人とのご縁を大切に、能動的に働くのが信条。
そう語る開発事業部のNさんは、16年勤めた銀行系不動産会社の管理職のキャリアを経て、一念発起して今村不動産にジョインした経歴を持ちます。これまでのキャリアや安定を捨ててまでチャレンジを選んだ理由、今村不動産だからこそ実現できた仕事やそのやりがいについて聞きました。
人生の節目を目前に、まだまだチャレンジしたいと思った
ー 不動産業界ひと筋のキャリアだとうかがいましたが。
大学は法学部だったのですが、必ずしも法曹の世界に進みたいとは思っておらず、将来的に法務知識をビジネスで活かせれば…と考えていました。同時に、将来に向けて様々な資格勉強に取り組むなかで、チャレンジしていたのが不動産鑑定士です。学ぶにつれてその専門性の高さに魅力を感じ、将来は不動産鑑定士の仕事がしたいと思い、新卒では不動産鑑定部門があった銀行系列の不動産会社に入社しました。
営業職からのキャリアスタートでしたが、ちょうど入社翌年にリーマンショックが起こったことで不動産取引も停滞し、入社後2~3年は思うように成果が出せませんでした。4年目からは徐々に市況も回復しだし、私自身も一人で完結できる仕事が増え、お客様から直接喜びのお声をいただけるようになったことで営業職の面白さを実感。不動産鑑定士は確かに立派な仕事ですが、私には直接お客様とやりとりを重ねて「ありがとう」と言ってもらえる営業の仕事が性に合っていると感じ、鑑定士の資格取得は断念して営業職を突き詰めるように舵を切りました。
ー その後16年間も勤められていましたが、転職のきっかけは何だったのでしょう?
40代を目前にこれからの仕事やキャリアについて想像したとき「このまま仲介業を続けていて、先はあるのだろうか…」と、ふと立ち止まって考えたんです。法人相手の仲介営業として、銀行はもちろんファンドや開発会社、建築会社など幅広いお客様相手に仕事を進めるのは楽しくやりがいもありましたし、年齢を重ねるにつれて役職も上がり責任感も増していました。ただ、いまの組織にいてもある程度その先のキャリア像が想像できたこともあって「このまま続けても出来ることや仕事の幅は広がりそうにない…」という漠然とした不安を感じました。それで、せっかくならこれまでの経験を生かしながら、不動産開発など他の分野にも挑戦してみたいと考えるようになったんです。
同時に、当時の会社の体制にも少し疑問を感じるようになっていました。銀行系の不動産会社だったので、良くも悪くも経営は安定はしています。その反面、300名に迫るほどの組織規模だったのでどうしても融通が効きにくかったこと、あるタイミングの人事異動で銀行色が以前より強くなり堅苦しくなったことに、仕事のしづさらを覚えるようになっていました。
加えて、入社当時はなかった転勤の話が出だしたことも転職を考えるきっかけになりました。子供がまだ小さいということもあり、慣れ親しんだ大阪で家族との時間を大事にしたい、一瞬しかない子供の成長をそばで見守りたい、転勤で家族に迷惑をかけたくない。そして、自分のさじ加減ではなく会社の経営方針などで自分の人生が左右されるのは嫌だなと。それで、思い切って転職を決意して、今村専務に相談したんです。
ー 今村不動産の専務とは旧知の仲だったとか?
そうですね。専務が社長と今村不動産を立ち上げる前、前職の時代に知り合ったので10年以上の繋がりです。当時は同じ不動産仲介業で住まいも近く、同い年だったこともあり、情報交換がてら食事に行く機会もありました。その後、今村不動産を立ち上げたこと、会社として採用を強化していることも聞いていたので、もし良ければ…という形で相談して。そんな縁もあって入社することになりました。
社長ともお話させていただき、幅広いジャンルの開発を手がけるチャレンジングな会社でありながら、社内整備や体制づくりにも心を注いでおられること、新しい仕事に貪欲に取り組める環境に魅力を感じたのが転職の決め手でしたね。
想像以上に自主性が求められる環境
ー 入社後にギャップや戸惑いはなかったのでしょうか?
ある程度は予想も覚悟もしていましたが、待っているだけでは仕事ができないこと。それこそ前職は規模も大きく、研修やフォロー体制など仕事を進めるうえでの手厚さがありましたが、当時スタートアップの今村不動産は良くも悪くも主体性が試される環境。仕事が与えられるのを待つのではなく、自ら考えて能動的に動くことが求められました。
同じ不動産業界といえど、仲介業から開発業に転職したので、仕事の進め方も違って戸惑いもありましたが、仕事に向き合う姿勢や考える癖、なにより度胸がついて、まだ入社して2年弱しか経っていませんが、自分でも成長を感じられています。個人の創意工夫やチャレンジを認め、後押ししてくれる自由な社風は、今村不動産ならではの魅力だと思います。
ー なるほど。どんな工夫をされたんですか?
まずは自社の営業スタンスや他の営業担当の案件をとにかく頭に叩き込んで、営業量を増やしました。今村不動産がこれまでどんな資料を作って、どんな提案をしてきたのか。何が効果があって、どんな物件を買ってきたのか。それをもとに、自分なりにできることを考え実行していきました。なにしろ営業先は不動産の仲介会社、つまり過去の自分なんです。
見えてきたのは、会社として幅広い物件購入と開発を行っている強みがあるのに、それが営業先である仲介会社に十分に伝わっていないのでは?ということ。入社当時はたまたまロードサイド店舗の開発案件が多かったこともあり「今村不動産=ロードサイト店舗開発」と、業界内でもなんとなく認知されていました。そこで、手始めに営業先に対する社外アピールを強めたいと思って、月1回のメールDMの配信を自主的に行うことに決めました。
会社としてどんな物件を買ったのか、現在進行中の開発案件、その逆にどんな販売物件を保有しているのか…など、仲介会社が欲しい情報、目に引く情報、読みたいと思える情報の発信を、毎月コツコツと続けました。その結果、いままで入ってこなかったジャンルの物件情報もまわってくるようになったので、これまでの長年の仲介業の経験を少しでも営業に活かすことができた!と自信につながりましたね。この活動は変わらず続けています。
不動産にまつわることは、なんでもやりたい
ー 同じ不動産業でも仲介と開発だと随分違いますね。入社後の開発案件で印象に残っているプロジェクトはありますか
入社して「度胸がついた」というのがまさにそうで、仲介業はどちらかと言えば売買の間に立つので、物件の査定などでもリスクを避けて落とし所を探すように、保守的に立ち回ることが多いかもしれません。一方の不動産開発業は、将来の販売を見越して「物件を仕入れる」のが仕事のスタートです。市場や将来性を見極めながら開発と収支の計画を立て、多少のリスクを取ってでも物件購入する胆力が必要です。
印象に残っているのは、入社後はじめての案件で扱った大阪市内の700坪程度の倉庫用地。解体業者や測量士の方などと密に連携をとりながら、開発から売買の一連の流れを経験できたのは良かったのですが、それだけ土地が広いと地中埋設物や埋蔵文化財がある可能性も高くなるので、そのリスクを折り込んだ進行が必要でした。結果的に無事にプロジェクトは遅延なく進行し、最終的には建物を解体して一般法人に買っていただけました。
直近だと、岸和田市の家族葬会館の開発も印象的ですね。こちらは前職のOBの方からご紹介いただけた入札案件ですが、土地を買い付けて既存の建物を解体すると同時に、リーシング会社ともタッグを組んでテナント誘致を行い、投資物件として開発するという流れでした。土地としての汎用性があまり高くなく、競合先は値段が伸びなかったのですが、今村不動産の場合はこれまでの幅広い開発ノウハウや経験をもとに、よい値付けが出来て案件化することができました。
ー すでに幅広いジャンルの開発に取り組まれているんですね!
入社から1年半で既に6件が案件化していますが、様々なジャンルの開発に携われているので、覚えることも多く大変ですが毎日刺激的で楽しいです。仕事の幅を広げたいと望んでいた通りのキャリアを進めていると思います。少数精鋭でスピード感を持って仕事ができる、ある程度自分の裁量と責任で進められる環境だからこそ、やってやろう!という気にもなる。
物件買付けに関してはある程度経験を積めたかなと感じていますが、まだ自分では取り扱えていない介護系施設や医療ビル、マンションなど取り扱える案件の幅をもっと広げていきたいですね。
お客様から情報をいただいた時に、実績がないからとお断りするのではなく、幅広く検討提案できるようになりたい。お客様になんでも相談いただける、ひとまずお声をかけていただける。それが、いい意味で事業特化していない今村不動産の強みであり、私自身の強みでもありたいなと思います。
なにより大切にしたいのは「人との縁」
ー 最後に、これからも大切にしたい仕事感について教えてください
人と人とのご縁を大切にしたい。どんな仕事もそうだとは思いますが、不動産開発業は特に1人でできることは限られています。売主様がいて、仲介会社がいて、買主様がいる。その双方にご満足いただけるよう事業化と物件開発を進めるために、協力会社の方々とチームになって仕事を進める。そんな縁を大切に紡ぎながら、どんなプロジェクトにも取り組んでいきたいですね。それが、当社のミッションである「不動産の存在価値を上げ、地域社会に貢献する」にも繋がると思っています。