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臨床現場に最適な看護計画とは

こんにちは、はよんです。

先日、我が家のミシシッピニオイガメを診てもらうために人生初、動物病院へ行ってきました。

現在抗生剤内服中です。(息子が毎日器用あげています)

さて今回は、「看護計画」について書いてみたいと思います。

既に、「??」となっている方もいらっしゃると思います。

少し専門的な内容になるので、看護学を学んだことない方にとっては難しかったりあまり興味のない内容かもしれません、すいません。

急にややアカデミックというか専門的な内容をピックアップした背景には、私が今年の夏から母校である聖路加国際大学の臨床助教をしていることがあります。

(この秋から大学院の助教もすることになりました・・・頑張らねば)

看護教育に関わることになって、学生へ看護計画について指導し、
私なりに思ったり考えたりすることが多かったからです。

結論から言うと、看護計画が臨床でどうあるべきかは、私自身まだまだ模索中です。

看護師にとって過度な業務負担にならず、看護の質を向上する看護計画の形は、

これからもずっと追求し続けていかないと、

様々な病院の看護部長さんや副部長さんを始めとした看護管理職と話をする過程で、

現場で日々患者さんと向き合っている看護職と話をする過程で、

看護学生と接する過程で、

私自身痛感しています。

看護計画について語りたい方、是非カジュアルにディスカッションしましょう。
私も毎日模索中で、まだまだ勉強中の身分なので色々教えて頂きたいです、本当に。
https://meety.net/matches/uHzqIlQEJAac

現場から聞こえる2極化の声

ざっくり言うと、
看護計画はほぼ見ない VS 個別性のある看護計画を記載している
現場からはこの両極端な意見を聞くことが多いです。

看護計画をほぼ見ないという方々からは、以下のような声が聞くことが多いです

・看護計画なんかいらない・本当に時間の無駄・頭の中に入っているからいちいち見ていない・見なくても自分なりに考えながら日々のケアを実践している・厚生省のためにやっている(監査のためにしている)

一方で、個別性のある看護計画を記載していると言う意見の方々からは、以下のような声を聞きます。

・看護師としてのスキルを向上するためには必要
・毎日評価をしている(つまり毎日見ている)
・カンファレンスでみんなで見返している ※カンファレンスの頻度は病棟によってまちまち

看護計画に対する私の実体験

正直な話をすると、私自身は全然看護計画を臨床で活用できなかった人です。(ごめんなさい)

少なくとも私が当時勤めていた病棟では、看護計画を活かしたケアは実践できていなかったと思います。

(今は違うかもしれませんし、当時も活用していた看護師はいるかもしれません、あくまで当時勤めていた私個人の印象です)

看護計画は日々のケアに活かすために立案すると言うよりは、
やらなあかんから立てる!!
と言う感じで私はとにかくこなしていた人です。

そして自分が受け持ちをして時間があって看護計画をみてみると、
「全然看護計画評価されていないやん!!」
「もはやこの人明日退院やのにまだかなり具合悪い時の計画やん〜」
みたいなことは多々ありました。

だからと言って評価をしなかったスタッフが全然悪いとも思いません。

だって多分私自身もできてなかったから。

忙しいと言ったら言い訳に聞こえるかもしれませんが、
看護計画の評価は日々の業務の中で優先順位はほぼ最下位です。

つまり時間がある時とかできる時、もしくは一番最後にする業務なのです。

(そして大体最後にしないで忘れて帰る)

看護師以外の方がここまで読むと
「えっ結構適当なんですね」
「そんなんで大丈夫なの!?」
と思われるかもしれませんが、声を大にして言いたいのは、
看護計画があまり現場で活用されていない≠患者さんのケアが適当です。

看護師は自身の頭の中で、今目の前にいる患者の状況を五感で感じて、
その時に最適なケアを日々実践しています。

ただ記録が間に合っていない、頭の中で考えて実践した計画の全てを言語化してカルテに記録する行為まで追いついていないということです。

「看護師が持っている全ての情報≠記録」という仮説

色んな看護師さんと話をしていても、
「記録にない情報を持っている看護師がいる」と言う声はよく聞きます。

どういうことかと言うと日々の看護記録に、
頭の中の思考やプロセスや患者さんに関する情報を全て反映していない看護師がいるということです。

じゃ何のための記録なのだと言われると、・・・(ごめんなさい)

記録って本来であれば、看護師が見て感じて考えた情報全てを記載するものだと思います。(理論上は)

しかし看護師が五感で感じて試行錯誤している情報はかなり膨大だと個人的には思っています。

そんなサクっと書ける情報じゃないんですよ。

もちろん淡々とした記録で済む場合もありますが、一方でまとめるの激ムズという記録もめっちゃあります。(特にnarativeな内容は要約が難しい)

どうしても1人の人間やご家族の生活をみているとそういうことは本当に多々あります。

記録にどの情報が必要でどの情報が不要かの取捨選択もかなり難しいです。

という意味で記録って、本当にちゃんと書こうと思えばかなり時間がかかるし、
何をどう書いてまとめようかと考えるのもかなり集中しなくてはいけません。

しかし現実的にはそんな記録に全集中できるような環境は、就業時間内にはほぼなく、
引き継ぎが終わった後、いわゆる残業タイムになります。

そして残業タイムはもう疲れているし、帰りたいし、何よりも情報を忘れてしまっている場合もあります。

と言う意味で、記録って現実を100%一致しているかと言われると必ずしもそうではない部分もあると個人的には思っています。

(あくまでも個人的な意見であって、自分の頭のプロセスを100%記録に起こせている看護師さんもたくさんいらっしゃると思います)

この記録に対する前提の文化というか見えない固定概念のようなものが、看護計画にも一部反映されているのではないかと私は個人的に考えています。

思考プロセスが大切なのは言うまでもない

看護学生は、
アセスメント→看護問題の抽出→看護目標と計画の立案→アセスメント→計画を評価
といった一連の看護過程の展開を、実習中大量の記録を通して実践します。

これは個人的に本当に大切だと思っています。

学生からよくこのような声を聞きます。


「看護師ってマジで毎日これやってるんですか!?」

「毎日めっちゃ大変じゃないですか」

「私、患者さん1人だけでも精一杯なのにこれ複数人とかマジで無理です」※学生は1人の患者さんを受け持ちじっくり関わらせて頂くケースが多い。

「大丈夫、みんな出来るようになるから!!」
と私は日々全力で学生を励ましつつ、みんなの記録を確認するのですが、
学生の時にこの思考プロセスを育成し、
なんとなくでも良いからある程度出来るようになっているかどうかは、
現場にいった時に全然違うと考えています。

もちろん新卒で病棟勤務をする時は、思考プロセスよりも覚えなくてはいけないことが本当に多くて、
「全然学校で学んでたこと役に立たないやん!」
「こんなこと学校で学んでいない!!」
という風に感じる看護師は多いと思います。

覚えなくてはいけないこと、目の前の業務のhow toだけをこなしている看護師と、
頭の中で一連の看護過程を展開し実践知っている看護師って、
やっぱりケアの質や患者さんやご家族との接し方が私は大いに変わると思っています。

だからこそこの思考プロセスを学生の内に育成するのは本当に大切だと思っています。

(学生のためになる指導ができる先生になれるように日々精進します!)

看護計画を記載する意味

やや話が逸れてしまいましたが、看護計画の話に戻ります。

大前提として看護師の頭の中の情報を記録することは絶対大切です。

でないと客観的に見えないし、第三者が評価もできません。

看護の質を一定に担保する意味でも大切かもしれません。

(ベテラン看護師の思考が100%反映されている記録は、新人看護師にとっては教科書のようなものです)

でも看護計画に限らず、看護記録全般で、看護師の情報全てが記録されていない部分もあると考えています。

というのも看護師の記録は書くのに本当に時間がかかるし集中力も必要。

そんな恵まれた環境が就業時間内に整っている病棟はほぼありません。

どうすれば、
看護の質を一定に保つだけでなくより向上できて、看護師の業務負担にもならくて済むか

看護師の業務効率と看護の質の追求というもは本当に難しいなと日々感じています。

この両者の最大公約数は、まだ私自身もわかりません。

色んな看護師の皆さまの声を聞きながら、共に模索していきたいと考えています。

メディカルギークはそういう会社であり続けたいと思うし、そうあるべきだと強く感じています。

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