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僕のサッカー史

どうも!
LiNewの樋口です。

ついに僕の番が来ましたか、、

今回は、普段はあまり話さない「僕のサッカー史」について書いてみようと思います!
テーマはズバリ、挫折の連続です。笑

この記事を書いた理由は2つあります。

①同じような人生を歩んできた方と働きたい!
体育会系出身の方は、うちの会社の雰囲気やノリに合うと思います!
(もちろん、体育会系以外の方もたくさん活躍しています!)

②シンプルに、サッカーやスポーツ好きの方とつながりたい!
もしサッカー好きなら、一緒にイーフトやりましょう!(笑)


サッカーやスポーツが好きな方、体育会出身の方いましたら、
ぜひたくさんお話しましょう🔥

カジュアル面談でも、シンプルにサッカーのお話しでもお待ちしています!


『サッカーを始めたきっかけ』

僕がサッカーを始めたのは小学3年生の時。
地元のサッカーチームや野球チームの体験練習に参加していたのですが、気づけばサッカーを選んでいました。なぜ選んだのかは覚えていません。笑

身長は低かったですが、俊敏性を活かして大柄な相手に必死に挑んでいました。
小5・小6では市内大会で3位になり、県大会に進出!地元の小さなクラブにとっては快挙で、みんなで喜んだことを今でも覚えています。

県大会では初戦で僕がゴールを決め、大雨の中の試合で勝利!そのままの勢いで
ベスト8まで進出しました。

しかし、ベスト4をかけた試合では0-4で敗北。ここで初めて「挫折」という感覚を知ります。「上には上がいる」と痛感し、自分の限界を感じた瞬間でした。
完全に井の中の蛙状態でした、、🐸


『中学での挑戦と挫折』

中学では、さらにレベルの高い環境でプレーしたいと思い、部活動ではなくクラブチームに所属することを選びました。
しかし、そこでもまた挫折の連続。笑

僕のチームは、関東リーグという強豪ぞろいのリーグに所属していました。
浦和レッズや鹿島アントラーズ、三菱養和(今の日本代表でいう、中村選手/ 相馬選手がいたクラブ)といった名門クラブが相手です。
結果は…見事にボコボコにされました。笑
特に三菱養和には0-9で完敗。心が折れそうになる日々でした。

それでも、僕は「考えていても仕方ない!」と持ち前の明るさで自分を奮い立たせ、なんとか精神を保っていました。
振り返ると、この挫折経験のおかげで「開き直る力」が養われたのかもしれません。笑

いいんだか、悪いんだか。笑



『高校での挑戦』

高校進学の際、「全国優勝を狙えるチームに行きたい」と考え、地元の高校と千葉の高校を候補にしました。
最終的には、家から通える地元の高校を選びます。
理由はシンプル。ホームシックが怖かったからです。笑

憧れのユニフォームに袖を通したものの、やはり全国トップレベルの環境は厳しかった…。
僕が入学したてのころ、2個上の先輩には年代別の日本代表が2名いたり、
同い年には全国1位のチームのキャプテンが居たり、、
今思えば相当いい環境だったなと。

1年生の頃は、ただがむしゃらにボールを追いかけていただけでした。

そして迎えた3年生。新人戦でトップチーム候補に選ばれるほど調子が上がっていましたが、ここで股関節の大ケガを負います。全治9か月。

この瞬間、僕の高校サッカー人生はほぼ終わりました。

この時、頭が真っ白になりました。 まさか自分がケガするなんて、、、

めちゃくちゃつらかったです。
サッカー部をやめようか、真剣に考えました。

ただ、今まで一緒に戦ってきたチームメイトを裏切ることはしたくない!という思いから
サッカー部を続けることにしました。

今思えば本当にやめなくてよかった。

自分は出場することはなかったですが、最弱の年だ!と揶揄されていた僕らの代が、
全国で2位になれたことは誇りですね。
※一個下の年が強すぎて、スタメン半分ぐらい一個下のメンバーでしたが。笑
のちに一個下の学年は全国優勝します🔥



        


『大学での再挑戦とまたもや挫折』

高校での悔しさをばねに、
「大学で必ず爆発する!」と意気込んで都内の大学に進学。
ところがまたもや挫折…。

理由は明白。
僕は高校時代、努力をせずセンスだけでサッカーをやってきました。
その姿勢が大学では通用しませんでした。

さらに、大学1年生の時に左ひざの前十字靭帯を損傷。ここでも全治9か月のケガ…。
どんだけケガすんねん。笑
歩くのもままならず、心身ともにボロボロでした。
それでも支えてくれた友人や家族のおかげで、なんとかやり抜くことができました。

振り返ると、毎日泣きながら両親に電話して「サッカー辞めたい」と伝えていました。

本当につらかった。
この先の人生でもここまでつらいことはないんじゃないかな。

同時に初めて東京に出てきたし、ホームシックになっていたのもあるでしょうね。
backnumberの「東京の夕焼け」を聞きながら何度も泣きました笑

そんな中で、同級生が毎日公園で深夜まで語ってくれていたり、相手してくれていたりしたから今の僕がいます。

そして深夜まで語っていた会場の二子玉川公園が僕のホームになりました。笑

大学生で二子玉川に住めたのも両親のおかげですし、
完全にまわりの人に恵まれて / 支えられて生きてきました。
みんなありがとう!

絶対死ぬまで仲良くしたいし、自分を犠牲にしてでも助けたいと思えるようないいやつばかりです。

結果的に実力やケガで大学で試合には絡めなかったものの、一生ものの友情を手に入れました。

なんだかんだサッカーやってきてよかったな。


『サッカーを通して得たもの』

僕のサッカー人生は、ケガと挫折の連続でした。
でも、その中で得られたものもあります。

①「開き直る力」や「続ける大切さ」、そして「友情」です。
サッカーを続けてきたからこそ、一生ものの友情を手に入れることができました。

②メンタルの強さ
何度も挫折し、そのたびに乗り越えてきた経験は今の仕事にも活きています。笑

最後に、、、
もしこの記事を読んで、
「自分もこんな経験がある!」と思った方 / 熱い思いを持っている方 / 
今不完全燃焼の方!がいればぜひLiNewにご連絡ください!

体育会系出身の方や、熱い思いを持った方とお話ししたいです!

そして、イーフトのフレンド申請もお待ちしています。笑

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