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桃丘をご存知ですか?


上本町界隈を古い地名では桃丘(ももがおか)と言いますが、ご存知でしたか?今は残念ながら地名としては残っていませんが、名残はあります。錢屋本舗本館があるのは石ヶ辻町ですが、この町会を含む近隣の6町会(石ヶ辻西・東、上七西・東、上之宮、北山)を合わせて桃丘連合町会と言い、今でもその地域を桃丘地区と呼んでいます。ちなみに桃丘の東側は桃陽地区と呼ばれていますが、丘の東斜面で陽当りの良い地域であったことを思わせます。

上之宮町にある市立天王寺図書館の隣に地域活動の中心となる公民館がありますが、それは「桃丘会館」と呼ばれています。私が知る限りは現在、文字で地名が残る場所や施設はここだけです。

桃丘の由来は?

かつて、この界隈は桃の名所だったようです。その様子は江戸時代の錦絵などにも描かれていますが、いくたまさん(生國魂神社)の参道でもあり随分と賑わったことでしょう。

そんな由来もお伝えしたくて錢屋本舗本館の入口の左右には鉢植えですが桃の木があります。

JR環状線に桃谷駅がありますが、これも名残と言えましょう。地形としての谷だったわけではなく桃畑の広がりが長い距離にわたる割に幅が狭いので美称として「谷」を用いたとされています。

地域の由来を知ることは、その土地に愛着を持つきっかけになると思います。その地の歴史や文化的背景は既にある価値でもあり、それを共有することで生まれる連帯感や地域愛は生活者の財産ともいえます。気づき、意識をそこに向け、知るだけで得られる豊かさです。

交通の便がいい、学区がいい、病院が近いなど上本町周辺は様々な理由で人気があるようですが、古くは古事記や日本書紀にも登場する地域ですし、難波宮の朱雀大路も通っていたと考えられ、古代から人の賑わいのあった地域です。ちなみに難波京は大化の改新後の日本の新しい政治の舞台で「日本」という国号及び「天皇」という称号が正式なものになったところでもあります。飛鳥時代→奈良時代(平城京)→平安時代(平安京)と歴史教科書では習いましたが、難波京は飛鳥から奈良に至る間、あるいは時代をまたがって長きに渡って副都心的役割を担う等、重要な役割を果たしました。

中世、そして近代については別に機会があれば書きたいと思いますが、歴史や文化に踏み込んでいただくと、更にこの町の魅力を感じて頂けるのではないかと思います。

月刊ZENIYA&LIFE 2022年2月号より)

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