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キャリア不安を払拭した「編集」という軸。やりたいことがなかった学生が、インフォバーンの「女将」になるまで。
インフォバーンで働く社員へのインタビュー企画。今回は、企業のマーケティング支援事業を行うIBX(INFOBAHN EXPERIENCE)部門のコンテンツ・ユニット(Web編集制作チーム)に所属されている永瀬夏海さんです。
インフォバーンに入社する前から、編集者としてのキャリアを歩まれてきた永瀬さんですが、実は新卒で働かれたのは病院の事務のお仕事。そこから、雑誌編集やフリーランスの仕事を経て、2021年11月にインフォバーンに入社されました。
お話をうかがうと、波乱万丈なキャリアパスをたどられたと感じさせる永瀬さんですが、実は学生時代から長らく「特にやりたい仕事はなかった」そうです。編集者という職についたきっかけや、そこからインフォバーンで働くまで、これまでの人生を語っていただきました。
聖歌隊で歌う中高時代、ミュージカルを演じる大学時代
――永瀬さんのご出身はどちらですか?
地元は埼玉県川口市なんですけど、中学からは東京にある中高一貫校に通ってました。茶道部にも入りつつ、ミッションスクールだったので聖歌隊で歌を歌っていましたね。
――部活で聖歌隊って珍しいですね! 合唱部ともまた違いますよね?
ミッションスクールだと、学校の季節のイベントも宗教行事なんですよ。イースター礼拝があったり、クリスマス礼拝があったり、入学式や卒業式も入学礼拝とか卒業礼拝とかで。毎朝、礼拝がある学校だったので、必ず朝1時間目が始まる前に、ぞろぞろとみんなで学校内の礼拝堂に行ってました。
そこで聖歌隊が聖歌集にある歌を歌うんです。結婚式で流れる歌のイメージですね。それを毎朝歌いながら、部活みたいな感じなので放課後には練習があったりとか、夏合宿に行ったりしました。基本的に日々の礼拝と、季節行事の礼拝で歌うことが目的です。
――大学に行ってからも、サークルに入ったりして歌は続けていたんですか?
歌はやめちゃったんですけど、サークルはミュージカル部が大学にあって、ミュージカル部に入っていました。歌あり、演劇あり、ダンスありという感じで。学祭で公演をしたり、1年に1回、劇場を借りて舞台を開催したりしてました。
もともとダンススクールに通って、ダンスもしていたんですけど、高校を卒業したときに一回辞めたんです。それで、何をやろうかなと思ってた時に、歌も辞めたし、ダンススクールも辞めたし、じゃあミュージカル部に入ろうかなと。
――ミュージカルって、いきなりやるにはハードルが高そうですけど、演者として出ていたんでしょうか?
演者として出ていました。でも、そんなに大きい団体じゃなかったので、劇場を借りる手続きをしに行ったり、照明の打ち合わせをしたり、いろいろやりましたね。
――そこで「ミュージカル女優になる!」みたいな夢は抱かなかったんですか?
いや、全然。演劇は好きだったんですけど、それが仕事になるとは思わなかったんですよね。編集者もそうで、その部活でパンフレットをつくったりはしていたんです。台割を引いて、コメントを取って、印刷所に入稿して、小冊子をつくるみたいなことを一人でちんまりと。
でも、そういう自分が好きでやっていることが、当時は仕事になるとまったく思わなかったので、別に仕事でやりたいこともないし、行きたい会社もなかったんですよ。実家が好きだったのでなるべく転勤がなさそうで、どうせなら世のため人のためになる仕事がいいなと思って、病院に事務職として就職しました。
――編集者で病院に勤務した経歴がある方は、そうとう珍しいですね。病院勤務ってどんな感じですか?
患者さん、受診者さんのために奔走する日々でした。正直、労働時間はかなり長かったですね。主に私がやっていたのは、人間ドックや健康診断のために来院された方を接客する仕事だったんですけど、その日中の業務のほかに事務作業もする仕事があって、そっちは日中にはまったくできないんですよ。だから、夕方から始めて、夜に帰るような働き方でした。
ある日突然、演劇雑誌が休刊! 職場が倒産!
――そこから編集者になったのは、どういう経緯で?
病院に2年ぐらい勤めたときに、やりがいはあったんですけど、ずっと同じ仕事をするイメージが湧かなかったので、転職しようと思ったんですよね。それで転職活動をしたら、たまたま『シアターガイド』という演劇雑誌のアルバイト募集を見つけて、採用された感じです。
――出版社はたくさん募集があるわけでもないなか、未経験でよく入れましたね。
そのときも特に「編集者になりたい!」みたいな想いはなかったんですけど、現状を変えたい気持ちが強くて、いろいろと求人サイトを見ていたんです。そこで、たまたまアシスタント募集の求人が出ていて、履歴書をすぐに送りました。
自分が読んだことのある雑誌で、好きな演劇関係のお仕事だったし、何か書いたり編集したりする仕事にうっすら興味はあったので。でも、本当にそれぐらいのゆるふわな志望動機でしたよ。
――いやいや、永瀬さんの人生としてはピッタリだったんじゃないですかね。ただ、それまでの仕事とはまったく違いますよね?
そうですね。その雑誌の全体構成が、前半は俳優、演出家、脚本家といった演劇関係の人のインタビュー記事を載せて、後半は東京を中心とした劇場での演劇の公演情報を載せるんです。その両方をやっていました。
いろいろな方を取材しました。みんなが知っているような芸能人っぽい俳優さんや人気アイドルの方々も日常的に取材していました。
――それは好きな人には堪らない仕事ですね。
私は運が良かっただけです。最初はアルバイトで入って、途中で社員にしてもらって。ただ、突然会社が倒産してしまったんですよ。『シアターガイド』しか出していない、すごく小さな出版社だったんですけど、ある日、「明日で業務停止なので、今日中に荷物を全部まとめてみなさん出て行ってください」と言われまして……。そのまま雑誌も休刊に……。
――ええっ! それだと次月号の制作も進んじゃっていますよね?
進んでました。なので、そこから全部作業を止めて、お詫びをして。ちょうど次に発売する号の見本誌が刷り上がってきたタイミングだったので、その見本誌を自宅に持って帰って、仕方ないので自腹で郵便局から関係各所に送りましたね。
――それが最終号になったわけですね。いや~、めちゃくちゃハードな体験ですね。
本当に突然、「今日で終わりです」という状態だったので、すぐどこかに転職しようとは思えなくて。贅沢な話なんですけど、「実家暮らしだし、まあしばらく就職しなくてもいっか」と思ったんですよ。ただ、もちろんまったく収入がないと困るので、そこからしばらくフリーランスとして仕事をしていました。ライターの仕事だったら、取材して書いて納品したら、それで完結する仕事じゃないですか。そういう働き方をしながら、就職したくなったら転職活動を始めよう、という気持ちでした。
――でも、編集やライティングのお仕事ってスキルだけじゃなく、発注してくれる側とのパイプも必要じゃないですか?
休刊になったときに、他のメディアの方から編集部全体にお誘いがあったんですよね。元編集長のところに「興味ある人がいたら、うちで働かない?」と声をかけていただいて。そのつながりで、ご挨拶をしに行って、「こういう記事なら書けそうです」といった打ち合わせをして、細々とお仕事をいただくようになった感じです。まさか自分がフリーランスでお仕事をするとは思っていなかったので、最初は内心どきどきでした。あと、元いた編集部の人で、新しい雑誌を立ち上げた方もいたので、その編集の手伝いもフリーのままちょこちょこやったりしていました。
――では、演劇系の記事がメインですか。雑誌の編集者だと自らライティングをしたりもするので、やっていること自体はそれ以前とそこまで変わらなそうですね。
そう、演劇で、そこまで変わらないですね。『シアターガイド』は小規模な編集部で、時間があったら自分でインタビュー記事の原稿を書いてたんです。だから、そんなにライティングにも抵抗はなくて。その自分で書いた記事が自分の名前とともに雑誌に載っていたので、フリーの仕事をはじめたときに、ポートフォリオとして記事を見せながら売り込みができたんですよ。それで、少しずつ「それなら今度、いついつ取材が決まっているので、行ってもらえますか」みたいな形で声をかけてもらえるようになりました。
紙の編集から、オウンドメディアの編集へシフト
――フリーランスでも順調そうですが、そこにコロナ禍が来てしまったんですね?
そうなんです。コロナ禍で自粛になって、演劇のメディアどころか、演劇の公演自体がいったん全部なくなったんですよね。もう少しフリーランスで頑張ってみようかなと思っていたんですけど、仕事がゼロになって。
これはマズいと、とりあえず転職エージェントに登録したんです。いろいろと面接を受けるなかで、決まったところが医療系雑誌の編集部でした。もともと病院で働いていたし、インタビューすることにも慣れていたので、雇ってもらえたのかなと思います。
――医療と編集。2つの線が交差した感じがしますね。医療系雑誌というと、病院とかに入れるような?
いや、toC向けで、お医者さん選びの雑誌みたいな感じですね。健康情報のコラムが入りつつ、お医者さんを探すときに参考になる、クリニックの先生のインタビューがたくさん載っているような雑誌でした。
昔、働いていた医療の現場の経験もすごく役に立ったし、面白かったんですけど、その雑誌をやりながら、その編集部でオウンドメディアの立ち上げがあって、それも面白くてWebのほうに興味を惹かれていったんです。それで次第に、その一つだけのオウンドメディアを数人で運用していくより、もっと刺激がほしいと思うようになって、転職活動を始めました。
ただ、また転職エージェントに登録するんですけど、出版社とか紙ベースの編集経験者を雇ってくれるWeb系の会社が、なかなかなくて。転職エージェントも何社か使ったんですけど、「あなたの経歴では、Web系の仕事なんて無理ですよ」みたいなことを言われて、門前払いされたところもありました。履歴書も通りにくいし、なかなかすんなりとは転職できなかったですね。
――インフォバーンだと、出版社出身の社員も多いですし、ウェルカムですが、そこは企業によって違うんでしょうね。永瀬さんは、インフォバーンのことはご存じだったのでしょうか?
いや、詳しくは知らなくて、たまたまエージェントから紹介された会社でした。ただ、その前の会社でオウンドメディアを一緒に立ち上げていた先輩が、実は元インフォバーンの社員で、ちょくちょく昔の話を聞いていたんですよ。選考が進む途中で気づきました。
その先輩は、すごくお仕事ができる方で信頼していたので、「この人がいたところだったら、良い会社なんだろうな」と思って、内定をいただいてすぐに入社を決めました。
――すごい偶然ですね。
「こばへん(※インフォバーン創業者/会長である小林弘人の愛称)と一緒に取材に行ったりしていた」とおっしゃっていました。何か縁を感じましたね。
――自社メディアで編集の仕事をするのと、クライアント企業のオウンドメディア運用をするのとでは、かなり違いもありそうですが、そこは気にされなかったんでしょうか?
あんまり気にしていなかったですね。振り返ると私は、ずっとクライアントワークに近いことをしていたんですよ。演劇雑誌を編集していたときも、演劇業界はあまり広くはないので、取材する先の会社や劇団が限られてるんです。その人たちの公演を定期的に取材するので、なるべく良い関係を築く必要がある。だから、依頼を受けているわけではないんですけど、クライアントワークに近いところがありました。
医療系雑誌も、お医者さんからお金をいただいて記事をつくる記事広告主体の雑誌で、業態としては完全にクライアントワークでした。だから、インフォバーンに入って、何かカルチャーショックを受けることはなかったですね。
――なるほど。
ただ、違いを感じたのは「運用」という視点ですね。雑誌だと記事が校了して流通したら、それで基本的に終わるんですけど、Webの場合は記事が半永久的に公開されるし、メディアを運用する目的で記事をつくっているわけじゃないですか。だから、より長い見通しで考えなきゃいけないなと思うようになりましたし、クライアントとの接し方も、その案件が続くという想定のもとで関係性を築いていくようになった気がします。記事をつくることがゴールじゃなくて、記事をつくった先があるお仕事だなと感じます。
――入社してからは具体的に、どんなお仕事をされていますか?
多くはオウンドメディアの運用案件ですね。入社したのが、保険会社のオウンドメディアがローンチするタイミングだったんですけど、その案件はずっと担当しています。医療保険に紐づく記事も多いので、病院や医療系雑誌で働いていた経験が活かせるところにアサインしていただけたなと思います。最近は、いわゆるタレントさんのインタビュー記事も担当するようになったので、これまでの仕事と似たところもあるかもしれません。
――入社してからの1年半で、何か変化はありましたか?
その案件のコンテンツプランニング領域を最初から担当されていた先輩がいて、その下につく形で私はコンテンツ制作をしていたんですけど、その方が産休に入られたことで、私が後任としてそのポジションに入ったんです。それから少しずつ仕事の流れが変わってきた気がします。
それまでは記事単位で企画を立てて、記事を実際につくって納品してきたんですけど、そのメディアの方向性とか、このタイミングでどういう記事があるといいのかとか、全体をプランニングする仕事に少しずつシフトチェンジしてきていています。これまでできなかったことができて、面白いですよ。
――ある種、編集長みたいな感じですね。雑誌だと一誌に編集長の席は一つですけど、インフォバーンはクライアントのオウンドメディアをたくさん運営しているので、そのポジションにつける可能性は高そうですね。
それはすごく感じていますし、いち編集者のマインドを持ちながら、編集長の視点も持つ人のほうが、インフォバーンでは前向きに仕事に取り組める気がします。ただ目先の仕事に追われるような働き方だけでなく、自分が旗を振る感覚を持てるようになって、仕事が楽しくなってきました。
私はもともと、「一旗あげてやりたい!」みたいなマインドがあるわけじゃないし、インフォバーンにはすごく優秀な方が多いので、その人たちがつくる面白い企画や原稿を最初に見られるのは有意義だなと思っています。
「編集」スキルを磨けば、キャリアはなんとかなる!
――コンテンツディレクターのユニットでは、全員が自分自身にキャッチコピーをつけているんですよね?
私は〈女将〉ですね。これは私が付けたというより、先輩が最初に言い始めたんですよ。今年に入ってから新入社員のトレーナーをしてるんですけど、その子が私と最初に会ったときに、「永瀬さんは女将みたいな人だから大丈夫だよ」って、その先輩から言われたそうで。命名したご本人に尋ねたら、「旅館の女将みたいにメンバーの面倒を見ながら、案件を回している」ってことらしくて。私が関わっている案件はとにかく大所帯なので、みんなが心よく働けるように適宜調整をしているポジションの人間なんだと思います。
――職場としての良さは感じられますか?
インフォバーンの良さは、編集者がいっぱいいるところです。刺激がそれだけ多いんですよ。それも私が入った一つの目的で、これまでは比較的小規模の編集部でこじんまりとコンテンツ制作をする仕事が多かったので、もっとたくさん編集者がいて、いろんな企画や意見を出し合えて、刺激を受けられるようなところに行きたかったんです。その希望は叶っていますね。
考えている企画を誰かと話して整理したり、アドバイスがほしいときってあると思うんですけど、インフォバーンにはいろんな経歴を持つ方がいるので、その都度、その企画にあった適任の相談相手が見つかりやすいという安心感もあるんです。
――そんななかで、永瀬さんは入社から2年弱が経ちましたが、キャリアの展望としては、どのようなことを考えられていますか?
すごくありがたいことに、キャリアに関しては年々不安がなくなってきています。正直、最初に新卒で病院で働いていたときは、かなり将来への漠然とした不安が大きかったんです。振り返って、その不安が何だったのかを考えると、今やっている仕事をずっとやる以外、もう選択肢がなくなるんだろうなと思っていたんですよね。健診の予約の電話を朝から夕方まで取り続ける仕事とか、病院の受付で来院者の応接をする仕事とか、やりがいはあって嫌なわけではないけど、10年、20年、30年と同じことを自分が続ける未来はイメージできなかった。
その点、「編集」は応用しやすいポータブルスキルだと感じていて、実際に編集の仕事を経験できたから、会社が潰れてもなんとか仕事をし続けられています。今は、記事制作から離れてプランニングするポジションを担っていると言いましたけど、それも編集経験があればこそなんですよね。
だから、その「編集」というポータブルスキルを磨き続けていけば、時代が変わってもなにかしらの仕事はできるかな〜と思えるようになって、年々不安が和らいできました。
――良いですね。「ずっとやりたいことがなかった」とおっしゃっていましたけど、「編集」という一つの軸があることで、永瀬さんのキャリアはくっきりとした筋道がある気がします。
本当に学生のときに考えていたキャリアとは、まったく違いましたね。こんなに転職するなんて考えていませんでしたし、むしろ最初は病院なら潰れる心配もなくずっと働けそうだと思って就職していましたから。
――最後にこの記事を読んでいただいた方に、メッセージをお願いします。
先ほど話したこととも重なりますけど、コンテンツマーケティングやオウンドメディア運用といった長期的なコンテンツ制作が、インフォバーンはしっかりできる環境だと思います。クライアントさんごとに何か課題があって、それを解決するためにコンテンツをつくりながらメディアを運用していくことを、一貫して考えていける面白さがあります。
あと、すごく意思決定が早い会社だとも思っています。「よしやろう!」となったら、どんどん進んでいくので、何か待たされるモヤモヤみたいなものはないですね。とにかくPDCAを回して、うまくいかなかったら改善していく。そのスパンが早いです。
――ぜひ、インフォバーンが気になった方は、採用募集に応募してほしいですね。ありがとうございました。