【代表インタビュー】Be GeNieee 〜自分の才能を爆発させて、社会に価値を届ける〜 【PART2】 | 株式会社GeNieee
こんにちは!京都発!新進気鋭のWebマーケ会社GeNieeeの採用・広報担当です!今回も前回に引き続き、代表を務める梶谷へのインタビューの模様をお届けします!※PART1はこちら!今回は・起業領...
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こんにちは!
京都発!新進気鋭のWebマーケ会社GeNieeeの採用・広報担当です!
今回は弊社初のストーリー記事を記念して、代表を務める梶谷へのインタビューの模様をお届けします。
今回は
・ビジネスでも社会貢献でも成功!? 無双した大学時代
・入社直後にした〇〇で社長大激怒!?
・起業前に働く最後の会社を探す中での転職の軸は...!
上記内容について、赤裸々に語っていただきました。
起業家志望の方、必見の内容となっております!
この記事を読んで、「梶谷さんって人、めっちゃ面白い!」「話を聞いてみたい!」と思った方は、ぜひ下記募集記事からのエントリーをお待ちしています!
静岡県出身。大学時代は営業代行会社の立ち上げや被災地支援を目的とした学生団体の立ち上げに携わり、営業代行会社をゼロから50名規模への拡大貢献や被災地へ250名の学生ボランティアを派遣して大規模イベントを開催。大学卒業後2社で働いた後に株式会社GeNieeeを創業。
本日はよろしくお願い致します!
最初に学生時代のお話からお伺いしてもよろしいでしょうか。
大学を機に上京して学生生活を過ごしながら、まずは営業代行会社の立ち上げを行いました。行っていたのは、自動販売機とインターネット接続サービスの飛び込み営業で、スタート時は自分含め2名しかいなかったんですけど、最終的には50名を超える規模まで大きくしました。
その他には、東日本大震災の被災地支援を目的とした学生団体の立ち上げを行いました。3ヶ月に一回のペースで約250名ほどの学生ボランティアを引き連れ、被災地に赴き運動会やレジャー大会を開催して、被災地の中で燻っていた住民同士の対立を解消して、新たな繋がりを生み出す活動をしていました。
そもそも私は、小さい頃から「自分にはとんでもない才能があり必ず大物になる人間だ!」と思っていました。
20歳の時に、「このまま漫然と大学生活を過ごしていたら、サラリーマンになってしまう!」と思うようになって、それが怖くて眠れなくなってしまったんです。(笑)
どうしようかと考えた時に「そうだ、歌手になろう!」と思い立って、オーディションなどを受けたりしていましたが、芽が無さそうだったのでやめました。
その後に、「歌手と同等、それ以上にいろんな人をハッピーにできる・届けられる人ってどんなだろうか」と考え、起業家という選択肢に辿り着きました。その後に最初に起こしたアクションが、営業代行会社の立ち上げになります。
大学の夏休みをフルに使って、朝10時から夜10時までがむしゃらに飛び込み営業をした結果、正社員も含めた全社員で1位を獲得した嬉しい経験や、飛び込み営業先で、「この人は怪しい人だ!」と思われて、危うく警察を呼び出されそうになる経験をしました。
学生団体の方は、私が震災発生から半年後に被災地を訪れた際に、震災によって家を失った人・損壊はあれど家が残った人の間で分断が起きていたことをこの目で見て、人生が変わるレベルの衝撃を受けたんです。そんな時にこの状況を解決できるのは自分しかいないのではと思い、大学に戻って人を募り、学生団体立ち上げを行ったというのが経緯になります。
活動していく中で、予想以上の注目を集めることができ、新聞やラジオなどの各種メディアはじめ、27時間テレビにも取り上げていただいたことはいい思い出です。その活動は岩手県大槌町で行っていたのですが、今でも訪れる度に「おかえり」と言ってもらえる、私にとって大切な第二の故郷となっています。
ありがとうございます!
次は、社会人時代のお話をお聞きしたいのですが、ちなみに梶谷さんは就活をされたんですか?
ほぼしてないですね。多分1週間くらいだったと思います。
みんなが就活スタートした頃の時期は、起業することを考えていたので全くしていなかったんですけど、知り合いの経営者の方から「このまま起業するのもいいけど、働かされる人の気持ちがわからないと苦労するよ」というアドバイスをもらって、その日のうちに大学の友人に連絡して、「これまで説明会に行った中で、厳しそうな企業をリストアップしてほしい」とリクエストして、リストの最上位にあった不動産企業に面接に行き入社することになりました。
すごい動機でファーストキャリアを選択されたんですね...。
衝撃を受けているのですが、それからのキャリアについて教えていただけますか。
学生時代に会社の立ち上げを行い、学生団体の方でもメディアでも取り上げていただき、大学からも「入学してからの4年間で最も活躍した人」として表彰されるなど、ビジネスでも社会貢献でも成功収められたので、「私は最強だ!」と思って入社したんです。
しかし、入社から2日後に「今のままだとお客様の前に一生出せない」と言われてしまいました。(笑)
何があったんですか!?
私は入社直後から経営者にしか興味がなくて、研修を受けながら経営者と関われる機会を伺っていたんです。
なんとかして接点を持ちたかったので、昼休みになったタイミングで社長を探していたら、幹部と共に蕎麦屋にいくのが見えたので、ダッシュで付いて行きました。しかし、役員みんなとランチ会議のような雰囲気だったので、迂闊に割って入れる状況ではないと思いました。
「どうしても社長と喋ってみたいけど、何かいい手はないか...そうだ!勝手に奢ってしまえば、後々絡んでもらえるかもしれない!」と閃いたので、社長に断りもせず勝手にランチ代を支払いました。(笑)
破天荒すぎませんか!?
昼休みが明けて、研修室で待機していたら顔を真っ赤にした専務が入ってきて、「誰だ!勝手なことをしたやつは!!」と言われたので、真っ先に手を挙げ「社長と1度お話がしたくて、やりました!」と正直に伝えました。専務はコイツは手に負えないと唖然としていた表情が今でも脳に焼き付いています。
結局カンカンに怒った人事部長がお前はこのままだと一生お客様の前に出せないぞとめちゃめちゃ怒られ、1日中反省文を書く羽目になりました。(笑)
それが私の社会人スタートでした。
衝撃のスタートですね...
ちなみにその後はどうなったんですか?
しっかりと反省をして、その会社で働かせていただきました。
最初は、自社が所有するマンションの販売、その後に一戸建ての販売をしていました。
新人だったので、問い合わせに対しての営業ではなく、自らお客様を見つけ出して販売をする所謂飛び込み営業をしたり、駅前や街中で歩いている人に声をかけるキャッチをしていました。
当時私は成果を残すために、「購入確度の高い場所で声をかけること」を意識していました。
まず、不特定多数の人に声をかけるのではなく、不動産屋の前で物件のチラシを見ている人は他の人よりも購入の可能性が高いと仮説を立て、店前のチラシを一新してより歩いている人の目に留まりやすいものを作成し、立ち止まる人の人数を増やしました。
その後、実際に立ち止まった人に「もしよかったら、お店の中見ていってください!」と声をかけてしまうと、警戒心が上がって話を聞いてもらえなくなるので、「どんな言葉をかけたら話を聞いてもらう確率が上がるのか」のABテストを繰り返した結果、まるで地元の人のように「この辺りって変わってしまいましたよねー」って話しかけるのが、一番窓口突破でき、そこから何件も成約させて頂きました。
すごいですね!
そこから1度転職をされたとお聞きしたのですが、そのきっかけは何だったのでしょうか。
私は起業する前提で社会人になりました。
不動産会社の営業としてキャリアを積んでいた自分を客観的に見て、「このままだと不動産業界でしか起業できないな」と思ったのと、自分の能力を思う存分発揮できていないなと感じていたことが転職を決断した理由です。
私は、転職した先の会社が「起業する前に勤める最後の会社」と決めていたので、最短で起業まで辿り着ける会社で働きたいと思っていたので、業界業種は気にしていませんでした。
転職先を探していく中で、「起業家を世界に輩出する」という理念を掲げ、会社全体で社員の起業を後押ししていたこと。その会社の代表取締役自ら、「起業塾」というのをやっているところに惹かれて、その会社に入社しました。
起業一直線の選択、思いっきりの良さがすごいです!
実際その会社では何年ほど働かれたんですか?
合計で5年間働かせてもらいました。
ダイレクトマーケティング支援を主力事業としている会社でクライアントの事業をマーケティングの力で成長させる仕事をしていました。
起業を視野に入れられた上での転職とお聞きしたので、少し働いていた期間としては長いのかなと思ったのですが、その背景を教えていただけませんか。
当初は、1・2年働いた後にすぐ起業というプランを立てていたのですが、自分で納得した形で起業したかったのと、起業して成功するイメージを描くまでに、5年を要したという感じです。
いかがだったでしょうか!
波瀾万丈な人生を送っている梶谷さん。
次回はいよいよGeNieee立ち上げに纏わる話に突入していきます。
次回のストーリー記事は以下から確認ください。