地域に眠る価値を磨き直し、100年先まで愛される景色を育てる株式会社リナシェンテ。
今回は、2026年4月にオープンした石川県小松市の複合施設「ATAKA TERRACE(アタカテラス)」で責任者を務める池田俊也さんにお話を伺いました。
都内で西洋料理のシェフとしてキャリアをスタートさせた池田さんは、石川県に移住し、街づくりという新たな舞台での挑戦を始めました。
本記事では、池田さんのキャリアストーリーと、まちづくりの拠点としての「ATAKA TERRACE」についてお伝えします。
▍ プロフィール:池田俊也
千葉県市原市出身。都内の料理専門学校を卒業後、東京で西洋料理のシェフとして勤務。2019年7月に石川県小松市の地域おこし協力隊に着任し、ジビエの解体・販売等に携わる。その後、株式会社リナシェンテへ入社し、現在は「ATAKA TERRACE」の責任者のほか、「YADO SEN KOMATSU -仙-」や「安宅ノ宿 沖」の担当も務める。
▍「自分の言葉で説明できない料理は作らない」料理人としての原点とは。
ーー池田さんはもともと都内で料理人をされていたのですね。当時のキャリアの原点や、仕事に対する想いについて教えてください。
池田: はい。千葉県で生まれ育ち、20歳まで千葉の料理専門学校に通った後、東京の飲食店で働いていました。専門学校を卒業して数年後、都内にあるカジュアルなワインバーで厨房を一人で任されるようになりました。
当時、私はまだ21、22歳。一方で、カウンターに座るお客様は自分の親ほども年の離れた、人生経験も外食経験も豊富な大人ばかりです。若い自分にできること、そして常連のお客様に満足していただくために必要なことは何だろうと考えたとき、ただ流行っているから、基本だからという理由だけで、自分の気持ちが乗っていない料理は作らないようにしようと決めました。
自分の言葉でしっかりと説明できる料理だけを出す。この考え方は、今も大事にしています。
ーー素晴らしいプロ意識ですね。そこからどのようにして石川県やジビエへと繋がっていったのでしょうか?
池田: 当時勤めていたワインバーで、ワインの造り手をお呼びする「メイカーズディナー」を行いました。そこで「ワイナリーだけでなく、食の生産者さんも呼んでみよう」という話になり、出会ったのが石川県でジビエに携わっている方だったんです。 年齢も同じくらいで非常に熱量が高い方で、私の「もっと食材の背景を知りたい」という知識欲求と重なり、これが人生の大きな転機になりました。
その後、石川県でジビエの解体処理施設を立ち上げるという話を聞き、移住を決意しました。知らない土地へ行く不安よりも、自分の目的を叶えるためという想いが勝っていましたし、母方の祖母が石川県の珠洲市出身だったこともあり、何かしらのご縁を感じていましたね。
ーー2019年から地域おこし協力隊として活動されたそうですが、実際の生活はいかがでしたか?
池田: 「ジビエアトリエ加賀国」という施設で、イノシシの解体や販売などの活動に取り組みました。本来は3年の任期ですが、ちょうどコロナ禍が重なり、特例措置で結果的に5年間務めることになりました。
実際に地域おこし協力隊として活動してみて、これまでの考え方が大きく変わりました。
一つは、ジビエ生産1本で食べていくことの難しさです。全国的に見ても、行政を含めた補助金に頼らず赤字を出さずに運営できているジビエ施設は片手で数えるほどしかありません。協力隊の枠から外れた時、独り立ちして経済圏を回すことの重要性を意識するようになりました。
もう一つは、地域における人とのご縁の深さです。東京に比べて人の代謝が遅い分、地域の人々との関わり合いを大事にするべきだと学びました。また、自分が生産者側に回ったことで、農業や養鶏、九谷焼の作家さん、酒造りの方など、身近な日常の中にいるプロフェッショナルたちと繋がることができたのは大きな財産です。
▍1ヶ月半で立ち上げた「ATAKA TERRACE」。走りながら見つけたリーダーのあり方
ーーそこからリナシェンテへ入社し、ATAKA TERRACEの立ち上げに関わることになったのですね。
池田: はい。協力隊時代に、現在の「YADO SEN KOMATSU -仙-」となっている物件の近くによく遊びに行っていて、その場所にずっと興味を持っていたんです。ある日、そこをリナシェンテが取得したと聞き、知人経由で東海林社長とお話しする機会を得ました。社長は「自分の興味・関心があることをやった方が人は動いてくれる」というスタンスだったので、私のやりたいことも尊重してくださると感じ、入社を決めました。その後、入社して2ヶ月後くらいに「ATAKA TERRACE」の立ち上げも提案され、担当することになったんです。
ーーATAKA TERRACEはどのような施設なのでしょうか?オープンまでの準備についても教えてください。
池田: 昔の関所跡であり、歌舞伎『勧進帳』の舞台でもある場所に位置しています。日本海を眺める素晴らしい眺望を活かし、勧進帳の資料館、ものづくりの物販スペース、本、コワーキング、カフェを併設した複合施設です。
準備期間は約1ヶ月半でした。料理部門の開発、物販の選定、地域への挨拶回り、求人採用、申請関係まで、他のメンバーのサポートを受けながら無我夢中で駆け抜けました。私個人としては「完璧に仕上げてから出したい」と考えるタイプなのですが、今回は「まずは走ってみる」マインドへ切り替える必要がありました。
ただ、そうやってまずは動かしてみたからこそ、見えた景色があったと思います。オープンしてまだ2週間ほどのバタバタしているタイミングで、先方からお声がけいただいてシャボン玉アーティストの方とのイベントを開催したんです。当日は、施設の広場に250〜300名もの方々が集まってくださいました。こんなに多くの方が来てくださるんだと嬉しかったですし、走りながら修正していく面白さと大切さを、身をもって実感した出来事でしたね。
ーーオープン直後からそれだけ多くの人が集まったのはすごいですね。その後もイベントは定期的に行われているのですか?
池田: はい。私自身がゲストとしてお話しした移住トークイベントや、直近では地元のDJを招いた音楽イベントなども企画しています。音楽イベントといってもクラブのような激しいものではなく、安宅の美しい夕日に合わせて、海沿いでゆっくりとした時間を楽しんでもらうためのものです。
いつものカフェとしての営業だけでなく、こうした様々なイベントを定期的に開催していくことで、地域の方も観光で訪れた方も、人が自然と混ざり合う場所にしていきたいと思っています。
ーー現在は責任者としてチームをまとめられていますが、マネジメントで意識していることはありますか?
池田: 人生で初めて責任者という立場にチャレンジさせてもらっているので、日々学びの連続です。自分の些細な一言でメンバーの印象が大きく変わってしまうことや、人を採用することの責任の重さを痛感しています。
特に大切にしているのは、まずは相手の話を最後までしっかり聞くことです。先回りして話をまとめてしまいがちですが、それは話してくれている方に対して失礼にあたります。 私は決して偉いわけではなく、ただ責任者という役回りを担っているだけ。一緒に働いてくれるメンバーへのリスペクトは常に忘れないようにしています。
▍ 老舗の世代交代、若いエネルギーが街を動かすーー今面白い街、小松
ーーこれから移住を考えている方へ向けて、小松市での暮らしの魅力を教えていただけますか?
池田: リアルな話をすると、車は必須ですし、日本海側は曇りや雨の日が多いので最初はギャップに戸惑うかもしれません。しかし、それを上回るほどの食材の美味しさと人との交流があります。
小松市はほどよい田舎でありながら文化が非常に発展している街です。特に面白いのが、ここ5年ほどで街全体で世代交代が起きていることですね。例えば、私の同い年の友人は、おじいさんの代から続く創業75年の老舗ケーキ屋さんを兄弟で継いで街を盛り上げています。また、伝統的な九谷焼の分野でも、現代の感性に合わせた新しい作品を作って国内外で高く評価されている若い作家さんがいます。そうした30代〜40代前半の油が乗った若い世代が、今まさに街の推進力となって新しい企画を次々と形にしているんです。
歴史や伝統をただ守るだけでなく、新しい力を掛け合わせて街を巻き込んでいく。そんな推進力のある人たちとすぐに繋がり、お互いの挑戦を応援し合える環境が今の小松にはあります。地域に深く入り込んで「自分のアイデアを形にしてみたい」という方にとって、とても面白い環境だと思います。
ーー最後に、今後の展望と候補者へのメッセージをお願いします。
池田:「ATAKA TERRACE」を、「南加賀に来たらまずここを紹介すれば間違いない」と言っていただけるような場所に育てていくことが目標です。個人的には、店舗のマネージャーとしての軸を持ちつつ、山に入って自分で食材を調達するようなプレイヤーとしての軸も持ち合わせ、両軸でキャリアを歩んでいきたいですね。
東海林社長は、「全国700の市町村の全てに、少なくとも1つは街づくりの拠点となる施設を作っていきたい」というビジョンを掲げています。そのため、今後の活躍の場は石川県だけにとどまりません。
前向きに取り組む姿勢があれば、会社全体で全力で応援する社風です。まちづくりや地域ビジネスに少しでも興味がある方は、ぜひ一度カジュアルにお話ししましょう!