~2020年新卒入社の社員が書いたコラムです。~
シマダグループ介護事業所属、匿名の新米フリーライターです。皆様の生活のふとしたことを、介護と重ねて考えてみました。
例えば、行列に並ぶ私たちにメニューが手渡されたとき。
目的の階に着くまで、エレベーターの鏡で身だしなみをチェックしているとき。
「待たされている」感覚がほんのちょっと和らぐ瞬間があります。
1年以上前ですが、twitterでこんな面白いつぶやきを見つけました。
娘との「ちょっと待ってて」「いーやー!」のやり取りがストレスだったから、「ちょっと待ってて」と言わずに「ちょっと踊ってて」と言うようにしたらストレスがなくなった。踊る娘も楽しそうだし、そんな娘を見てる私も楽しい。
席が空くのを待つ時間を、メニューを決める時間に。
目的階に着くのを待つ時間を、前髪と姿勢を整える時間に。
パパとママが手が空くのを待つ時間を、踊る時間に。
「待つ」という
どうしようもない空白の時間からいったんログアウトして違うフェーズに目を向ける。
別のコンテクストを挿し込む、ないしは別の場面に変換することでやり過ごす。
このようなことを、介護業界の先人達は「外す」と呼びました。
(学術用語ではなく、筆者の優秀な先輩たちがただそう呼んでいるだけなのですが。)
もちろん、立てばよろめき、歩けばつまづく高齢者に
「踊っててください」なんて言うものなら
入居者様がそこら中でバッタバッタと倒れる地獄絵図ですので(注:盛ってます!)
私が実際に現場で見ている一例を皆様にご紹介します。
日が傾いてくると、小学生の娘を迎えに行かねば!と不安な気持ちになってしまう認知症のO様
(本当の娘はもう50代でとっくに働いているのですが)。
「娘様はもう大人ですからその必要はありません、ご飯になるまで座っていてくださいね」
と正直に伝えても、やっぱり心配で仕方のないおばあさんは腰の曲がった小さな体で娘様を探して徘徊し続けてしまいます。
ご本人は混乱し焦っているので転んでしまう危険性が高い状況。
職員が隣についていれば良いのですが、どうしても他のことで手が離せないことがあります。
そのおばあさんを動かしているのは
娘のために、人のためになにかしてやらなければ、という優しい責任感。
それを見抜いた職員は洗い終えたタオルを手渡し、
「お願いがあるんです。このタオル畳んでいただけませんか?」と声を掛けます。
O様の視線が、そこにはいないはずの娘様から洗濯物に転換される。
人のためになにかしなくては、というおばあさんのエネルギーが
洗濯物を畳んであげる行為で解消される。
そうすると徘徊するのを止めて落ち着いてコーヒーを飲んでいられる。
「ありがとうございます!大変助かりました!」とお礼を伝えると、
「こんなことしか出来へんけど」と笑ってくださる。
「娘を迎えに行く」を外して
「洗濯物を畳む」に変換する。
そうすることで、人の役に立った満足感がご本人の不安と焦燥感を軽減し、
ご家族様に会えない寂しさを少しは埋められるのかもしれません。
正直に言うと、この方法が毎回うまくいくわけではありません。
人は十人十色ですし、人間にはその日の気分というものがありますから、解のあり方に汎用性はありません。
ただ、正解がないわけでもありません。
それはいばらの介護道を走り始めたひよっこ筆者にとって頭を悩ませることの一つであり、
また面白さと奥深さを感じるポイントでもあります。
むしろそうしたケースバイケース、情報や環境の違いに応じて複数の正解を導き出し、
入居者様にとって快適な場を共有することが介護職の専門性なのかなと考えるようになりました。
A watched pot never boils. 見つめる鍋は煮えない、という言葉があります。
鍋を前にして早くお湯が沸かないかな〜と思いながら待っているとなかなか沸かないけれど、
一旦忘れて別のことをしていればいつの間にか沸いている、という意味です。
冒頭でも触れたように、混雑したレストランの行列に並んで今か今かと待ち構えるよりも
メニューを眺めながら友人と話していたほうが待ち時間は短く感じるものです。
見つめる鍋から、混雑した店内から、娘を迎えに行かねばという思い込みから、
いったん「外す」。
そうすることで私たちの日常生活においてもストレスを軽減し、気持ちを軽く出来ることがあります。
秋が近づいてきました。食欲の秋にはいろいろな料理を作ってみたくなりますが、
鍋から目を離したせいで火事だ……!なんていうことにならないよう、お気を付けください。
おわり