みなさん、こんにちは。
ネパール出身のアチャリアヨグナットです。
私は周りで『アチャ』、『ヨグ』など、いろんな名前で呼ばれます。いろんな呼び方をしてくれるのが面白く感じます。
子供の頃からボランティア活動が非常に好きでした。「人間であるからこそ人々のためにならなければならない。そして、社会のために活動しなければいけない」と思い、人手不足などの社会問題と戦っている株式会社ジンザイベースに入社しました。
ちなみに、私はジンザイベースにとって、初の新卒社員+初のネパール人社員です。
【プロフィール】
2014年 Prakash Higher Secondary School 卒業
2014年 Rastriya Higher Secondary School 入学
2016年 Rastriya Higher Secondary School 卒業
2017年 山手日本語学校入学(初めての留学)
2019年 山手日本語学校を卒業
2019年 尚美学園大学入社
2023年 尚美学園大学卒業
2023年 株式会社ジンザイベース入社
私のことをみなさんに知ってもらうため、ネパールにた時(小学校〜高校)からジンザイベースに入社するまでをご紹介させていただきます。
ネパールにいた時のはなし(小学校編)
私はネパールのパルバト出身です。パルバトは首都カトマンズから飛行機・バス問わずに一日たっぷり掛かります。
ネパールは、ほぼ山ばかりの国と言っても良いですが、山があるからこそ、景色が非常に綺麗な環境で育ちました。朝起きたら白山が目の前に立っている、まさに天国のようなところで幼少期を過ごしました。
パルバトのダイリンと言うところです。
一方で、パルバトは田舎であり、当時は交通手段が全くありませんでした。病気や事故が起きてしまったら、4時間かけて下山しないといけません。教育制度も十分ではなく、迷信の影響がひどかったです。
ネパールにいた時のはなし(中学校編)
小学校卒業後は、私と姉(私より3歳上)の教育のため、父は引っ越しすることを決意します。
しかし、時を同じくして、父は教員資格を持っていましたが、政治的な理由で職を失うことになります。父は家族を守るために、全く畑違いの農業をスタートすることとなります。当時は、1ヶ月の収入は約1万円で、両親と子供2人の4人生活、食事は朝・晩のみというかなり厳しい環境でした。
ただ、両親のおかげで、私は中学で良い教育を受けることができました。両親の働きに報いるために一生懸命勉強した結果、中学4年生の時に地域の能力コンテストで1位になりました。1位になったことで、政府から無料で教育を受けられるようになり、父も学校の教師に復職することとなります。母も政府からお金を借りて、ホテルビジネスを開始します。
ネパールにいた時のはなし(高校編)
高校時代は私にとっては非常に印象的でした。
父はより良い教育を受けさせるため、私をネパール第二の都市と呼ばれるポカラの学校に行かせてくれました。ポカラはパルバトからバスで6時間かかるので、両親から離れて14歳の時に一人暮らしを始めました。
高校1年の終盤は、ネパール大地震の影響で非常に大変な時期でした。約2万人近くの人々が亡くなり、私の父は背中を骨折してしまいました。街中はビルが倒壊したり等、目も当てられない状況の中、私はLionsクラブというコミュニティに参加し、被災者が安全に夜間を過ごせるよう、テントを設置したり、食事の用意をしたりしていました。同時に父のことも面倒を見ないといけないため、深夜2時にパルバトまで帰り、父を看病していました。ボランティア活動も継続していたので、家族の面倒を見たらすぐにポカラへ戻るという毎日を続けていました。
ボランティア活動をはじめとした辛い経験で得たメリットは数えきれないほど多くあります。「私たちは社会的であるからこそ、誰かのために活動できるのは何よりも素晴らしいこと。失敗や辛いことがいくらあっても、諦めなければいい結果に繋がる。私たちが起こした行動から得られる経験は、どこ行っても学べないこと。」これが私が高校時代の活動で学んだことです。
私は貧しい家庭で育ったため、困っている人の心を読み取ることができます。
家族一部で取った写真です。
子供の頃から自由がなく、何か新しいことをする際、まずお金のことを考えなければいけませんでした。しかし、過去を振り返った時、こういった経験があったおかげで、今の私がありますし、両親に対する感謝の念を感じることができます。
父が学校の同僚や学生ととった写真
高校生2年時からは、また学校の授業に集中しました。父も元気になると同時に国の有名な大学で教師になることができ、母がはじめたビジネスもいよいよ利益が出るようになりました。私もようやく生活に少し余裕を感じ、もっとよい経験を得るために留学や海外旅行の経験をしなければならないとも思うようになりました。
留学先として、日本を選んだ理由
私は学校で日本のニュースをよく聞いていました。しかし、それは残念ながら、東日本大地震のニュースです。
私はそのニュースを目にする中で、「こんなに自然災害に見舞われても、世界一の安全な国になった理由は?」「新幹線のようなスピードで、震災後経済的に回復してきた理由は?」など、日本についてもっと知りたいと思うようになりました。
将来的に、国の経済を回復するようなビジネスをしたかった私には、日本はNo1.の選択肢だったため、日本に留学することを決めました。
日本での生活(日本語学校編)
2017年の来日時、私にとって、日本での新しい生活は非常に大変でした。料理の名前や日常会話などもできず、半年間アルバイトもできませんでした。
ですが、しっかり日本語の勉強のみならず、日本の文化や交通規制などのルールにも慣れるように勉強を続けました。
日本語学校では1年半くらい勉強しましたが、同時に様々な学内イベントに参加しました。学校以外にも日本人のたくさん友達が作れた結果、学内でトップレベルの学生になれると同時に学校からの推薦ももらえました。
日本での生活(大学編)
日本語学校卒業後は、尚美学園大学に入学し、経済学を学びました。将来ネパールに戻りビジネスをしたいと考えていた私にとっては大学生活は非常に重要な時間でした。
様々な経済活動や経営理論、そしてネパールのような発展途上国でどのようにビジネスをするかについて調査しました。授業以外にも日本の高校で異文化交流イベントを開催したり、様々な活動をしました。
父と母が学校に支援金を渡したときの写真
大学1年生の時からネパールのボランティアコミュニティを作り、代表として活動を行っています。ネパールのパルバトをはじめ、多くの地域(多くは田舎にある学校)で経済・教育・衛生面を中心とした支援活動を実施しています。
パルバト協力会東京チーム
また、パルバト協力会というコミュニティにも参加しています。このコミュニティは日本にいる外国人のアルバイトサポートなど、幅広い生活サポートをしています。参加している人から自由にお金を集めて、そのお金で困っている人に支援活動を行うような仕組みです。
大学2年の時、いきなりコロナの影響で学校が中止されました。結果、2年間オンラインで授業を受けることになりました。オンライン授業が対面のように面白くはなかったですが、なんとか2年間経過しました。
大学4年になったら、就職活動を始めました。当時一部の活動が対面でもできるようになり、学内の企業説明に多数参加しました。そんな中、Facebookの画面を何も考えずスライドしていました。いきなり目が止まって、株式会社ジンザイベースが投稿した広告に目がとまりました。
就職活動時に、ジンザイベースを選んだ理由
外国人材の紹介事業を通じて、少子高輪化/人手不足という社会課題の解決に取り込んでいるビジネスに魅力を感じました。
私は学生時代の学業を通じて、将来人材に関するビジネスをしたいと考えるようになっていたため、ジンザイベースでは私のキャリアアップに繋がる環境があると思い応募しました。
応募したら、即時に会社から返事が来ました。面接は3回あったのですが、すごいスピード感で面接が進んでいきました。私が応募した当時、ジンザイベースは設立1年6ヶ月のタイミングでしたが、全ての面接官が本当にフランクで、選考が進むにつれて”ぜひジンザイベースで活躍したい!”と言う気持ちになっていました。
代表中村との最終面接では、全く緊張感がなく、私の考えを引き出すと同時に会社の状況を赤裸々に共有いただいたため、相互理解できる場だったなと感じています。「どんな人でも目的があり、それを達成するための手段を全力で実行しなければならない」と面接時に中村が言っていたことが印象に残っています。
歓迎会の思い出です。
ジンザイベースの内定を受諾した後、大学の進路指導部からは創業1年6ヶ月のベンチャー企業に新卒として入社することに多少不安視されていたようです笑。
内定受諾後も、大学からの指示でたくさんの企業説明会に参加しました。私個人としては、「就職活動で学べることは他で学べない」と思い、積極的に参加しました。
大学生生活から色々な学びや遊びを経験し、やっと2023年4月にジンザイベースで初新卒+初ネパール人担当として勤務しています。入社後は思っていた通りの結構カオスな環境でしたが、先輩社員は非常に優しく業務を教えてくださっています。業務についてはこれからなので、また後日、近況をnoteでご報告していきたいと思います。
4月、歓迎会時の写真
最後に
最後まで読んでいただきありがとうございます!
私たちは創業まもないベンチャー企業ですが、目標は大手企業より圧倒的に高いです。そのため、会社としても個人としてもとてつもないスピード感で成長していく必要があり、その環境があると入社早々感じています。
現在のビジネスは、特定技能外国人を人手不足の日本企業に紹介していますが、どんどん新規事業が立ち上がっています。
そんな環境のため、弊社自身も顧客企業並みに人手不足中ですので、もし私たちの会社に興味を持っていただけたら大変嬉しいです。ぜひみなさんのご応募を心よりお待ちしております。