朝、営業車の鍵を手に取ったとき、
昨日と同じ重さなのに、
なぜか少しだけ違う感触があった。
鍵の金属が冷たくて、
その冷たさが指先に残ったまま、
車に乗り込んだ。
エンジンをかけると、
いつもの音が響いた。
変わらない日常の音。
変わらない朝の始まり。
でも、
その“変わらない感じ”が、
今日は少しだけ気になった。
昨日、ある店舗の担当者から電話があった。
「また来てもらえると助かります」
短い一言だった。
急ぎではない。
大きな問題でもない。
誰かに責められるわけでもない。
ただ、
その声のトーンが、
妙に心に残った。
忙しさの中で、
自分が後回しにしていた店舗だった。
行こうと思っていたのに、
予定の隙間に入れられなかった場所。
「また来てもらえると助かります」
その言葉は、
お願いというより、
“期待”に近かった。
営業車を走らせながら、
ふと、
自分がこの仕事を始めた頃のことを思い出した。
右も左も分からず、
店舗に行くたびに緊張して、
担当者の表情を読み取ることに必死だった頃。
あの頃は、
毎日が“初めて”で、
毎日が“挑戦”だった。
今は違う。
慣れた。
できるようになった。
段取りも分かる。
効率も上がった。
でも、
慣れたことで、
どこかで“熱”が薄くなっていたのかもしれない。
営業車の窓から見える景色は、
いつもと同じだった。
信号も、道路も、建物も、
昨日と変わらない。
なのに、
自分の中だけは、
少しずつ何かが動き始めていた。
「今日、行こう」
そう思った瞬間、
胸の奥で小さな火がついた。
誰かに言われたわけじゃない。
ノルマでもない。
評価のためでもない。
ただ、
“自分がやるべきだと思ったから”
その理由だけで、
静かに火がついた。
店舗に着くと、
担当者は驚いた顔をした。
「来てくれたんですね」
その一言が、
火を少しだけ強くした。
店内を見て回ると、
補充が必要な場所がいくつかあった。
新製品の案内もできた。
展開の乱れも整えられた。
どれも大きな仕事ではない。
派手な成果でもない。
数字にすぐ反映されるものでもない。
でも、
“やるべきことをやった”
その感覚が、
思っていたよりずっと重かった。
帰り道、
営業車のエンジン音が、
いつもより少しだけ力強く聞こえた。
やる気って、
誰かに押しつけられて出るものじゃない。
大きな目標を掲げた瞬間に湧くものでもない。
静かに、
ふつふつと、
自分の中で火がつく瞬間がある。
その火は、
派手じゃない。
大きくもない。
でも、
消えにくい。
今日、
その火がついた。
そして、
明日もきっと、
もう少しだけ強くなる。