閉じない経営について
支援、制度、収益、労務、地域を対立させないために
前回は、閉じない人材育成について書いた。
正解を教えるのではなく、問い続けられる人を育てること。人を決めつけず、場や関係性を見ながら、支援者自身も学び続けること。そんな話だった。
では、その人たちが働く会社は、どう経営されるべきなのか。
今回は、閉じない経営について考えたい。
経営という言葉は、福祉の現場では少し距離を置かれがちだ。
支援と経営。福祉とお金。理念と収益。現場と管理。こうした言葉は、すぐ対立して見える。
「支援を大切にしたい。でも収益も必要」
「利用者さんのために。でも職員の労務も守らないと」
「地域に開きたい。でも制度上の責任もある」
現場はいつも板挟みだ。
きれいごとだけでは進まない。でも、お金や制度だけでも人は見えなくなる。善意だけでも会社は続かない。
たぶん、ここにこそ閉じない経営の問いがある。
僕は、支援と経営、福祉とお金、理念と現実を対立させたくない。
もちろん簡単ではない。毎日のように矛盾する。
でも本来、それらは切り離せないものだと思う。
良い支援には安定した経営が必要だ。職員が疲弊すれば支援は続かない。収益がなければ働く機会や環境整備も維持できない。制度を守らなければ信頼を失い、地域との関係がなければ内側へ閉じていく。
つまり、支援、制度、収益、労務、地域は別々ではなく、相互につながっている。
どれか一つだけを重視しても、うまくいかない。
支援だけを語って経営を見なければ続かない。経営だけを見れば本末転倒になる。制度だけを見れば本人や地域が見えなくなり、地域だけを見れば現場がもたない。
だから経営とは、何かを切り捨てることではなく、関係を整えることなのかもしれない。
人と環境の関係を整えるのが支援なら、会社と社会の関係を整えるのが経営。そんなふうに思う。
障害福祉サービス事業者として、僕たちは制度の中にいる。
報酬体系、加算、基準、監査、記録、請求。そこから自由ではいられない。
だから制度を軽く見てはいけない。
ただ、制度の中だけで経営を考えると閉じてしまう。
報酬や加算、監査対応が目的化した瞬間、人が見えなくなる。
閉じない経営とは、制度を守りながら、その外側にも目を向け続けることだと思う。
本人の人生。地域の暮らし。職員の働きやすさ。会社の持続可能性。社会に届ける価値。そこまで含めて見ること。
とはいえ、現実の経営は泥くさい。
受託業務が減る。工賃原資が不安定になる。職員配置に悩む。請求や見積もりに追われる。畑も店もあり、利用者さんの状態も日々変わる。
理念を語っているように見えても、机の上には細かな現実が積み上がっている。
だから経営はきれいごとではできない。でも、きれいごとを捨ててもいけない。
僕は、きれいごとを本気で実現するために経営が必要なのだと思う。
「半径5kmを幸せにする」
やわらかな言葉だが、本当に実現するには経営が要る。
店を続けるには仕入れも売上も人手も必要だ。畑には道具や管理がいる。働く機会には仕事を生み出す力が必要だ。学びや主体性を支えるには余白が必要で、その余白をつくるのも経営だ。
だから経営は冷たいものではない。
理念を地面に降ろす営みなのだと思う。
ただ、経営にも閉じる危うさがある。
数字、効率、組織都合、管理に閉じること。
「収益にならない」
「手間がかかる」
「リスクがある」
そう切り捨てるのは簡単だ。
もちろん判断は必要だ。できないこともある。
でも、すぐ閉じないようにしたい。
本当にできないのか。やり方を変えられないか。小さく試せないか。誰かとつながれば可能性はないか。
経営判断にも「かもしれない」を持っていたい。これは優柔不断ではなく、決めるために疑う姿勢だ。
その判断は誰のためになっているか。職員、利用者さん、地域、会社の未来にどうつながるか。
経営は決断の連続だ。でも、閉じない経営は決断後も問い続ける。
やってみてどうだったか。誰に影響があったか。続けるか、変えるか、やめるか。
そうやって経営もカイゼンされていく。
山の畑では、活動も支援も仕組みもまだ途中だ。
受託作業がある日もない日もある。農作業も店も思うようにいかない日がある。利用者さんや職員配置も日々揺らぐ。
でも、その揺らぎの中で閉じないようにしたい。
受託作業がないなら、何を仕事と呼べるか。畑が大変なら、どんな活動が意味につながる
か。店が小さいなら、地域との接点として何ができるか。
全部がうまくいくわけではない。むしろ失敗の方が多いかもしれない。
でも、閉じない経営とは失敗しない経営ではない。
失敗を見える化し、次の問いにつなげ、人を責める前に構造を見る経営だ。
そのために大切なのが、記録と対話だ。
なぜその判断をしたのか。何を大切にし、何を諦めたのか。結果どうなったのか。
実践知を残すように、経営判断も言葉に残したい。
それは説明のためだけではなく、未来の自分たちが同じ問いに戻れるようにするためだ。
閉じない経営には、職員との対話も欠かせない。経営者にしか見えない景色がある一方、現場にしか見えない景色もある。
利用者さんの変化、活動の入りにくさ、作業負担、お店や畑の空気、地域の反応。
だから経営は、上から決めるだけでは閉じる。
責任を持って決めることは必要だ。でも、決める前に聞き、決めた後に説明し、また聞く。
その往復が経営を少し開く。
ここでもやっぱり、つながって、ひろがるに戻ってくる。
経営もまた、つながりの設計なのだと思う。
支援、労務、収益、地域、発信、人材育成。どれか一つを切り離すと、全体が歪む。
たとえば職員の働き方。
支援の質を高めたいなら、職員が疲れすぎていてはいけない。
送迎、記録、会議、事務、新しい取り組み。ただ「頑張ろう」では続かない。
善意や使命感だけに頼る経営は危うい。
支援者が燃え尽きれば、利用者さんにも地域にも良くない。
だから労務も支援の一部だと思う。
働き続けられること。休めること。相談できること。学べること。仕事に意味を感じられること。
そうした環境づくりも閉じない経営に含まれる。
甘やかす話ではない。責任も厳しさも必要だ。でも、厳しさだけでは人は育たない。
支えられながら責任を持てるようになる。それは職員にも必要なことだと思う。
収益についても正直に考えたい。
福祉ではお金の話が敬遠されがちだが、お金は必要だ。
工賃、給与、活動、設備、地域との接点。
ただ、何のための収益かを見失いたくない。
売上のために尊厳を消費しない。効率のために主体性を奪わない。発信のために本人の物語を勝手に使わない。
お金は必要だ。でも目的のすべてではない。ここでも手段の目的化に気をつけたい。
稼ぐことと支援することを対立させず、循環として考える。
稼ぐことで支援の選択肢が増え、支援が深まることで仕事の意味が豊かになり、その価値が地域に届いて次の仕事につながる。
そういう循環をつくりたい。
閉じない経営とは、経営者だけのものではない。
利用者さんの活動設計、職員の働き方、地域との関係、記録や発信、商品づくり、受託業務、畑、お店。
全部が経営につながり、経営は全部に影響する。
だからこそ、経営も開かれていなければならない。
見せられるものは見せ、説明できるものは説明する。うまくいかないことも見つめ、職員と共有し、地域との関係の中で問い直す。
必要なら変える。
会社として学び続ける。それが、閉じない経営なのだと思う。
僕たちは完璧な会社ではない。
受託、活動設計、人員配置、請求、見積もり、畑、お店。日々あたふたしている。
それでも問いだけは手放したくない。
これは何につながるのか。誰の役割を生むのか。地域に何を届けるのか。職員は続けられるか。利用者さんの主体性は守られているか。
閉じない経営は、この問いを持ち続けることから始まる。そして、その問いを日々の小さな判断に落とし込むこと。何を優先し、何をやめ、何を続けるか。誰に相談し、どこに投資し、どんな仕事や発信を選ぶか。
その積み重ねが会社のあり方をつくる。
閉じない事業者論を書きながら、僕自身が一番問われている気がする。
閉じない支援。閉じない仕組み。閉じない発信。閉じない人材育成。そして閉じない経営。
言葉にすると美しい。でも現実は泥だらけだ。それでも、泥の中にしか育たないものがある。畑と同じだ。
理念だけでは芽は出ない。土があり、水があり、手入れがあり、思い通りにいかない日があって、それでも少しずつ根が張る。
経営も、きっとそういうものなのだと思う。
半径5kmを幸せにする。
つながって、ひろがる。
世のため、人のため。
そんな言葉を看板だけにしないために。
制度も収益も労務も地域も支援も見ながら、迷い、決め、また問い直す。
僕たちは、閉じない経営を続けていきたい。
まだ途中だ。
でも、その途中にこそ希望がある。
今日の小さな判断が明日の活動を変え、その活動が誰かの役割を増やし、地域との関係をひろげる。そして、その関係が次の仕事や支援、出会いを連れてくる。
そんな循環を育てること。
それが、僕たちの社会企業としての経営なのかもしれない。
閉じない経営は遠くの話ではない。
今日の現場をどう見るか。今日の判断を何につなげるか。今日の問いを明日にどう手渡すか。
そこから始まる。
半径5kmの中で。
土の上で。
お店の棚の前で。
記録の言葉の中で。
職員同士の対話の中で。
地域との小さな往復の中で。
僕たちは、閉じない事業者であるための経営を、今日も少しずつ練習している。
※次回は、「閉じない事業者論⑩」としてシリーズのまとめを書いてみたい。閉じない事業者とは何か。制度、支援、地域、発信、人材育成、経営。そのすべてを貫くものとして、僕たちは何を信じ、何を問い続けるのか。あらためて考えてみたい。