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Frich代表インタビュー (前編)

Frich株式会社は、2019年末まであまり多くの情報を公開してきませんでした。
このたび、代表の富永がそのビジネスについて初めて本格的に語ります。
前編は「Frich創業にかける想い」です。

2019年9月、Plug and Play Japanが日本初の出資案件を発表した。
その投資先とは「Frich(フリッチ)」。
おそらく関係者の多くがその名を検索しただろう。しかし、InsuTech(インシュアテック)スタートアップということはわかるものの、ホームページは1枚きりで公表されている情報もほとんどなく、一体どんな会社なのかわからずに首をかしげた人が多かったのではないだろうか。
今回、代表取締役CEOの富永源太郎さんにインタビューを行い、“謎のスタートアップ”Frichの核心に迫ってみたいと思う。 *聞き手 Ryo (フリーライター)


Q まずは創業時期について教えてください

Frichは2018年1月に創業しました。


Q なぜこのビジネスを始めようと思ったのですか?

きっかけは2011年3月11日の東日本大震災です。

あの震災で福島を始め数多くの人たちが犠牲になりました。あの震災を前に、私を含む数多くの人たちが自分の無力さを痛感し、そして苦しんでいる人たちに何か1つでもできる事はないだろうかと心底悩んだのではないでしょうか。

私もものすごく悩みました。そして普段はコンビニのレジ横にある募金箱にせいぜい5円ぐらいしか寄付することがないのに、あの震災以降、何かにすがるような思いで500円、1000円・・・、と少ない金額ではありますが、誰かに届けと思って寄付するようになりました。

その後時が過ぎ、世間も私も震災の記憶が薄れていくにつれ、本当にお恥ずかしい話ですが、正直申し上げて、誰かがどこかで苦しんでいたのだとしても、どこかで誰かがそれを支えているだろうと勝手に思い込むようになりました。つまり自分の中で誰かを助けたいと言う思いを消費し尽くし、その感情に“飽きた”頃にはもう被災者の方々のことをすっかり忘れているという、なんとも恥ずべき状態になっていました。

しかし、2015年地方創生の仕事で会津若松を訪れたときのことです。「応急仮設住宅団地」と書かれた看板を見つけました。

その看板は応急と書かれてありながら、実はアルミ製の“恒久”のものであり、私を含む人々の心の大きな矛盾を映し出している鏡のようでした。

その時、私は今までの自分を大きく恥じました。

誰かを助けたいという気持ちは本当に心からのものでしたが、しかしながら自分が行った行為と言うものは、結局は困っている人の思いや生活その他全てを自分に都合良く費消するものに過ぎなかったのだ、と。

それ以来、誰かを助けると言う事は何を意味するのか、助け合うという事は一体どんなことなのか迷う日々が続きました。

そんな中で出会ったのがP2P 保険のコンセプトでした。


Q 震災の経験が大きなきっかけになったのですね。ではP2P 保険のコンセプトと富永さんが考える助け合いとはどのようなものなのでしょうか?

これだ、と一意に答えられるようなものはまだ見つけられていません。

現在我々がたどり着いているのは、本来助け合いというものはサスティナブルであるべきだと言うことです。

つまり、一時の感情や衝動に任せて自分本位の何かをすることではなく、あくまで相手本位であり、できる範囲で構わないから、継続的に相手と関わっていくことなのだと思っています。


Q すごくよくわかります。私も震災直後に言われた絆と言うものがなんだか1つのブームのような気がしてしまい、違和感を覚えたのを記憶しています。
少し具体的な話をしていただきたいと思いますが、ではそのような助け合いをどのように実現されようとしているのですか?それがp2p保険になるわけですよね。

そうです。我々が考えるP2P保険とは、コミュニティーベースの助け合いを基礎としています。

何も難しいことをしようとしているのではなく、昔から日本人になじみのある助け合いの仕組みを現代のテクノロジーを使ってアップデートしようと言うだけなのです。

それは町内会や互助会だとかと言う類ものです。


Q どんなふうにアップデートしようとしているのですか?

そもそも昔からあるコミュニティは、地縁や“(昔からの)お付き合い”といったある種のリアルなつながりが基本となっており、SNSで複数の集団に属するようになった現代においては、やや窮屈に感じられるものになっています。

また、グループの運営も非常にアナログであったり、会の活動が見えなかったりするし、あまり気軽にやれるものではありません。

地縁という空間的制約や“お付き合い”といういわば“歴史的な制約”(編集者注:非常に長い時間拘束されるような制約という意味)を超えて、同じ悩みを持つ友人達とSNSでつながり、その互助組織をスマホで簡単に作る。SNSなどで連絡を取り合い、困ったことがあれば、少なくとも金銭的には何らかのセーフティーネットがあり、困った人を励ます仲間もいる、そういう助け合いの仕組みを作りたいと思っています。


Q 同じ悩みを持つ友達同士スマホで簡単にと言うのが大きなポイントですね。保険だと、金銭補償以外に、何らかの役務を提供するとか現物給付をするとかは考えていないのでしょうか?

もちろん視野には入っています。例えば、震災のことで悩んだ経験から、災害に遭われた女性や、赤ちゃんを抱えるお母さんには、プライバシー等が確保された避難所を提供できるようにしたいなど、思うことは沢山あります。

しかし勘違いしてはいけないのが、リアルが関係する取り組みは、Frichのような小さなベンチャーが一足飛びに実現できるような簡単なものではありません。

また、我々が実現したいのは、万が一の事態が発生した後も継続してサポートできるような仕組みです。

志だけで生きているような小さなベンチャーですので、我々がやるべき事はまずは絞らなければなりません。

そしてそれは今のところ、コミュニティの提供と、保険の世界でいうところの金銭給付なのだと考えています。


Q もう少し具体的に教えてください。

やはり東日本大震災の時に読んで辛い思いをした記事があります。

その記事は福島で無農薬の作物を作っていた農家のご主人の話でした。長年かけて作り上げててきた自慢の無農薬畑が放射能に汚染されたことで、生きる希望をなくし、自ら命を断った、それを息子さんが発見したと言うものでした。そのご主人は自分の畑にプライドを持っており、学校で近所の子供たちに食育の機会を提供することを生きがいとしていたそうです。

その記事を読んだとき、当時の私は、この人の絶望を和らげ、生きる希望を持っていただけるような励ましを一体誰ができるのだろうかと思いました。

今でも思います。きっとそれは誰にもできなかったのだろうと。

しかしこうも思うのです。確かに生きる希望を与える事はできないかもしれない。しかしもし、再起をサポートしてくれるようなコミュニティが日頃からあれば、畑を失っても生きていくのに必要な金銭がすぐに受け取れる仕組みがあれば、と。そしてそれがすぐ想起されるような仕組みがあったのなら、と。

そんな針の穴ほどの小さな希望に期待せずにはいられないのです。

ですからわれわれはまず、困ったときにはFrichがあると思い出していただけるような存在になりたいと思っています。

そしてその価値とはコミュニティの存在であり、そんなに大きな金額ではないが生きていくのに希望を持てる程度の金銭の存在なのだと思っています。

金銭面でのサポートに加え、コミュニティを中心とする助け合いこそが、現代において人が文化的な人生を生きていくための最低限の仕組みであり、継続的な支援なのだと今は信じています。


なるほど。ありがとうございました。ぜひ継続的な助け合いの仕組みを普及していただきたいです。
次回はビジネス面について更に詳しく伺いたいと思います。

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