自己紹介
2025年3月にセールスとしてテックタッチにジョインしました、判田 崇と申します。これまでずっと大手法人向けのIT営業をしてきています。
早いもので、テックタッチに入社して1ヶ月が経ちました。新しい環境に胸を躍らせながらも、時の流れは本当にあっという間。今回は、私が人生の大きな転換期にテックタッチへの入社を決めた理由について、少しお話したいと思います。
キャリアの転換期、50歳目前に感じた焦燥
私のキャリアは、決して順風満帆とは言えませんでした。大学卒業は、まさに就職氷河期のど真ん中。社会に出るイメージが全く湧かず、就職活動にも身が入らず、しばらくアルバイト生活を送っていました。
当時のキャンパスは文学部で女子が多く、就活“強者”の男子学生たちが、まるで武勇伝のように就活戦略を語る横で、私は進路が何も決まらないまま、金髪パーマを弄びながら「この先どうしようかな…」とぼんやり空を眺めていたのを覚えています。卒論ゼミの中国文学の先生に相談したところ、「中国4000年の歴史に比べれば、君の悩みなんてちっぽけなものだよ」「ちゃんと卒業していない有名なOBも多いから、安心して!」と言われ、少し肩の力が抜けたことを今でも思い出します。今思えば、先生の言葉は一種のユーモアだったのかもしれません(笑)。
アルバイトをしながら就職情報誌を眺めては面接に行き、音楽が好きだったという単純な理由で、新しいライブハウスの立ち上げに携わり、営業や管理の仕事をしたこともありました。派遣社員として登録したことがきっかけで、大手海運企業の情報システム部に配属され、20代半ばでグループIT企業に営業として就職。ここでは、システムの受託開発営業から、パッケージ、ハードウェア、ネットワークの営業まで、幅広い経験を積ませていただきました。海運業、物流業、港湾業のお客様との仕事を通して、社会人として、そして営業としての基礎を学んだ、かけがえのない時間でした。
30代になる頃、転職エージェントからのメールをきっかけに、外資系IT企業へ転職しミドルウェア製品の営業となりました。その後、会社が買収・統合され、その統合先の社員として、エンタープライズ企業向けのミドルウェア営業を担当しました。統合前後合わせて10年程勤務しましたが、中目黒に住み、社内の様々な部署の方々と飲み会で交流した日々は、今となっては懐かしい思い出です。40歳で結婚し、それまで縁もゆかりもなかった場所に、住宅情報サイトで見つけた建売の家を購入しました。人生、何が起こるかわかりませんね。
40代に入ると、別の外資系クラウド企業へ転職。ミッドマーケットからエンタープライズまで幅広い顧客を担当し、まだクラウドが急速に普及していく前夜の段階で、5年半勤務し、様々な経験を積むことができました。これらの企業では、本当に多くの仲間やお客様と出会い、交流することができました。また、突然実家の父が69歳で亡くなるという悲しい出来事もありました。人生の大きな転換期は、いつも予期せぬ形で訪れるものだと痛感しました。
子供が出来ず諦めかけていた時、たまたま旅行で訪れた京都の神社で、「出世も偉くもなれなくても良いから、どうか一人、子供を授かりますように」と祈ったところ、長女を授かることができました。神様、本当にありがとうございます!40代半ばには、それまで主にインフラやミドルウェアの経験が長かったので、新しい経験と学びを求めて外資系SaaS企業へ転職。その後、次女を授かり、二児の父となりました。しかし、1年間勤務した後、また企業統合の流れがあり、当初思い描いていた活動が難しくなったため、別の外資系SaaS企業へ転職。ここでは、日本法人の立ち上げ期であり、エンタープライズ企業向けの営業でゼロからの立ち上げに携わる経験が出来ました。
そんな日々を送るうちに、気づけば50歳が目前に。髭にも白髪が混じるようになりました。これまでチームリーダーの経験は何度かあったものの管理職の経験がなく、かつての友人や同僚や後輩たちがどんどん出世しキャリアアップしていく中で、自分は今後どう働いていけるのか、キャリアの方向性やゴールについて、自分がやりたかったことや目指したかったことと現実とのギャップにずっと悩んでいました。
さらに、遅くに授かった2人の娘たちの世話、子育てにおける課題、共働きの妻への負担、実家で一人暮らしをしている病気の母のことなど、家族と向き合わなければならないこともたくさん増えていました。さらに実家の能登で大きな震災があり、その対応も考えて行かなければなりません。長期出張もなかなか行けず、平日の夜に外食することも無くなり、飲み会は月に1回行けるかどうか。週末の趣味や活動も無くなり、たまに家族が寝静まった後にギターを爪弾く程度になりました。自分の時間を持つことさえ、難しくなっていました。
テックタッチとの出会い、そして惹かれた3つの魅力
これからの生き方や働き方について悩んでいたそんな時、テックタッチで働いている元上司と再会する機会があり、テックタッチを勧めてもらいました。まさか、このタイミングでスタートアップという選択肢が自分の目の前に現れるとは、想像もしていませんでした。
前の会社での勤務年数がまだ2年未満と短かったこと、外資と比較しての条件面、そして日本の企業、さらにスタートアップに移るイメージを全く持っていなかったことから、最初は正直、あまり乗り気ではありませんでした。安定した環境から飛び出すことへの不安は、もちろんありました。
しかし、せっかくのお誘いなので、社長のカジュアル面談を受けてみたところ、テックタッチのカルチャーや目指しているもの、そして何より「人」を大切にする姿勢に、強く惹かれるようになりました。他の社員の方々のお話も聞いてみたいと思い、面接を重ねるうちに、テックタッチへの興味はどんどん高まっていきました。
私がテックタッチに惹かれた理由は、大きく分けて3つあります。
1. テックタッチが目指す未来への共感: 高額なシステム投資をしても、なかなか使われない、効果的に使われない、という課題を解決し、誰もがシステムを使いこなせるようにサポートすることで、より良い未来を実現しようとしている点に深く共感しました。ITの力で、もっと多くの人が恩恵を受けられる社会にしたい。そう強く感じました。
2. 日本発のエンタープライズSaaSへの挑戦: IT業界では、外資系のサービスや製品を購入することが多いのが現状です。私は、日本企業からも強い製品やサービスを生み出し、日本のみならず海外・世界へ発信したいという思いを以前から抱いていました。エンタープライズに強い日本企業であるテックタッチで働くことは、私にとって大きな魅力でした。日本の技術力を世界に示したい。そんな熱い思いが湧き上がってきました。
3. 共に成長できる環境: テックタッチには、身近な場所に開発者や製品担当者がおり、海外で作られたものを売るだけでなく、仲間たちと一緒に自分たちで作り上げていく経験ができることに魅力を感じました。一体感を持って、目標に向かって進んでいく。そんな活気に満ちた環境に身を置きたいと思いました。
また社員の皆さんの人柄の良さ、それを実現しているカルチャーや組織、そしてエンタープライズ企業を対象に成長を続けていること、本気で熱意を持って取り組んでいる姿勢など、すべてが新鮮で魅力的に感じました。さらに、誰に聞いても「楽しい」という言葉が聞けたことも、テックタッチの大きな魅力でした。
またメンバーは若い方が多く、シニアとして自分のこれまでの経験を伝えることでも貢献できる部分があるのではと思いました。これまでのキャリアで培ってきた知識や経験が、少しでも若い世代の成長の助けになれば、これほど嬉しいことはありません。
その後、ありがたいことにオファーをいただき、本当に長い時間、深く悩みましたが、もしかすると、私の年齢でこのような新しいチャレンジの機会を頂けることはこの先もう無いかもしれない。「縁は運」を信じて、最終的にテックタッチに入社することを決意しました。
新たな挑戦に向けて
テックタッチは、誰もがシステムを使いこなせるようにサポートし、そうした課題を解決して、より良い未来を実現しようとしています。その考え方に、深く共感しました。
私は間もなく50歳を迎えます。日に日に時間の流れは早く感じられ、自分の社会人人生の残された時間は、決して長くはありません。だからこそ、今このタイミングで、新しい環境に身を置き、自分の可能性を試してみたい。そう強く思いました。
そんな時に、テックタッチという素晴らしい機会をいただき、新たな大きな挑戦ができることを、心から楽しみにしています。
これまでの経験を活かし、テックタッチの成長に貢献できるよう、精一杯努力していきたいと思っています。そして、テックタッチが一日も早く、大きな成功と成長を遂げられるよう、微力ながら尽力していきたいです。
テックタッチの皆様と、日本のIT業界を盛り上げ、世界に通用するサービスを作り上げていけるよう、共に挑戦していきたいと思います。
あと最近、自分でも何かしら起業が出来ないかなと思い始めるようになりました。娘たちと共にそんな夢も育てながら、これからの人生も諦めずに生きていきたいと思います。50歳からの新たな挑戦。どうぞ、温かく見守っていただけると嬉しいです。