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創業ストーリー


まずは代表の片山の簡単なプロフィールから


香川県の瀬戸内海に浮かぶ直島という小さな島で生まれました。 






その島は、海と山、自然に囲まれたのどかな場所。

幼少時、体が弱く発作が出ると病院に行くという苦しい毎日でした。

入退院を繰り返す中、家族や友人からプレゼントしてもらった花たちを
いつも眺めていました。

バラの固いつぼみがゆっくりと開花していく姿と、
甘い香りがふわっと鼻先に香りを感じたりと、お花に魅了されていきお花には人を元気にするパワーがあると感じました。





その幼少期のきっかけで、
私の「お花屋さんになる!!」という夢がふつふつと目覚めました。


社会人

大学卒業後、某自動車ディーラーの受付の仕事を勤めながら、
お花屋さんになるという夢を持っていました。


アフター5を利用してヒューマンアカデミーに通い
日本フラワーデザイナー協会の講師を取り始めました。

そして、


「最先端のフラワーデザインの現場で働きたい!」

という想いで25歳の時に東京に上京してきました。





しかし、資格を持っていても実際の現場は経験はなし・・・。
熱い気持ちとは裏腹に、フラワー関連の会社10社から不採用通知をもらいました。

途方に暮れましたが、「お花屋さんになりたい」という夢は捨てきれませんでした。



お花屋さんが無理なら、花に関連している職業を探してみようと考え続けたある日、
ふと「ウェディングの業界は花を使うはず」と思いつきました。

試しにウエディングプロデュース会社の募集を見つけ、連絡してみると、
面接を受けたその日に、「あなた運が良さそうだから採用!!」と即採用が決まりました。





喜んでいたのも束の間、入社半年後にフラワーデザイナーの先輩が退職してしまい、
まだ経験の浅い私一人だけで、すべてを担当しなくてはいけなくなりました。

早朝5時から花市場へ仕入れ。新郎新婦との打ち合わせ。会場装花の制作。
ブーケのオリジナルデザイン。当日の活けこみ。会場への搬入。
そして、撤収までをすべてを一人でこなさなければいけなくなりました。


土日も休みをとれる間もなく、
この数年間は、体も精神的にも苦しく忍耐の毎日でした。

それでも仕事を続けられた理由は


お客様の笑顔」と私は「お花屋さんになるために上京してきた」という強い意志、

負けるもんかという必死のプライドでした。

担当する、挙式披露宴前日はプレッシャーで眠れません。
披露宴当日、新婦に手渡しするブーケ。
それを見て笑顔になって、感動してくれたり、涙ぐんでくれる姿を見る度、
この仕事をしていてよかったなーと、心から報われました。



これらの、ハードな毎日、日々巻き起こるとんでもない事が、結果経験になり、
そのおかげで精神的にも強くったようです。

その頃から、お客様に喜んでもらえることに快感を覚えました。
「もっと喜んでもらえるものを作りたい」「技術を磨きたい」「自分自身もっと成長したい」
と、このハードスケジュールの合間に、講師免許の取得を目指してヒューマンアカデミーのフラワー講座に通い続け、技術の向上に努めました。



転機

転機となったのはラジオから流れるコンテストの募集。



朝5時から花市場に仕入れに行く途中、
いつものようにラジオでJ-WAVEを聞いていました。


その時に耳に飛び込んできたのが、
FENDIが夢を目指している女性を応援するオーディション



「シンデレラオーディション」でした。


「素敵な企画!!」と気になりましたが、
日々のノルマに追われていて、それどころではありませんでした。

ところが、応募締切前日、ずっと通い続けていたヒューマンアカデミーのスタッフさんから「片山さん頑張ってるし、応募してみては?」と連絡がありました。

たくさんいる生徒の中から私に期待し、直接連絡してきてくださった事、嬉かったです、



その電話に後押しされ、
締め切り前日でしたので、
あわてて課題の「夢」に関する作文と今までの作品集を揃えて応募しました。


応募者は1000人…。
書類選考で残るのは、たった15人。


締め切りもぎりぎり、きっと書類審査も通過しないだろうなと、
半ばあきらめていました。

しかし、一週間後、
「1次審査通過」の知らせが届きました。


その結果が、嬉しくてうれしくて、
一番に家族に電話をして報告しました。


2次審査は、ビデオ審査。
そこで行われた面接審査の結果、最終の4名に勝ち残り
シンデレラガール」の栄冠に輝きました。





シンデレラガールへのご褒美は、
世界的なフラワーアーティスト ニコライ・バーグマン氏
直接指導してもらえるというものでした。

ニコライ・バーグマン先生は、ずっと尊敬していた方。
その方に教えてもらえるなんて、本当に夢のような事で幸せでした。





ニコライバーグマンだからこそできるアーティスティックで
スケールの大きな作品の制作にも参加させていただきました。

その現場で学ぶこと半年間、
今までとはまったく違うインスピレーションや、アイデアを直接教わることができました。


卒業課題として、
「FENDI’06 秋冬ファッションショー」の会場装花をデザインするという
大役をいただきました。

ブランドイメージや、コレクションのテーマを花で表現するという
今までに経験したことのない難しい課題でした。




この課題は、仕事でウェディングの装花しか作ったことがなかった私にとって
新境地を切り拓くとても意義深い経験になりました。

そして、この経験が独立して起業するための自信を与えてくれました。


起業


このオーディションがきっかけで、
個人的にたくさんの仕事の依頼が来るようになりました。


その頃、ホテルのリノベーションの装花を担当する仕事の依頼があり、
チームで仕事をしていくうち、私の夢に共感してくれた方が3人いました。

「独立」に対して、不安いっぱいの私の背中を押して下さったのが、その3人
しばらくの間、株主として支えてもらいました。


そして、2007年に株式会社Ucaを立ち上げました。


いまの、業務内容は、
ホテル、レストラン、パーティー、企業イベント、ウェディングなどの会場装花。
誕生日や記念日などのアニバーサリーギフトのフラワーアレンジメントの販売やオリジナルブーケ、企業のノベルティなど御提案しています。





依頼いただける仕事の経緯は、
私一人で、営業を回り、少しずつリピーターのクライアントも増えてきました。
人が人を呼ぶ。といった感じで、お客様が、次々と新しいお客様を紹介してくれ、またその方がお客様になってくれるという感じで、創業時からお仕事をいただける環境に恵まれていると感じていました。



お花単体以上に、お客様に喜んでもらえる、付加価値を付けて販売したい。
それを創業以来ずっと考えて、行き着ついたのが、「メッセージフラワー」です。





2009年に立ち上げたオンラインショップ


「Patisserie+Flower」


プリザーブドフラワーの花びらに
「Happy Birthday!」 「Will you marry me?」
といったオリジナルメッセージを入れることができる「メッセージフラワー」
がメインで販売しています


2009年春、手狭になった渋谷のソーホーとして使っていたオフィスから赤坂に拠点を移し、さらに事業拡大の為2012年代官山に店舗を構え、スタッフも徐々に増やしていきました。






2012年 三井不動産のインキュベーター企画として、小規模な会社で、今後世界に展開していけそうな未来のある会社を、お台場のダイバーシティグランドオープンに伴って、募集している記事を新聞で見つけ、今回は、ぎりぎりではなく余裕を持って応募しました。

その審査も1次 2次と順調にクリアし、
御縁あって5社の中に選んでいただき、通常では考えられない好条件で出店することができました。

運と引きが強い!!
という事が証明された気がしました。





ダイバーシティ店に出店したことに寄り、たくさんのメディアや媒体に取り上げていただき、通販サイトのファンが増えていき、認知度も上がってきたように思います。





その他メディア実績はこちらをご覧ください。




「お花を通して笑顔にしたい」


何か悩んだり、つまずいたときは、
必ず原点に戻るようにしています。

私の原点は、「花に元気をもらった事」
病室で、お見舞いのお花を見て幸せになれたことがきっかけです。



その頃の事を忘れず、


お花は、素晴らしい魅力と不思議な癒しという力があるということを、
一人でもたくさんの方に伝えていきたいと思います。





最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。







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