群馬県桐生市の山あいに、月に7日だけ開くお店があります。
毎月1日から7日まで。それ以外の日は閉まっています。駅前でもなければ、人通りの多い通りでもありません。それでもその7日間には、遠くから電車を乗り継いで来る人がいます。
株式会社ezu(エズ)は、この店を営む創作ブランドです。デザイナー・岩野久美子が描いた一枚の絵が布になり、その布が服になります。今日は、この会社がどうやって始まり、いまどんなふうに動いているのかをお話しします。
■ 3歳、食堂の座敷から
岩野が生まれたのは、桐生の食堂でした。祖父母と両親、父の妹。家族で切り盛りする、メニューのたくさんある店です。お昼になると近所の会社の人がどっと来て、夕方にはまたどっと来る。休みは週に1日だけ。家族は朝から晩まで働いていました。
保育園に行きたがらなかった幼い岩野の居場所は、その店のお座敷でした。小さなちゃぶ台の上でできることが、遊びのすべてだった。
祖母は、海苔か何かの空き缶に材料を貯めておいてくれたそうです。裏が白い折り込み広告、ティッシュの空き箱、割り箸の袋。捨てられるはずだったものたちを、クミちゃんが使えそうだから、と。
そのなかで岩野がいちばん夢中になったのが、人の絵を描き、服の絵を描いて、紙でつくった人形に自分の描いた服を着せる遊びでした。3歳か4歳のころ。紙でつくった洋服が、ezuの服づくりの起源です。
絵が好きですかと聞くと、岩野はこう答えます。
「絵が好きです、って誰かに言ったことは、たぶん一度もないと思う。ただ、ずっと描いてる。当たり前にあるっていう感じ」
みんな子どものころは絵を描きます。けれど、いつからか描かなくなっていく。岩野は、やめなかった人でした。
■ 欲しい色が、どこにもなかった
中学生になると、貯めたお年玉を握って、電車で遠くの古着屋へ通うようになります。手触りで選び抜いて買った服の素材表示を見ると、コットン、リネン、ヘンプ。決まって天然繊維でした。ezuの素材選びの原点は、このころの手のひらにあります。
買った服はそのまま着ず、丈を切り、袖を落とし、自分の好きなかたちに直してから着る。やがて紙の着せ替え人形は本物の布になり、家にあったミシンで自分の着たい服をつくるようになりました。
「自分が着たいと思う服がないから、自分でつくってる。それを、今でもやってるっていう感じ」
デザイナーになろうと思ったことも、ブランドをつくろうと思ったことも、一度もないそうです。毎日の習慣としてやってきたことが、社会に受け入れられて、仕事として成り立っている。岩野は、ezuの成り立ちをそう捉えています。
ただ、当時の天然素材の布には、色がほとんどありませんでした。白、生成り、黒。あってもネイビーか、運がよければボルドー。色にこだわりの強い岩野が欲しい色は、どの布屋にもなかった。
22歳のとき、手芸屋の床の隅で、ほこりをかぶった染料を見つけます。
「染めてみようかなって思ったの。白い麻の布と染料を買って帰って。やってみたら、超難しい。全然、綺麗に染まらない」
そこから独学の研究が始まりました。インターネットもない時代です。図書館に通い、染色をやっていそうな町の工場を訪ねては見せてもらい、どうしたら綺麗に染まるのかを身につけていく。試しては失敗し、別の方法でまた失敗し、朝まで試作した夜もありました。
欲しいものが売り場にないなら、自分でつくる。以来、染め続けて24年。これまでに生み出した色は、1万色を超えます。
■ 物置き小屋から始まった会社
2009年、自宅の物置き小屋を手作業で改装して、前身となるリップル洋品店が始まりました。布を染めて、切って、縫って、つくる。翌年からは野外のクラフトフェアやオーガニックマルシェに出店するようになります。
2013年に桐生で実店舗をオープン。当初は毎週火曜だけ、2016年からは毎月1日から7日までの7日間だけ開くスタイルになりました。制作の時間を確保するための選択です。集客のセオリーとは真逆ですが、この日数はいまも変わっていません。
15年のあいだ、お客さまからいちばん多くいただいた言葉がありました。
「わたしらしくいられる服」
その言葉に押されるようにして、2024年、ブランド名をezuへ改めました。日本語の「絵図」、絵で描いた地図のことです。一人ひとりが自分らしく歩いていくための地図でありたい。同時に株式会社ezuとして法人化しました。
■ 意味と、論理
経営は2人でやっています。
つくり手である岩野が担うのは「意味」です。一見関わりのないものの奥に、同じものを見つける働き。風景と記憶、素材と感情、誰かの一日と一着の服。まだ誰の目にも見えていないつながりを見つけて、服に、絵に翻訳していきます。
もう一人の創業者である平岡が担うのは「論理」です。岩野が見出した意味を歪めないまま、価格や流通、組織や戦略という社会の言語に置き換え、それを必要としている人のもとへ接続する。ezuではこの役割を「ギャラリスト」と呼んでいます。
意味は、世界を広げます。けれど、意味だけでは形になりません。論理は、世界を形にします。けれど、論理だけでは世界は広がりません。この往復が、ezuという会社の駆動の仕方です。
■ 一着分ずつ、切る
服は、岩野ひとりではつくれません。
裁断を担っているのは、20年近くezuの布を裁ち続けてきた新井さんです。大きな工場では何十枚と重ねて一気に裁つところを、新井さんはカッター一本で、一着分ずつ切っていきます。
天然繊維の布は、化学繊維のように均一ではありません。織りに揺らぎがあり、その年の糸の状態でも表情が変わる。布に通っている地の目を読み、その線に対してまっすぐに型紙を置く。ここがずれていると、完成した瞬間にはわからなくても、長く着るうちに服が歪んできます。とりわけ難しいのが袖ぐりや襟まわりの曲線で、刃の向きを変えながら進むあいだも地の目はずらせません。
その新井さんに、これからどんなものづくりをしたいかと聞くと、答えはぶれませんでした。「間違いないように裁断する。それだけ」。
縫製の津久井さんは、リップル洋品店のころからの縫い手です。長く洋裁の世界にいた方ですが、ezuの仕事についてこう話します。
「久美ちゃんのところって、いろいろ変わったものやるでしょう。すごい面白くて。だから本当に、ここに来てから成長してると思います」
60歳を過ぎてもまだ成長する。そういう現場です。
■ 誰かの、最後の一着
なぜ、そこまで手をかけるのか。
10年来のお客さまの話があります。いつもは自分の服を選ぶその方が、その日は「母に似合いそうな服を」と、庭で育てた夏みかんを手土産に、みかん色のワンピースを選んで帰られました。
2年ほど経って久しぶりに来店されたとき、お母さまが亡くなっていたことを知ります。最後のひと月の入院のあいだ、病室の窓辺にはあのワンピースが掛けられていて、これを見ると明るい気持ちになるからと過ごされていたそうです。そして旅立ちの日、そのワンピースを着せて送り出されたのだと。
「私は、そういうものをつくってるんだなって、改めて責任感を持った。誰かの最後の一着になるかもしれないものをつくってるし、誰かの忘れない景色の中に入る一着をつくってる」
記憶は、服を着た状態で呼び起こされます。10歳のころの思い出を思い浮かべてみてください。そこにいる人は、必ず何かを着ているはずです。ezuがつくっているのは、その景色の一部です。
■ ピンと来たから、やる
ezuは、桐生の外にも出ています。
2018年の香港を皮切りに、バンクーバー、ニューヨーク、パリのコレクションで発表。2019年にはモナコに拠点となる会社を設立しました。2024年からは中国(上海・北京)とマレーシアで販売を始め、シンガポールでの個展、フィリピンのカオハガン島でのキルトづくりと続いています。
パリコレクションへの参加について、岩野はこう言います。
「あれも、出たいと思ってたわけじゃないんだよね。出ませんかって言われて、面白そうって思ったから出た。全部それだよ。ピンと来たから、やる」
2026年7月には、モンゴルへ行きました。マイナス40度の冬を生きる動物たちが育てるカシミヤやヤク、キャメル。3000年続く遊牧の循環のなかでしか生まれない素材と、それを扱う手仕事に会うためです。カシミヤの工場、フェルトの女性たちの組合、革の工房、帽子をつくるご夫婦。4つの作り手とご一緒することが決まり、今年の11月には桐生の店に並びます。
安くつくれるからではありません。そこでしか生まれないものがあるからです。
■ 働き方について
ezuには、仕事と暮らしの境目があまりありません。
岩野は「絵を描くことも、服をつくることも、生きていること」と話します。山を歩く時間も、知らない土地への旅も、そのまま制作につながっていく。月に7日だけ店を開くのも、暮らしのなかにものづくりを置いてきた結果です。
意思決定では、判断と決断を分けています。情報を整理し、選択肢を並べ、反証するところまでが判断。最後に自分の名前で引き受けるのが決断です。業務にはAIも使いますが、役割は判断の側までと決めています。創るのは、人間です。
迷ったときに立ち返るのは、数字ではなく作品です。作品にとってどうか。関わる人ががっかりしないか。誰の世界が広がるのか。効率がいいからという理由だけで工程を省くことは、しません。
そして、やり直せることは、まず試します。一度切ったら戻せない布のような場面だけ、慎重に。その使い分けが、この会社のリズムです。
■ これから
ezuは、自らを「思想の置き場所」だと定義しています。服だけの会社ではありません。すでに絵画や珈琲、モンゴルでの革やカシミヤのものづくりへと広がり、これから焼き菓子や空間づくりも始まっていきます。
企業理念は「問い続けることで、世界を広げる」。ここでいう世界とは、市場の大きさではなく、関わる人の内側にある価値観や可能性のことです。
3歳で紙の人形に服を着せていた子は、いまも同じ桐生の町で、絵を描き、服をつくっています。
同じ赤の中にも無限のグラデーションがあり、青が十着あれば十通りの表情がある。その違いが並んでいる状態こそが美しい。そう信じている会社です。
もし、この考え方に何か引っかかるものがあったなら、一度お話ししましょう。