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「変なモンばっかり作って。ホントに儲かるんか?」。その一言に火がついた。

こんにちは。初めてのストーリーになります。

まずは、代表である私自身のストーリーを伝えることから、始めていきたいと思います。

はたらく手応えを求めて

プロフィールにもあるように、私は大学を卒業し、地方銀行に就職することで、社会人人生を始めました。特に深い考えもなく、お金のことを学んでおいて損はないだろう、ぐらいの気持ちで入社しました。

お得意先をオートバイで周り、お金のやりくりをへて、結果銀行がどれくらい儲かったのかを報告する日々。それなりにやりがいを感じていましたが、それでも自分の貢献度がわからないことに不満でした。

自分の頑張りは、会社にとってどれほどのものなんだろう? 
本当に誰かの役に立っているんだろうか?

今思うと若気の至りとも言えますが、自分はもっと頑張れるはず、それをちゃんと認めてくれる働き方がしたいと思っていました。そして、安定した銀行員という立場を飛び出して、コンクリート屋に入社します。

ここは、父が営んでいた建設グループが持っている会社のうちの一つでした。当時は、建設業も儲かっていた時代。公共事業に予算が大量投入されていて、苦労しなくても利益が出る時代でした。

しかし、30歳で私がこの会社に入った頃から、状況は変わっていきます。公共工事は減り、コンクリートの安売り合戦が始まっていきました。これでは、私たちの未来はない。そう感じながらも、30代の若造には経験がまだ足りず、もがく日々でした。

従業員をこき使うなんて、経営者として情けない

経営者になって、従業員と一緒に、働きがいや幸せを追求していきたい。そう息巻いていたのに、現実は、安売り競争に巻き込まれる日々。「売る」よりも「さばく」というニュアンスの方が近く、そのために従業員にも無理を強いることになります。経営者にとって、こんなに情けないことはない。「価格競争に勝者なし」という言葉を他業界の例でも見ていたので、正しいかどうかわからなくても動き出すしかないと決意しました。そして、コンクリートの特殊品(JIS規格など決められた規格品を作るのではなく、オーダーメイドに近い形で作るもの)を始めたのです。

はじめた当初は、周りから何やかんやと言われました。コンクリートの狭い業界からみれば、「特殊品」や「クリエイティブ」など、あてにならないと思われがち。そこに正面から切り込んでいって、笑われるようなこともありました。「そんな変なモンばっかり作って。それでほんとに儲かるんか?」。そう言われるのが悔しかった。でも、この時の決断は間違っていませんでした。特殊品を含めたデザインプロジェクトは、のちに数億円の売上を出すまでの規模に成長するのですから。

(つづく)

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