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日本人の居ないアメリカ南部に渡った私が、日本で会社を始めたことについて。【代表ストーリー】


宮崎 純子

  • アメリカの大学へ編入したことをきっかけに美術や音楽を学ぶ
  • 新しい環境や未来にも対応するデザイン性と機能性ある製品を伝えたい
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Footwork Trading Corporation, Ark Trading Inc ...
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『なぜ、アメリカに渡った私が、この会社を日本で始めたのか?』

最初は10カ月のみの留学のはずだった私が、アメリカ南部の大学へ入学したのをきっかけに、知らなかった社会、人、文化、歴史を肌で感じ、そこはとても狭い社会だし慣れない言葉を聴きながら、ここに住む人からの情報や感じ方やしぐさまでを敏感に読み取り、日常生活や人との関係がここまで温かなのにクール(個人主義)、でも移民の国は相手を知ることと自分を主張することが両立していて、日常を楽しむことがとても新鮮でした。

伝えることのベースは言葉とビジュアル。

いま多くの情報がありすぎる中で、もう一度基本に返ると、そこにはやはり表現力が大切で、言わなくてもわかるでしょ、ではなくて、言わないとわからないし、でもそれをどうシンプルに伝えるか? それは俳句みたいな世界だなとよく思い参考にもしています。

私たちがセレクトしている製品はどれもシンプル過ぎて、短く説明するのがなかなか難しいのですが、でも出逢ったデザイナーと製品の良さをいかに伝えるのかが私たちの使命。写真の製品はアークトレーディングが最初に日本で紹介した大切な製品、カナダ人デザイナー「ヴェッセル社」の「キャンデラ」と「ルアウ」という充電式ライトです。

いまでこそ充電式ライトなんて当たり前ですが、当時は充電技術を支えるLEDや充電池技術はまだまだ大したことがなく、それでもあえて限られた技術のなかで2人の若いデザイナーは、ロウソクを電子化し、安全ででも雰囲気を壊さず「ほのかで優しい明かり」を作ることに挑戦していました。まだ日本語で「間接照明」という言葉も一般化されておらず、「なんだか暗い照明ですね。これで本が読めるんですか?」なんて避難をうけつつの苦しい営業活動を開始。しかも浦島太郎な私は、日本でのコネも営業方法もわからない(涙)

当時バブルな日本社会の照明はどこも明る過ぎ、大成長をとげアメリカの不動産を買いまくり、アメリカにも日本車が増えて一見眩しいのですが、あえて私は日常をもっと豊かにできるひとときを伝えたいとこの製品を日本に送り込みました。まぁそんなにすぐにうまくはいかなかったのですがね・・・

でもストーリーでは、そんな製品に携わる経験やなぜ私たちがこんな製品を扱っているのかをご紹介できればと思います。



あぁやっとひとつめのストーリーがなんとか書けた・・・(笑)


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