最近、私たちは「多拠点居住」に注目しています。
なぜ今、多拠点居住なのか。その話をする前に、少しだけ待機児童の話から始めます。
2014年ごろ、世田谷区の待機児童問題が大きく取り上げられていました。当時の私は博士課程を修了したばかりで、子育てとは無縁。それでも、子育て中の友人が何人かいたこともあり、印象に残っているニュースです。
https://www.asahi.com/articles/ASV8W3DYSV8WUTFL00NM.html
それから時が経ち、待機児童の問題がなくなったわけではないものの、以前ほど頻繁には耳にしなくなりました。
一方、休日に二子玉川や砧公園へ行くと、驚くほどたくさんの子どもたちがいます。少子高齢化が進む社会のなかでも、子育て世帯が特定の地域に集まっていることを実感する光景です。私の故郷・岐阜ではなかなか見られないため、なおさら印象に残ります。
待機児童の問題も、公園に多くの子どもがいる光景も、子育て世帯が特定の都市へ集中していることの表れなのかもしれません。
なぜ、これほど多くの人が都心に集まるのでしょうか。
おそらく都心は、単に「仕事をする場所」ではありません。保育や教育、買い物、文化、コミュニティなど、暮らし全体を支える基盤がそろっています。働く場所が自由になっても、生活の拠点までは簡単に移せない。その背景には、こうした暮らしの利便性があるのではないでしょうか。
コロナ禍では一時的に都心からの転出も見られましたが、都心に暮らしたいという需要そのものが失われたわけではありませんでした。
もちろん、仕事へのアクセスや教育環境など、理由はいくつもあります。でも、その根っこには、理屈だけでは説明できない強い魅力があるのではないでしょうか。
リモートワークが広がっても、多拠点居住は増えなかった
コロナ禍をきっかけに、働く場所の自由度は大きく上がりました。
以前から「二拠点居住」という選択肢はありましたが、リモートワークの普及によって、もっと身近な暮らし方になるようにも見えました。
ところが、感染拡大が落ち着くと、一定のオフィス回帰が起こりました。リモートワーク自体は定着したものの、二拠点居住や多拠点居住が、誰もが選べる一般的な暮らし方になったとは、まだ言いにくいでしょう。
考えてみれば、当然かもしれません。
住まいを増やすには、お金がかかります。家族や学校のこともあります。移動や家の管理、地域との関わりも必要です。「毎日同じ場所へ通勤する」という制約がなくなっても、暮らしには簡単に動かせないものがたくさんあります。
都心の引力は今も強く、多拠点生活はまだ「できる人がやるもの」という印象から抜けきれていません。
では、なぜ多拠点居住は広がらないのでしょうか。
私たちは、人の暮らしに「主」と「副」があること、そして動かせない「主」を抱えたまま新しい拠点を持つと、「副」にまで責任や負担が生まれることが関係しているのではないかと考えています。
暮らしには「主」と「副」がある
ここでいう「主」とは、仕事や子育てのように、優先順位が高く、簡単には動かせないものです。
一方の「副」は、日常から少し離れ、心身を回復させ、自分を取り戻すための場所や時間です。旅や帰省、余暇、別荘での滞在などが含まれますが、必ずしも第二の家を所有することを意味しません。大切なのは、日常とは異なる環境に身を置き、継続的に戻れる選択肢があることです。
私自身、起業家として事業を進めるなかで、子育てはまさに「一大事業」だと感じています。
子どもの成長について知識では理解していても、いざ当事者になると、毎日が初めての連続です。思いどおりにはいかず、その時々の状況を見ながら判断し、試し、改善していく。事業運営と驚くほどよく似ています。
どれだけ子どもがかわいくても、子育ては「完全に自由な時間」ではありません。むしろ暮らしの中心にある、簡単には動かせない「主」です。
共働き世帯なら、仕事と子育てという二つの「主」が重なります。毎日が、やるべきことでいっぱいになるのも無理はありません。
待機児童の問題は、仕事と子育てを両立しようとする世帯が都市部に集中する一方で、それを支える環境整備が追いつかなかった結果とも捉えられます。
多拠点居住を考えるうえで忘れてはいけないのは、人には簡単に動かせない生活の中心がある、ということです。
それでも人は「副」を求める
とはいえ、人は「主」だけでは走り続けられません。
たまの旅行では、思った以上にお金を使ってしまう。おいしいものを食べても、もう少し楽しみたくなる。心地よい時間に、ずっと身を任せていたくなる。
これは単なる贅沢ではなく、忙しい日々のなかで溜まったものを解放するための、自然な欲求なのだと思います。
お盆休みになると、毎年のように渋滞のニュースが流れます。混むと分かっていても、多くの人が帰省や旅行に出かけます。
もちろん、会社の休暇や学校、家族の予定が同じ時期に重なるという事情もあります。それでも、混雑を承知で移動する姿からは、日常を離れ、家族や故郷との時間を持ちたいという強い欲求も感じます。
普段の生活を大きく変えられないからこそ、限られた休暇のなかで「副」の時間をできるだけ充実させようとしているのではないでしょうか。
私自身も、そうした暮らしのなかで育ってきました。
「主」は譲れない。でも、そのままでは息が詰まってしまう。だからこそ、人は「副」の時間を求め、そこで回復しようとします。
このバランスは、心地よく暮らし続けるために欠かせないものなのだと思います。
多拠点居住が難しくなる瞬間
多拠点居住といっても、最初の一歩は二拠点居住です。生活の中心となる場所を残しながら、もう一つの拠点を持つ。
ところが、この最小単位でさえ、実際に始めてみると難しさが見えてきます。
大きな理由は、「副」であるはずの場所が、いつの間にか「主」のような重さを持ってしまうことです。
人は「副」を求めています。しかし、そのために住居をもう一つ持つと、移動費や維持費、家の管理、地域との付き合いなど、新しい責任が生まれます。仕事道具や日用品が分散し、子どもの学校や習い事との調整も必要になります。
拠点が増えるほど、やることと責任も増えていきます。動かせない「主」を抱えたまま、「副」まで固定的な生活拠点に変えることに、多くの人が難しさを感じるのではないでしょうか。
本来はリフレッシュするための「副」だった場所が、新たな仕事のように重くなってしまう。これでは、多拠点居住が一部の人にしか成立しないのも無理はありません。
仮説は「主と副を逆転させない」二拠点居住
そこで、私たちが考えている仮説はシンプルです。
「主」と「副」の関係を変えない二拠点居住をつくればいい。
仕事や子育てなど、生活の中心を無理に動かさない。今ある責任や日常を崩さない。そのうえで、きちんと「副」の時間を持てる仕組みをつくる。
私たちが多拠点居住に期待しているのは、まさにこの点です。
「主」を守りながら、「副」で回復する。忙しい日々をただ我慢するのではなく、無理なく続けられる暮らしに変えていく。
そのためには、住居の所有を前提としないこと、利用していない期間の負担を抑えること、移動や準備の手間を減らすこと、家族の生活リズムを崩さないことなどが重要になりそうです。地域との関わり方も、最初から重い役割を背負うのではなく、無理のない範囲で少しずつ深められる設計が必要でしょう。
「主」と「副」が逆転してしまう二拠点居住は、ごく一部の人にしか続けられません。だからこそ、私たちは「逆転させない設計」を、事業として考えていきたいと思っています。
では、多くの人が無理なく続けられ、事業としても成り立つ二拠点居住とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。
この仮説を、これから検証していきます。
今後の記事では、具体的なアクションをご紹介します。