『卓越した英雄のような経営者は不要である。必要なのは、基本理念を長期に渡って体現する組織を創ろうと注力した初期の経営者だ。』
これは「ビジョナリー・カンパニー (ジム・コリンズ)」に記されている言葉です。
この言葉には、企業組織が社会を生き抜いていくためのソリューション(ビジョナリー・カンパニーになるための方法)が示されています。当著は今から25年前に著されたものですが、令和という激動の時代において多くの経営者に支持されていることからも、現代の企業経営に通づる内容であることがわかります。
ユウマペイントの創業者であり、代表取締役の佐々木 拓朗も、この本からユウマペイントの経営を始めました。
そして創業から13年。22歳の不良青年が作り上げたユウマペイントは、紆余曲折を経て、「ビジョナリー・カンパニー」と呼ぶに相応しい会社へと変貌を遂げつつあります。
今回の記事では、ユウマペイント代表の佐々木さまをお招きして、同社の創業ストーリーを語っていただきました。どのような背景があってユウマペイントを創業したのか、なぜ7年連続No.1塗装会社で居続けられるのか。
これを読めば「ユウマペイントが絶対に好きになる。」そんな創業秘話です。
佐々木拓朗 / 代表取締役
16歳のときに不良の先輩の言われるがまま、塗装業界に入る。22歳のときに独立し、株式会社ユウマペイントを設立。設立13年を迎えた2020年では、千葉県柏市で7年連続No.1の施工実績を誇るまでに成長。2021年には船橋市へ出店することが決定している。
不良がペンキ屋に就職。”6年間の修行”から辿り着いた、ユウマペイント創業までの道のり。
——ユウマペイントを創業する前のお話をお伺いしたいです。
昔は不良で、ずっとやんちゃをしていましたね(笑)。不良の世界は完全に縦社会なので、先輩に言われたことには「はい or YES」しか返せません。僕の先輩がペンキ屋さんで働いていて「お前もペンキ屋に入れ」と言われ。もちろん僕の返答は「はい」だけですので、16歳でペンキ屋に就職。そこから22歳までは同じペンキ屋で働いていました。
僕の直系の先輩や後輩で構成されている会社だったので、みんな不良。そんな会社が「ちゃんとしている」わけがありません。給料も不定期で振り込まれるし、約束も守らない。下請けをしていたんですが、施工会社にめちゃくちゃ楯突いたり(笑)。
とにかくちゃんとしていない会社だったんですが、僕が知っている会社はそこだけだったので、それが当たり前だと思っていました。ご飯やタバコも先輩が全部出してくれるので、お金には困らなかったですし。
そんなとんでもない環境で6年間を過ごしたんですが、仕事はしていたので、スキルはちゃんと身についていました。仕事をすればお客さんを喜ばせることはできていたんですよね。完全な不良だったんですけど、「人に喜ばれることも、別に悪くないな」と感じるようにもなっていました。
——すごい環境下ですね(笑)。そこからどのような経緯でユウマペイントの創業にまで至ったのでしょうか?
22歳になったある日、先輩から「お前も後輩が増えたし、こっちでは面倒が見れないから。あとはがんばれ。」と告げられました。そのときも僕は「はい」しか言えなかったんで、数人の後輩を連れてお金を稼がなければならなくなりました。今思えば、しっかりとした経営ができていたわけではなかったので、従業員が増えすぎて会社が回らなくなってたんでしょうね。
とりあえずどうにかしなければいけなかったので、後輩を連れて近くにあったデニーズで会議を開くことに。これがのちに「デニーズ会議」と呼ばれるようになります(笑)。僕は先輩たちの轍を踏みたくなかったし、僕についてきてくれる後輩たちに苦しい思いもさせたくなかった。そこで初めて「ちゃんとした」会社を作らないとダメだ、という考えに至りました。
世の中にはたくさんの起業家がいて、彼らはみんな「成功してやろう」「成り上がってやろう」という野心をもって起業しますよね。でも僕の場合は、そこに野心なんてありませんでした。とにかく「ちゃんとした」会社を作って、後輩たちを苦しませないようにしないといけない。そんな想いでユウマペイントが生まれました。デニーズ会議に参加した創業メンバーは、今でも会社に残って支えてくれています。本当に嬉しい限りです。
本で知った”理念”の存在。そこから始まる「ちゃんとした」会社作り。
——すごいきっかけですね。そこから順調に会社は設立できたんですか?
順調も何も、「ちゃんとした」会社をそもそも知らなかったので、最初は苦労しましたよ。僕が知っている「ちゃんとした」会社は、靴が揃っていて、喧嘩はしなくて、ピアスは開けていない。そんな”見た目”のことしか思いつきませんでした。
どうしようもなかったので、本を一冊買って勉強することに。本屋さんに置いてある経営関係の本で一番分厚い本を選びました。それが「ビジョナリー・カンパニー」で、「理念というものが大事なんだなぁ」ということを初めて知りました。
そこで最初の理念である「お客様にとっての新しいライフスタイルを創造する」が誕生します。やることは商売なんで、お客様に喜んでもらわないといけない。そう考えて、ちょっとカッコつけてライフスタイルなんてつけてみたり(笑)。そこからユウマペイントの1期目がスタートしました。
「失うものなんてないんだから、ビビる必要はない」ということで、ひたすら建設会社に飛び込んで仕事をもらいました。結果は、1年を通して売上7700万円、赤字300万円、口座にに4万円。
「なんでこんなに頑張ったのに赤字なんだ!?」と落胆しながらそれをみんなに伝えたら、意外にも喜んでくれたんです。「1年間ちゃんと仕事ができた」ということが嬉しかったみたいでした。たぶん赤字というのも理解できなかったと思うんですけど(笑)。
僕の中にも妙な達成感はありました。でもそれと同時に、「もっとやらないとダメだ」という想いもあった。そこで理念を変えることを決意したんです。
——「もっとやらないといけないと思った」とのことですが、2期目からはどのように変化していったのでしょうか?
まず、理念を「私たちに関わる全ての人たちに幸せを提供できる企業」に変更しました。これは現在まで続くユウマペイントの理念です。そして「売上を作れば自分たちも幸せになれる」というハングリーさを全開にしてアクセルを踏み込んだんです。今となってはこれが”間違っている”とわかりますが、当時は盲目的になっていましたね。
そんな売上至上主義で2〜7期を終えました。7期の売上は8億円。毎日3時間睡眠で、ひたすら働き続けていたら、これだけの売上が生まれるのも当然です。僕の中では「みんなで戦い抜くその環境が幸せにつながっている」と思っていたので、8期も同様に売上至上主義で動き始めました。
しかし、8期でユウマペイントに転換期が訪れます。過労で従業員2名が倒れてしまったんです。そしてお見舞いに行った際にその従業員が僕に投げかけた言葉で、考えが大きく変わりました。
「こんな忙しいときに倒れてしまってすみません」
結局、懸命に売り上げを追い求めて必死に働いていても、幸せにはなれないということに気がついたんです。創業前と変わらないじゃないかと。8期も3ヶ月が経ったある日、とうとう労働環境の改善に踏み切りました。
残業も休日出勤も禁止。8期の売上は大きく下がりました。働き続けることでしか、収益を上げる方法を知らなかったんですから当然ですよね。9期が終わる頃には売上5億円、赤字は1.2億円にまでなっていました。
でも、それ以上は下がらなかった。ユウマペイントの売上のボーダーが5億円であることを知れました。そして10期には見事黒字転換に成功。現在の13期まで黒字を達成し続けています。10期までの10年間で、働き方も含めて「ちゃんとした」会社になれた気がしました。
市で7年連続No.1の施工実績。代表が語る、今のユウマペイント。
——会社を創業するタイミングでも、真っ先に理念の重要性を学ばれていました。佐々木さんの視点で、理念とはどういったものでしょうか?
理念というより、「理念さん」っていう感じですね(笑)。キリスト教徒だったら、マリア様を見たら背筋が伸びますよね?それと同じで、理念を見たら「ちゃんとしないと」という気持ちになれる。そんな存在だと考えています。
ですので、僕自身も「理念さん」に雇われていて、代表取締役もただの役割。理念に反した行動をすれば、もちろん僕もクビになるという覚悟で、「理念さん」とは向き合っています。
——ユウマペイントという会社が、他の会社と違うと感じる点はどこでしょうか?
「仲間を大事にする」という想いは強いかなと。仲間を大事にしない会社は、本当に嫌だなと思います。元々ユウマペイントも、仲間を守るために、仲間を大事にするために創業しましたし。
いつから「仲間」っていうものを意識したのかを問われると難しいですが、幼少の頃からリーダー気質で、不良グループのトップを張っていました。そのときから「リーダーの役割は仲間を守ること」という意識を持っていたので、それが今でも引き継がれているんでしょうね。
——ユウマペイントで働かれているメンバーには、どのような方が多いですか?
「守る」という言葉に惹きつけられて集まるメンバーが多い印象です。人の役に立つ、社会の役に立つということに、特に関心を持っているメンバー。言い換えれば、擦れてるような人はいませんね。
みんなのなかで「守る」ということへの安心感が強いせいもあってか、時々会社全体に突破力がないなぁと感じることもありますけどね。でも、守ってほしい人を守るのは大好きなんです(笑)
家を守るために、世界を幸せ色に塗り替えるペンキ屋。理念を追求した先にある、100億円企業の未来。
——今後の会社の展望をお聞かせください。
2058年までに年商100億円企業になる。これがまず1つの大きな道標ですね。少し大仰な数字に見えるかも知れませんが、今年から毎年105%ずつ成長していくと2058年には40億円、110%だと200億円。
つまり、この間の成長率を維持したらいいわけです。決して不可能な数字ではないと考えています。そして100億円企業になれば、間違いなく日本で1番のペンキ屋になれます。今は柏市No.1ですが、千葉県、日本、とユウマペイントの存在を広めていければと思います。
そして、ユウマペイントの売上が増加することは、家を守ることができるエリアが広がることを意味します。ペンキ屋はただ色を塗るだけではなく、家を守るための仕事です。来年には船橋への出店も決定しており、2028年までに4店舗の展開を計画しております。
ユウマペイントの守れるエリアが徐々に広がっていく。それでお客様も僕たちも幸せになる。そのためにも、僕は仲間たちのために「新しい道筋」を敷いていかないといけないなと思っています。
——最後に、ユウマペイントで一緒に働きたいと思うのは、どのような人物でしょうか?
僕の人生理念でもある「可能性の探究」。これができる人と一緒に仕事ができたら嬉しいですね。目の前にある事物に対して、「もっといい形がないのかな?」という更なる可能性を求める姿勢。それこそが、社会が発展するための慣わしだと思っています。
「僕は仲間のために新しい道筋を敷いていく」とお伝えしましたが、まさにそれが可能性の探究ですよね。今の会社にとって突破力となるような人とぜひ働きたいなと思います。
あ、もちろん、「守りたい」という人も大好きなんで、「守る」という言葉に惹きつけられてくるメンバーも大募集です(笑)
僕らが働く職人の業界って、自己概念が低い人がすごく多い印象です。この背景には、不良上がりの人が多くて、「人に迷惑をかけてきた」というコンプレックスが隠れていると思っています。
でも、過去なんて関係ないんですよ。今、どれだけの人の役に立てているのかが大事です。職人という仕事は、多くの人の役に立っているからこそ、もっともっと自己概念を高めていってほしいなと感じますね。