありませんでした。
連続で目標を達成していたのも束の間、コロナ禍でサービスの販売が難しくなり、業績が低迷してしまったんです。私自身は、部長まで昇格した後に、半年ごとに降格を繰り返し、副課長まで下がりました。
その時は、悔しくて、非常階段でひとり泣いたこともあります。
振り返ると、報連相が足りなかった。仲間との信頼関係を築けていなかった。
「利益も出てるし、大丈夫だろう」と、現場に満足してしまっていたんです。
でも会社にとって、現状維持は衰退と同じです。立ち止まっていたら、置いて行かれてしまっていました。
正直、辞めようかと本気で悩んだ時期もありました。
でも、過去に一緒に頑張ってきた仲間の言葉に救われ、なんとか踏みとどまることができました。
最後までご覧いただき、ありがとうございます!
後編では、ENKSの代表に就任した際のエピソードや、今後のENKSが描く未来についてお話ししておりますので、ぜひそちらもご覧ください。