病室の窓は、いつも少しだけ開いていた。
風が入ると、カーテンがゆっくり揺れる。その音が好きだった。
「また来たよ」
そう言って椅子に座ると、彼はいつも通り何も言わない。
当たり前だ。もう、声は出ないのだから。
それでも私は話し続けた。
今日あったこと、くだらないニュース、昔の思い出。
返事がなくても、ちゃんと聞いてくれている気がしていた。
「覚えてる?あの時、私が転んでさ」
彼の口元が、ほんの少しだけ動いた気がした。
たぶん気のせい。でも、それでよかった。
医者からは、もう長くないと言われている。
覚悟はしているつもりだった。
でも、本当は全然できていなかった。
帰り際、私はいつも同じことを言う。
「また明日ね」
その日も、同じように言って部屋を出た。
——翌日、彼はもう目を開けなかった。
ベッドの横に立っても、いつもの気配がない。
あんなに静かなのに、どうしてこんなに苦しいのか分からなかった。
「ねえ、起きてよ」
返事はない。
「…まだ、話してないこといっぱいあるのに」
涙が止まらなかった。
何を言えばよかったのか、何を伝えればよかったのか、
今さら考えても、もう遅い。
看護師がそっと肩に手を置く。
その温もりで、やっと現実だと理解した。
——帰り際、ふと窓を見た。
いつも通り、少しだけ開いている。
風が入って、カーテンが揺れる。
その音の中で、確かに聞こえた気がした。
「…ありがとう」
振り返っても、誰もいない。
でも、不思議と涙は止まっていた。
私は小さく頷いて、こう答えた。
「またね」
もう明日は来ない。
それでも、その言葉だけは、嘘にしたくなかった。