1
/
5

流れを生み出す、大義のある仕事を。

目立ちたがり屋な性格だと語るのは岡田佳樹。持ち前の前向きさを活かしてハードな環境にも負けない強さを持っています。そんな彼が今感じる大義のある仕事とは。様々な角度で伺ってきました。

岡田佳樹/プロデュース部 プロデューサーEX
2014年4月D2C新卒入社。カケザンという子会社のクリエイティブブティックに出向、転籍し、電通営業局への常駐を経て、2021年にD2CRへ出向。WEBでの企画からイベントやインスタレーションまで、プロデューサーとして奮闘中。最近お絵描きができるようになりました。

<インタビュワー:常世田 拓>


目立ちたがり屋の自分を最大限に活かす「やり切る力」

常:いきなりですが、幼少期はやんちゃだったと伺っています。

岡:やんちゃでしたね。ただ、中高一貫の男子校でのやんちゃなので世に言うやんちゃではなくて、少しおとなしめなやんちゃでした。その当時から目立ちたがり屋なところもありましたね。

常:中学生になる前から目立ちたがり屋でしたか?

岡:そうですね。気づいた時には目立ちたがり屋でした笑
グループのリーダーをやるとか、代表して発表をするとかが好きだったんですよね。
高校生まではクラスの前とかのレベルだったので注目を浴びることを意識していなかったのですが、大学生からそういう注目を意識するようになりました。大学生になってからはより目立つのが好きになっていましたね笑

常:高校までは自然と前に出ていたんですか?笑

岡:本当ただの目立ちたがり屋だったんです笑。
目立っている瞬間が気持ちいいんだと思います。前に出ている時はその瞬間、全員僕のことを見ているわけですよ。たぶんそれが気持ちよかっただろうなと。

常:そこから大学生になり、拍車がかかったんですか?

岡:そうですね。イベントの企画やフリーペーパーの出版をしている団体で、そのフリーペーパーの編集長をしていました。前に出て話すのが楽しかったですし、そこから目立つことの規模が大きくなっていったんですよね。入学説明会に来た新入生1,000人の前で、所属団体の紹介をすることもあったり、そこから拍車がかかりましたかね。

常:1,000人の前!笑 緊張しそうです…

岡:全くしなかったですね。ただただ気持ちいと思っていました。その説明会は大学の手続きなど真面目なお話から始まるので、そもそもおもしろいものではないんですよ。おもしろくないと聞いてくれないので、あえて笑いを取りに行ったりしました笑 
爪痕を残したい気持ちがあったんだと思います。
D-1グランプリ(※社内の漫才コンテスト)に出てた時も同じような気持ちでしたね。きちんと優勝もしました笑

常:D-1でるのはハートが強い証拠ですね笑
では、就職活動についてもお話を聞かせてください。

岡:フリーペーパーは中身の半分以上が広告なので、とっかかりはそこでしたね。紙に下書きとしてレイアウトを書いてから始めるのですが、それが冊子としてできあがった時が一番楽しく思えたんですよね。そこからモノづくりができることを念頭に就職活動をおこなって、広告業界に行き着きました。これは少し僕が尖ってたってだけかもしれないですが、大企業は全く見てなくて笑
広告業界の中でもベンチャーっぽい企業を中心に就職活動はしていましたね。

常:D2Cへの入社の決め手はなにでしたか?

岡:案件の事例について語る先輩の姿を見て、楽しそうだなと思ったことがきっかけでした。フリーペーパーは物理的に届く人にしか届かないけど、デジタルを駆使したコミュニケーション施策の事例を見た時に、デジタルはその垣根がなくもっと広く伝えられることを実感して興味を持ちました。その後OB訪問をしたことが決め手となって、ずっとD2Cが第一志望で、内定をもらったので早めに就職活動を終えました。

常:その当時からプロデュースというお仕事をされたいと思っていたのですか?

岡:当時はプロデュースというより企画という捉え方でしたね。おもしろい企画を案件にしていく、「企画屋さん」というイメージでした。ただ、配属される人数は1人いるかどうかだと入社後に聞いて、「騙された!」とその当時は思いましたけど笑

常:それほど強い気持ちがあったんですね笑
D2Cの話を聞く前から企画をしたい想いはあったんですか?

岡:モノづくりは根本的には企画なのでそれはやりたいとは思っていましたが、デジタルでの企画についてはD2Cの説明会で初めて知りましたね。

常:その部署に入りたいことは直談判していたんですか?

岡:ずっとその部署に入りたいとは伝えてましたね。
配属されなかったら今頃どうなっているかわからないです笑

常:無事に配属されたようで良かったです笑
次の質問ですが、現在の仕事観に繋がっている体験ってありますか?

岡:中高一貫だったので高校受験がなかったんですよ。全然勉強していなかったので偏差値が本当に低くて。高校3年生の時はずっと勉強していました。毎日13時間とかやってましたね。そしたら偏差値がどんどんあがっていっていて、そこから、やり切ることで自分の道が開けるという感覚を掴みました。それは今の仕事にも通ずるなと思ってます。やるときはやるというスタンスでいますね。

全責任を背負う覚悟

常:入社してからの挫折経験を教えて下さい!

岡:当時はその部署に配属される新卒がほとんどいなかったので、そもそも教育方針というものがありませんでした。他の部署では成長するまでの教育フローみたいなものがあると思うんですけど、ほとんどなくて。少し教えたら、あとは自分で這い上がってこいみたいな、百獣の王の育て方のような教え方でした笑

常:ライオンキングみたいな話ですね笑

岡:はい笑 挫折経験で言うと、1年目の10月頃、大きな不動産案件のメイン担当を任せられて。それがその当時の自分にとっては規模のデカすぎる制作案件だったんですよね。配属されてまだ4か月とかで、Webの仕組みもある程度しか理解していない状態での担当でした。当時の部長と制作会社の方にたくさん質問をしながら、本当にハードな期間を過ごしていましたね。2、3ヶ月本当にずっと働いてました。

それでも間に合わないタイミングがきて、部長に相談したんですけどそこからは円滑に事が動き始めました。それまでは、遅くまでオフィスに残って頭を抱えながら「むりむりむり、わかんない」という状況に何度もなりました笑

常:想像するだけで大変そうなのですが笑 心が折れたりはしなかったんですか?

岡:折れてもしょうがないと思ってましたね。やるしかなかったし。どう見ても無理だと思ったら相談をするようにしてはいたので特段問題はなかったです。

常:ギリギリまでは自分でやりきろうと思ってたんですね

岡:そう思ってやってましたね。当時の仕事を通じて、「無知は悪だ」ということに気づかされました。理解していないこと、知らないことが多すぎて、クライアントの要望と制作会社の意見の食い違いもわからず、ただただ時間をかけてしまっていただけでした。

わからないことは徹底的に潰し、制作会社のエンジニアとも直接会話できるレベルまで理解してからじゃないとプロデューサーにはなれないと思いました。なので、それ以降は理解する姿勢を徹底して案件に臨んでいますね。

常:強烈な体験だったからこそ、学べるものも多かったんだと思います。

岡:そうですね。プロデューサーはその仕事の全責任を負う存在だと個人的には思っています。その責任を負う上で、案件の中でわからないことがあってはいけない。細かなソースコードはわからなくても、どういう原理で動いているのかは絶対理解しておかないといけないんですよね。

そのような経験を何年も重ねてきたので、ある程度の仕組みは理解できるようになりました。けど、まだ知らない領域、新しい技術は今も仕事を進めながら学んでいってますね。

培った責任感が一気に開花。デジタルに閉じない総合プロデューサーへ。

常:3年目からは電通に常駐されていたんですね。

岡:営業として、ナショナルクライアントのWeb周りを担当していました。電通のクリエイティブディレクターの方と会議することもありましたし、1人でクライアントのもとへ出向くこともありました。

そして5年目の途中で帰任となりました。電通の師匠となる方と当時のカケザンの社長から、「岡田にはWEBだけじゃなくてもっといろんなことを学ばせたい」というお話をいただきまして。そこからWeb領域以外の仕事が増えましたね。1億円規模のイベントを担当したり、映像をつくったり。紙媒体の提案をしたりするようになりました。

常:関わる領域が一気に広がったと。

岡:自分の引き出しが一気に増えて、大きな進化をしたイメージでした。どんな施策を実行するにしても、中身が入れ替わるだけで、仕事の流れは一緒なんですよね。プロデューサーとして学んでいた「決めて。良いものを作る。」ことは変わらないので、知識をしっかりつければ仕事を進める上では問題ないと思っていました。

常:プロデューサーは仕事の全責任を負うとお話ししていたかと思いますが、プレッシャーも相当だと思います。

岡:任された領域はやらなきゃいけないし、責任が発生するものだと思っているのでプレッシャーと感じたことはないかもしれないです。プレッシャーがそもそも気持ちいいので笑
その仕事をやり切ったら、「よくやったな」と言ってもらえる、それが嬉しいんですよね。

常:緊張されないってお話ししてましたもんね笑

岡:1日だけのイベントにとてつもない予算をかけていた案件があって、そのプロデューサーを担当してた時は「これやらないとやばい。終わる。」の毎日だったんですけど、やばい中でもやり切ったらかっこいいだろうの気持ちが勝っていました笑

流れを生む、大義のある仕事で事例をつくる。

常:今年度の7月よりD2C Rでの業務をスタートされていると思いますが、業務やミッションは以前と変わらず進行されているのでしょうか?

岡:基本は変わらずですね。引き続き現場で業務遂行をしています。プロデューサーとして新たな領域も含めて良い事例をつくれるように動いていますね。

常:岡田さんは将来的にどのようなキャリアを描かれていますか?

岡:それが悩んでるんですよ笑

常:え、悩んでるんですか?

岡:今年30歳になるんですけど、次の目標が40歳になった時の自分なんですよ。40歳でどんな姿になっていたいのかを今考えていますね。

常:40歳…。まだ全然想像ついてないです…。
直近だと考えているものはあるのでしょうか?

岡:ジャンル問わず指名で依頼がくる総合プロデューサーにはなっていたいですね。ただ、それは一個人としてであって、D2C Rという組織の中でどんな価値を発揮していけるのかは別で考えていますね。

自分がハマる場所を見つける動きなのかもしれないし、プロジェクトリーダーになりまくることかもしれない。全体プロデュースができる営業になることかもしれないし、選択肢は色々あるとは思うのですが、40歳、50歳をイメージした時に何を選択していけばよいのかは悩んでますね。

常:なるほど。いずれ僕もぶつかりそうな悩みな気がします。今までのお話を聞いていてのイメージですが、大きな仕事の中でご活躍される方なのかなと感じています。

岡:何か流れを作りたいんですよね。
例えば都市開発への加担とか地方創生とか、まあそれはあくまでも例ですが、何か大きな意義のある仕事のプロデュースをしていきたいんです。

常:社会貢献をしているという手触り感を求めているということですか?

岡:社会貢献というより、実施する意義や影響が大きいことをイメージしています。例えばの話ですが、電通とドコモとD2C Rが新しい事業をはじめるとして、そこのプロデュースを自分が担当できたりするととてもワクワクします。

常:どこか目立ちたがり屋と繋がりそうですね笑

岡:とはいえ、バナー制作も数十文字のライティングも全然やりますし、それも大事だと思ってます。が、いずれにしろ大義ある仕事に関わっていたいですね。やって誇れる仕事を目指していきたいです。

過去でいうとYOYOGI CANDLE 2020のプロジェクションマッピングは大きな意義のある仕事だったと思いますね。(https://kakezan.co.jp/work/yoyogi-candle2020)岡田がプロデューサーとして頭に立ったのは2回目の実施からでしたが。

常:新卒の説明会でもとても目立っている事例です。

岡:あれは数多くの関係者様(30団体くらいですかね・・・)と、全てを並行して交渉しながら、企画やクリエーティブも作りながら、進めているような案件でしたね。そのまま実施するとなると屋外広告条例にひっかかってしまう。特例として認めてもらうために、議員の方にプレゼンをさせていただいたり、東京都や渋谷区の皆様にもご協力いただいたり、警視庁や国土交通省、JR東日本さんや小田急電鉄さんにも、警備面での安全性などを何度もご説明/ご提案したりしました。街の協力も必要だったので町会のみなさんにもご説明するなど、毎日走り回っていましたね。

その結果、多くの人の協力を得ることができて開催することができました。さらにその後、屋外広告条例が改定され、プロジェクションマッピングの特例が記載されたのですが、僕らの案件がひとつの足掛かりになったんじゃないかと思っています。条例が改定されたことで、シティドレッシングの可能性が広がったと思うので、これからもっと面白い事例が増えていくといいですね。
みたいな、あくまで、あくまで、一部個人の感想ですが笑
何か結果を残せるような大義のある仕事を今後もしていきたいなと思いますね。

岡田さんは新卒の先輩でもありますが、ここまで長い時間お話しを聞いたのは初めてでした。目の前の1つ1つに対する覚悟がかなり強く、岡田さんからこそ成し遂げられる仕事がたくさんあるのだと感じることができました。

大義のある仕事をたくさんつくっていきたいと語る野心が今後のD2C Rをより飛躍させてくれると思います。
本日もお読みいただきありがとうございました。

株式会社D2C R's job postings
3 Likes
3 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
Like Taku Tokoyoda's Story
Let Taku Tokoyoda's company know you're interested in their content