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地方創生型カーボンニュートラル新産業の創造をつうじて、希望のさざ波を創りだす【創業ストーリー#1/3】

 【創業ストーリー#1/3】

<はじめに>
 戦前・戦後の我が国においては、いわゆる里山の薪や炭などを燃料材として長らく利用していた時代から、その後の高度経済成長やエネルギー革命によって、石炭、石油など大量の化石資源を消費するようになり、薪や炭などの木材のエネルギー利用は減少の一途をたどることとなった。一時、1970年代のオイルショックをきっかけに、バイオマス(化石燃料を除く、再生可能な、生物由来の有機性資源)の新たな利活用について、色々な研究開発や実用化への取り組みが注目された時期もあったが、その後の石油価格の安定などにより、私たちの生活に普及するまでには至らなかった。そのようななか、いまだ記憶に新しい東日本大震災における東京電力福島第一原発事故、地政学的リスクの高まり、地球温暖化など気候変動問題を背景とした2050年カーボンニュートラル宣言、災害発生時におけるレジリエンスの向上、ゼロエミッション・廃棄物発生抑制、サーキュラーエコノミー・地域資源循環利用などへの対応から、環境面で総合的に優れている木質バイオマスの利用に改めて注目が集まるとともに、地域事業主体の再生可能エネルギーへの転換を軸としたパラダイムシフト・地殻変動が始まっている。  

 かかる状況を背景として、バイオマスパワーテクノロジーズ株式会社(三重県松阪市:代表取締役 北角 強)は、2015年12月に創業し、当社が運営する「松阪木質バイオマス発電所」は、2018年1月1日から商業運転を開始。木質バイオマス発電設備のメーカーとして最大のシェアを誇る株式会社タクマが手掛ける小型プラント(2メガワット級)では国内第一号機となる発電プラントである。FIT(再生可能エネルギーによる固定価格買取制度)の価格で最大の40円/kWh(間伐材等由来による木質バイオマス発電)が適用される発電規模であることからも、全国各地から注目を集めてきた当社であるが、全国に先駆けて当事業を立ち上げた創業時の理念や背景、今後の展開について思いを述べたい。

<創業時の理念・背景>
 FIT制度が始まってから約10数年あまりが経過したが、法律施行当初、福島原発事故のあまりの惨状に加えて、原子力発電が抱える構造的問題の根深さに衝撃を受けた私は長らくの会社勤めから独立を決意し、地域密着型で太陽光発電の事業コンサルティングを手掛ける株式会社インテグリティエナジーを2011年10月に創業。「再生可能エネルギーとは本質的に地域再生・地方創生に繋がるべきものである」を創業の理念、ビジネス展開における信念として、私の故郷でもある香川県高松市における「うどん県電力株式会社」など、地域事業者主体による太陽光発電事業体を立ち上げるなど、地域資源を活用した小規模分散型再生可能エネルギーの普及に全力を注いできた。しかしながら、「負担もするが、相応のリターンも得る」FITベースでの太陽光発電そのものは良い仕組みであるとは思うが、いかんせん夜は発電できず、曇天時などにおいては不安定となる変動性電源であることが否めないことから、私はFIT開始段階からバイオマス、それも地域林業と関係が深い木質バイオマス発電に着目し、積極的に事業組成に関わってきた。昨今になって、バイオマス発電事業が再エネにおける一大産業として、社会的に認知される状況になってきたが、現在、バイオマス発電事業は大きく三極化し、数10メガワット超の大型、5~10メガワットクラスの中型、2メガワット未満の小型クラスの発電規模にマーケットが分かれており、当社はそのうちの小型クラスに属する。さらに付け加えると、数百キロワットの超小型ガス化発電プラントの導入事例も増えてきている。
 前述した太陽光発電の最も良いところは、用地に対して適したサイズのものを任意に設計できる「可変性」に富んでいる点であると私は考えるが、これに対し、バイオマス発電市場は、大型から超小型まで技術やプロダクトとしての進展が着実に見られ、相当に成熟してきたように感じられる。地域毎の実情に応じた「可変性」に富む事業組成がようやく可能になってきたということである。
 もともと、当社は地域の中小事業者が主体となり、上場会社をはじめとした計10社以上にのぼる企業からの出資を受け設立した事業体である。FITの本質や理念は、旧来の「大規模集中型電力システム」から、地域の未利用資源を有効活用した「小規模分散型電力システム」への移行を促進し、地方創生エネルギー事業として具現化することにあると私は考えるが、ことバイオマス発電に限って言うと、PKSや木質ペレット等を海外から輸入し大規模発電を意図した事業体による建設・稼働ラッシュとなっており、地域資源の最大限活用あるいは地域経済の活性化というFITの精神に基づいているかといわれると些か疑義があると言わざるをえない。
 例えば、FITの対象となる条件として、当該発電事業者に地域資本が何割か入っているといった法的要件があれば、地域経済活性という観点から多少なりとも違った結果になったかもしれない。かかる課題認識のうえで、地域の中小企業でも知恵を出し合えばできる事業だということを我々は示そうとしてやっているわけでは決してないが、その先駆的事例となれればと志し創業した次第である。
 さらにその背景を補足すると、そもそも、私たちは発電事業ありきでスタートしたわけでは決してなく、現場の問題解決を図るための現実的ソリューションとして必要だから始めたというのが実態である。具体的には、隣接する兄弟会社の三重エネウッド株式会社松阪木質バイオマス発電所(2014年11月竣工、発電出力5・8メガワット)がそのはじまり・ルーツである。三重エネウッドの創業社長は当社の共同創業者でもある西川幸成取締役であり、私も事業コンサルタントとして創設に携わったが、同所の運転開始後に、燃料として使いづらい、あるいは使えないものが発生するということが次第に分かってきた。三重エネウッド松阪木質バイオマス発電所の完成後、松阪市内を中心に市場価値のない未利用森林資源に発電燃料用途という新しい価値を付加し、地域で循環させる仕組みをつくったというのに、100%活用できていたかというと決してそうではなかったのである。それが、木材伐採時に発生する林地残材、間伐材等由来燃料の保管時、あるいはチップ生産時に大量に発生する、低品質な処理困難材(樹皮・枝葉等)の存在だった。バイオマスパワーテクノロジーズが2メガワット発電所を立ち上げたことで、当地域では長らく取扱いに苦慮してきた多くの処理困難材の出口を新しくつくったということになり、5メガワット中規模クラスの発電所で使いづらい資源を主燃料として使う、ある種「護衛艦」というようなコンセプトで当発電所が誕生した。これが、従来、林業施業地や製材・チップ工場など捨てていたものを使う、地域の貴重な未利用資源を余すところなく活用する、という私たちの事業理念の根本が生まれた瞬間でもあった。

⇒⇒【創業ストーリー#2/3】に続く



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