与論島育ち、東大12点差、早稲田蹴って国立へ。目標を見失わず進み続ける新人が語る「日々改善がある環境」の価値
はじめに
「こうやってずっと落ち込んでてもしょうがないなっていうところで、何か行動していかないと。早く早く切り替えて行動していかないと何も意味がないなっていうことに気づいて」
そう語るのは、CyXenに入社して約1ヶ月半の市来洋平。東京生まれながら2歳で鹿児島県最南端の離島・与論島に移住。世界で2位の海の綺麗さを誇る島で育ち、高校では鹿児島本島でサッカーに打ち込み県ベスト4、浪人して東京海洋大学へ(東大受験で12点差、早稲田合格も金銭面で国立を選択)、そしてカナダ留学を経て現在に至る。
「決まったら結構直線的に頑張れる」「目標設定ができたらセンスよく頑張れる」。彼の人生は、常に高い目標を掲げ、挫折しても立ち上がり、次の目標に向かって進み続ける軌跡だ。
初めての社会人経験として選んだベンチャー企業で、彼は何を感じ、どこを目指しているのか。独特の経歴を持つ新人が語る、成長への向き合い方。
世界2位の海と、サッカーと、挫折と
━━ これまでの経歴を教えてください。
生まれは東京で、でも2歳ぐらいに与論島、鹿児島県の与論島というところに移住しました。
━━ 与論島について教えてください。
鹿児島県の最南端の島で、沖縄のすぐ上にあります。周りが海に囲まれた島で、海の綺麗さは日本一で世界で2位っていう受賞結果もあります。映像部門ってやつで世界大会2位でした、っていうぐらいすごい海が綺麗な島になってます。
━━ なぜ2歳で与論島に?
父親の仕事の都合で。父は与論島の出身で、家業を継ぐために与論島に帰ったという感じです。冷凍食品の販売だったりとか、小売業をやってます。店舗を与論島でやってます。
━━ 幼少期はどんな生活をしていたんですか?
中学校修了まで与論島にいたんですけれども、サッカーをずっとやってました。学校の部活も含めて海の隣にサッカー場があったりとか、そういった施設もあるんですけど、その中でサッカーをしながら、サッカー終わったら海にダイブみたいな、そういった自然の中で幼少期を育ちました。
ちなみに冬はないです。15℃ぐらいですかね、二桁後半ぐらい、冬でも。
━━ そこから鹿児島本島の高校に?
本島の高校に通ってました。公立高校でサッカーと勉強もどちらもやってました。寮生活をしてました。
━━ サッカーは強かったんですよね?
そうですね、自分の代は県でベスト4で。鹿児島は結構強豪多いんですけれども、公立では一番強かったっていう感じで。まあ文武両道、結構掲げている高校で、自称進学校みたいな感じです。ポジションはフォワードかサイドハーフでした。レギュラーでした。
━━ 高校時代のサッカーで一番印象的なエピソードは?
最後の大会、出られなかったことですね。最後の大会直前、2週間前ぐらいに腕を骨折しちゃって。大事なところで出られないなと。それがやっぱり印象に残っていて、そこで挫折を経験して。
でもそれをバネに切り替えて勉強頑張ろうっていうふうにはなりました。
東大12点差、早稲田合格、そして選んだ国立の道
━━ その後、浪人して大学受験ですね。
そうです。現役の時は、親とか姉の影響もあって早稲田とかに行きたくて。でも浪人して予備校に行く中で、やっぱり親の金銭的な理由でやっぱ私立行けないっていうふうになって、国立に切り替えて勉強していて。
第一志望、前期は東京大学受けたんですけど。
━━ 東大受験されてたんですね。何点差でしたか?
12点です。
━━ 12点差…惜しかったですね。私立は?
早稲田とかは受かってたんですけど、やっぱり親の金銭面で。で、その後ちょっと自暴自棄になってしまって、後期はもうどこでもいいやってなっちゃって。
でも国立は絶対前提だったんで、東京にはこだわってて。やっぱりいろんなチャンスがある東京がいいなっていうふうに。東京の中でも国立で探してたんですけど、自分、海にゆかりあったんでずっと、海洋大学いいなっていうやつで、海洋大学になりました。
━━ 東京海洋大学では何を?
入ったら船舶訓練校でした。キャンパス2つあって、みんな知ってる方は生物の方、魚くんとかがいるところ、品川キャンパスの方は生物なんですけど、僕が行ってたのが工学部の方で、海事従事者を育てるところでして。
日本に2つしかない大学で、航海士だったりとか機関士、この資格が取れるっていうところの大学だったんですよ。年に1回は絶対に船に乗って、1ヶ月間帰宅せずに船に乗るっていう、結構特殊なところでした。
━━ 大学時代はどう過ごしましたか?
本当に留学したいというのがずっと幼少期から目標としてあったので、そこに向けて勉強頑張って、GPAも保ってたんですけど、コロナが2年目の時に来ちゃって、大学2年の時に。
そこで留学行けないってなった瞬間にもう、あんまり勉強もしなくなって、興味が薄れちゃって。そこからはもう普通に大学生活を送ってた感じです。
━━ その後、カナダ留学に?
はい、そうです。留学、大学4年間で行けなくて卒業してから行こうと思ったんですけど、やっぱり親の支援借りれないってところで、自分でバイトして、そこからカナダ留学1年ぐらい行きました。
めっちゃ楽しかったです。自分、初の海外経験だったので。行くのも初めてってところで、いざ行ってみると文化の違いもあったり、人の違いもあったりとか。違った言語を使って人と触れるっていうのはやっぱ違った世界観ありましたし、すごい楽しかったです。
挫折が教えてくれた「早く切り替える」大切さ
━━ これまでの人生を振り返って、自分の中でのハイライトは?
やっぱり今の境遇にもマッチするところはあるんですけど、挫折を一番感じたところが結構ハイライトになってまして。
高校時代の受験ですね。そこまでずっと成績が良くて、島から出て行って、規模が大きい300、400人ぐらいのところにいて、まあ、なんか勉強せずに優秀な成績を取れちゃった。成績1とか取れちゃうと、なんか天狗になっちゃって。
そこは勉強しなくなって、結局最終的に結果として、一番志望する大学に行けなかったっていうところで、やっぱり挫折があって。そこでマインドも落ち込んでしまって、寮生活だったんですけど、学校に行かないってこともあったぐらい、浪人の時に落ち込んじゃって。
でもそこで転換だったのは、こうやってずっと落ち込んでてもしょうがないなっていうところで、何か行動していかないと。早く早く切り替えて行動していかないと何も意味がないなっていうことに気づいて。
そこからの人生はもう、そういうふうな改善を早くしていく、繰り返すっていう人生になっていて、そこは結構自分のターニングポイントというかハイライトだったかなと思います。
初めての社会人、1ヶ月半で感じた成長環境
━━ 入社して約1ヶ月半、振り返ってみていかがですか?
初の社会人経験っていうのがあって、社会的マナーから、もろもろすごい刺激が多かったんですけど。日々改善があるっていうところが、すごい刺激ですし、新しいことで自分が頑張ろうと思えるところになってますね。
━━ 今の目標設定は何ですか?
今は、長期的に見るとやっぱ売上であったりとか、その先に会社で大事な役割をさせていただいたりとか、そこがゴールになるんですけど。
小さい目標としては、やっぱり日々のアポイントを切らさずに、契約をまずは取るっていうところが今の小さい目標、最短の目標になってます。
━━ いつまでに成果を出したいですか?
11月まで。今月です。
━━ 会社の環境はどうですか?
すごい新しいことに挑戦し続けられるのと、居心地がいいっていうところは、この会社に入ってよかったなと思っているところではあるので。他にはない経験をしたいっていう求職者様に向けてはすごいいい会社だなとは思ってます。
目標設定ができれば、直線的に頑張れる
━━ 求職者に向けてメッセージをお願いします。
この会社しか経験していないからいいも悪いも何とも言えないんですけれども、やっぱりすごい新しいことに挑戦し続けられるのと、会社にいて居心地がいいっていうところは、この会社に入ってよかったなと思っているところではあるので。
そういった経験、他にはない経験をしたいっていう求職者様に向けてはすごいいい会社だなとは思ってます。
━━ 最後に、これからの目標を教えてください。
日本で一番を目指してた大学受験の時のエネルギーとか目標設定を、今度は仕事でするべきだと思ってます。
うちの会社で早く一番になる。次にできたら、この業界で、25歳で、26歳で、27歳で一番ってなんだっけ?とか。自分が納得できる目標を立て続けるっていうのがポイントだと思ってます。
決まったら結構直線的に頑張れる。それが自分の強みだから、その強みを活かして成長していきたいです。
CyXenでは、一緒に「日々改善」を楽しむ仲間を募集しています
世界2位の海を持つ離島から東京へ、東大を目指し、挫折を乗り越え、目標を立て直し続けてきた市来さん。「早く切り替えて行動していかないと何も意味がない」という彼の言葉には、何度も挫折を経験したからこその強さがあります。
「初の社会人経験で、日々改善があるっていうところが、すごい刺激」。目標設定ができれば直線的に頑張れる、そんなあなたを待っています。新しいことに挑戦し続けられる環境、居心地のいい環境が、ここにはあります。
次の目標は「11月までに成果を出す」。そしてその先には「会社で一番」「業界で一番」という高い目標を見据えて。一緒に成長していきませんか?