プロフィール:山村賢生 株式会社CompTown 代表取締役。大阪府出身。
「アニメが好き」。その純粋な気持ちを原動力に、山村賢生氏はアニメーション業界の門を叩きました。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。理想と現実のギャップ、業界からの離脱、異業種での経験、そして再びアニメの世界へ――。数々の紆余曲折を経て、株式会社CompTownを設立。代表として、仲間と共に「本当に作りたい作品」を追求する現在地と、その根底にある揺るぎない信念について、深く語っていただきました。アニメ業界を目指す方はもちろん、「好き」を仕事にしたいと願う全ての人に届けたいメッセージです。
目次
「アニメを作ろう」15歳の決意が人生を決めた瞬間
挫折と再起を繰り返した20代、理想を追い求めて
「心のこもった丁寧な作品」を作り続けるために
伝えたい理念と作りたい作品
アニメ業界を目指す人へ「折り合いをつける必要はない」
「アニメを作ろう」15歳の決意が人生を決めた瞬間
ーー最初にアニメに心を動かされた瞬間はいつでしたか?
アニメはもう最初からみんなそうだと思いますけど、物心ついた時から見るじゃないですか?私の場合は幸か不幸か、ずっとアニメが好きで、子供の頃からの延長線上で10代思春期になってもずっと見続けていて。いつの頃からか見るだけで終わりたくないなという気持ちになり、いずれ何かの形で作り手側に回りたいなという思いが自然と芽生えていきました。
ーーその中でも特に影響を受けた作品はありますか?
15歳の時に、ジブリの「海がきこえる」がテレビで流れていたんです。青春映画なんですが、エンディングのところの空気感がめちゃくちゃ良くて。放課後に残されて机に向かっている時に、窓から部活をしている同級生たちを眺めるようなシーンがあって、あのアンニュイな空気感が心に刺さりました。高知県が舞台で、高校卒業して同窓会を開いて、みんなで飲んだ帰りに地元の帯屋町という町を歩いている時の**「何があるわけもないけど、なんか楽しいよね」という空気感**を、すごくいい感じに表現していて。
あの空気感に触れていたいという思いがあって。好きになった対象を追いかけるのは、その時の感動をもう一度味わいたいからだと思うんですけど、私はちょっとそこがこじれて、これを作りたいと思ったんです。追いかけるんじゃなくて、自分でこういう作品を作っていきたいなと。
ーー当時はそういう思いを周りの人に話したりしたんですか?
私はそういう話は人には一切しなかったですね。当時はアニメがまだ世間に「子供が見るもの」って思われていた時代で、アニメが好きだということがバレるとちょっと馬鹿にされるような雰囲気だったので。私の同級生は多分未だに誰も今の仕事をしていること知らないと思います。
ーーアニメ業界に入るためにどんな準備をされたんですか?
実は私、勉強があまりできなくて、中学校3年生の時はほとんど登校していなかったんです。部活だけしに登校する的な。漠然と中卒でも良いかとか思ってました。そんな中、15歳の時にアニメを作ろうと決めた時に、アニメの制作会社は軒並み「高卒から」と書いてあって。「高校を出ないと入れてくれないんだ」とわかったんです。そこで担任の先生に「この高校なら受かるかな」と相談したら「無理」と言われて(笑)。
これはいかんということで、まず行ける高校を探すところから始めました。
高校では、絵が描けないとダメなんだろうなと思ってデッサン教室に通ったり、「感受性を高めなきゃいけない」と思って、お芝居やアートを自ら見に行ったりしていました。大阪は芸事の街なので、見たいものや取りたいチケットは比較的イージーに手に入りましたね。
挫折と再起を繰り返した20代、理想を追い求めて
ーー専門学校を経て、最初に入社されたのはBONESという会社だったんですね。
高校卒業後、1年間いろいろなバイトをしてお金を貯め、東映アニメーション研究所という学校に入りました。専門学校を卒業して、BONESに新卒として入社します。
BONESは「カウボーイビバップ」を作った人たちが立ち上げた会社で、自分のキャリアプランを考えた時に、足腰があって自分がやりたいことをできる会社だと思ったんです。ちゃんとセンターコアになる作品を作り続けているスタジオなので、ここなら自分がやりたい作品や、やりたいことが叶うんじゃないかというイメージでした。
ーー最初の仕事はどうでしたか?
入って3日、4日目ぐらいにはもうテレビ番組1本任されて回していました。学びはいっぱいあったんでしょうけど、大変すぎて学びを認識している暇はなかったですね(笑)。ただ、基礎的なことは学校でしっかり理解していたことと、卒業制作で1本ちゃんと作品を0から1で作って公開していたので、ベーシックな能力はあったと思います。
ただ、当時は365日中360日1日18時間ぐらい働いていて。寝ている時間以外は全部仕事という感じでした。それなのに手取りが○○万円(伏せます笑)くらいしかなくて。時給を計算したら○○円(伏せます、公にかけない金額です笑)を切ってて。食べていけなくて、もうちょっと1回これは小休止しないと生きていけないと思って辞めました。
ーーその後はどうされたんですか?
一度お金をめちゃくちゃ稼ごうと思って、いろいろな仕事をしました。がむしゃらに働いて二十歳そこそこの若造でしたがが年収600万~700万ぐらい普通に稼げました。
ただ、やっぱりアニメ業界に戻りたかった。でも、当時の僕はインターネットもろくに使いこなせず、求人情報も見つけられない。前の会社とは揉めて辞めた手前、先輩や同僚に連絡するのも気が引ける。どうやって戻ればいいんだ、って2年くらい悶々としていました。
大手アニメ制作会社が集まるエリアをわざとうろうろしていたら、狙い通り下積み時代の先輩に会って。先輩から「テレビアニメじゃなくても、ゲームや遊技機とかでもアニメは作れるよ」と誘われて、そちらの業界に行きました。
でも思っていたのとは全然違って面白くなかったですね。極端なことを言うと、ゲームは工業製品を作る仕事なので。要はゲームの部材を作る仕事とアニメのストーリー性があって、ちゃんと1本のお話で完結している作品を作る仕事とでは、カタルシスが全然違うんです。
ゲームなどを作っていて辛かったのは、結局ユーザーが見たいものってアニメではないんですよ。それをやっている人たちにとってはゲームだったり遊技だったりするので、自分の作業は部品でしかなくて。部品を作る作業はやっぱり面白くはなかったですね。
ーーそこからアニメ業界に戻るまではどのくらいかかりましたか?
4~5年かかりました。30歳過ぎたくらいの時にやっとテレビアニメの世界に戻れました。デイヴィッドプロダクションなどいくつかの会社を点々としながら、フリーランスとして活動していました。
フリーランスで5年ほど活動した後、2014年に自分の会社を立ち上げました。とあるクライアントから「山村さんに仕事は出すので、会社を固定してください」と言われたんです。それから紆余曲折あって、2018年に「RErideD」という作品で初めて元請けのプロデューサーとしてテレビアニメを手がけることができました。そこでやっと本当の意味でアニメ業界に戻ってきた感がありましたね。
「心のこもった丁寧な作品」を作り続けるために
ーーCompTownを設立された経緯を教えてください。
CompTownを立ち上げる前、もうひとつ別のアニメ会社を共同で立ち上げたんですが、パートナーと方向性の違いのようなものでぶつかってしまって。やり方が違うということで2020年、40歳の時に「なら抜けます」と言って、裸一貫でCompTownを立ち上げました。
フリーランスの延長でやっていても、自分がやりたいフィールドになかなか戻ってこれない。もうちゃんと会社として自分の現場を持たないと無理なんだなというのが見えていたので、また0からのスタートでした。
ーーゼロからやり直す時に大変だったことは?
本当に我ながらあの時は一番しびれましたね。40歳で丸裸で「どうするんだろう」と思って。とりあえず生きていくための仕事を確保しつつ、ブランディングにつながる仕事を取っていくというところからでした。
ーーCompTownで携わった作品の中で、特に思い入れのあるものはありますか?
「ミギとダリ」ですね。あれは本当に作るのも大変でした。でも、よく今の我々の戦力でこんな水準のものが作れたなという思いもありますし、世の中に受け入れてもらえたこともあって。あれはほんとに15歳の頃作りたかった作品になれたと思います。だからここまでの回収がざっと30年です(笑)。
逆に、30年経っても15歳で作りたいと思ったものが回収できている分、私は幸せ者だと思います。そういう人よりも、回収できないままの人の方が多いと思うので。だからCompTownの企業理念に「執念」という単語が入っているんです。
ーー会社運営で現在最も苦労していることは何ですか?
チームを作ることに今一番苦労していますね。ことわざで**「早く行きたいなら一人で行け、遠くへ行きたいならみんなと行け」**というのがありますが、本当にそうだなと思っています。
私は人ひとり、個人で動き回れるタスクなら結構最高峰まで届いたので、もうそこには興味がなくて。でも一人では絶対に届かない、一人では絶対に手に入れられない領域や、フィールドの仕事がやりたくて。そのために今、仲間を一人ずつ集めて強い船を作っていく作業をしています。CompTownができた当初から今まで5年間ずっと、そこは大変ですね。
ーー仲間を見つける時に特に大事にしていることは何ですか?
「理念への共感」です。うちの企業理念には「執念」という言葉が入っていますが、これは僕自身の経験から来ています。
アニメって、正直、適当に作ろうと思えば作れなくはないんです。要点だけ押さえて、なんとか納品までこぎつける、みたいな。でも、そんなものを作っても、人の心には届かないし、何より自分たちが面白くない。そんな仕事をするくらいなら、他の仕事をした方がよっぽど稼げる。
アニメをやるからには、やっぱり自分が「これを作りたい」「これを見てほしい」と心から思えるものを作りたい。そして、その思いに共感してくれる人と一緒にやりたい。スキルはある程度の適性があれば、後からいくらでも教えられます。でも、理念が共有できていないと、絶対にうまくいかない。
伝えたい理念と作りたい作品
ーー今後どのような会社にしていきたいですか?
理念としては、本当にいい作品を作り続けられる集団になっていきたいですね。「いい作品」の定義としては、心のこもった丁寧でちゃんと人の心に届く、私たちが人生をかけてやる意味がある作品。「やってよかったな」「これを見てくれて喜んでくれたから、よかったな」と思えるものを作り続けられる集団です。
ーー山村さんにとって一番報われる瞬間はどんな時ですか?
作ったものが満足いく内容でかつ人に見てもらって「面白い」って言ってもらえる時ですね。今はSNSもあるのでなおさら直接反応が見られる。あれはありがたい感覚です。本当に自分の子供が生まれて、自分の子供が褒められているみたいな(笑)。
ーー将来的な展望についてはどうお考えですか?
無我夢中で30年前に蒔いた伏線をやっとついこないだ刈り取ったばかりなので、まだ先のことまでは見据えられていません。今思っていることは、私は幸せ者で、やろうと思ったことを遠回り、苦労しながらでもちゃんとやれた。この成功体験を今私の周りにいる近しい人にどうやったら分けてあげることができるんだろうか、ということを考えています。
会社としてはそういう環境を作りながら、私が与えられるものは何かと考えた時に、そこしかないので、それをどうやって伝えていけるのかを考えています。
アニメ業界を目指す人へ「折り合いをつける必要はない」
ーーアニメ業界を目指す人へのメッセージをお願いします。
**「折り合いをつける必要はない」**ということです。大人になっていく、社会に馴染んでいく過程で、自分の我を殺して世間との折り合いをつけて、なんとかうまく嵌っていかなきゃいけないという行為を多分99%の人間がしていくと思うんですが、私は本当に10代の頃からそれができなかった。
学校でも一人浮いている子だったんですが、そのままでも自分の信念を押し通して、もちろん苦労もしたし、辛い時期もずっとあったんですけど、タネを回収した今となっては我を押し切って良かったと思っています。
自分がやりたいことを求めることに対して、「世間でこう言われているから」とか「周りから反対されるから」というのは全部気にしなくていいと思っています。やりたいことはやり切る。お金とか社会的地位なんて後からついてくるので、一直線で自分がやりたいことだけを追求した方が、人は多分幸せになれます。
ーー最後に、CompTownではどのような人材を求めていますか?
CompTownでは主に制作とアニメーターを募集しています。何より大切なのは、私たちの理念に共感してくれること。心のこもった丁寧な作品を作りたいという思いを持ち、そのために一緒に努力できる方を待っています。アニメーションは個人の力ではなく、チームで作るもの。一人ひとりの力を合わせて、より遠くへ行ける仲間と一緒に、素晴らしい作品を作っていきたいですね。
CompTownで働くことに少しでも興味をもっていただけたら、ぜひお気軽にお話ししましょう!