ここ数ヶ月、特にビジュアル表現の領域において、AIの存在感が一気に増したように感じています。
SNS広告のクリエイティブや動画、街で見かけるチラシ、さらには企業のプロモーション素材まで、「これ、AIで作られているな」と感じる場面が明らかに増えました。
おそらく、多くの人が同じような感覚を持っているのではないでしょうか。
そして正直に言うと、私自身はまだAIによって生成されたビジュアルコンテンツに対して、どこか引っかかる感覚があります。
それは技術的な完成度の問題ではありません。むしろAIが生み出すビジュアルは驚くほど高品質です。
それでも、「一目見て感じるAIらしさ」を感じた瞬間に少し距離を置いてしまう自分がいます。(わずかに、ネガティブな感情すら抱いてしまいます。)
しかし、この感覚は本当に普遍的なものなのでしょうか。
考えてみれば、私たちはまだAIが大量に生成するコンテンツに慣れている途中にいます。
これから数年にわたってAIによる表現がさらに一般化し、人々が日常的に触れるようになったとき、「これはAIだよね」という認識自体が特別なものではなくなるかもしれません。
(シンプルに、より見分けのつかない程にクオリティーが上がる可能性が高いとも考えます)
そうなれば、今私たちが感じている違和感や警戒感は次第に薄れ、AIで作られたこと自体が評価の対象にならなくなる可能性があります。
そこで気になるのが、人間が作ることの価値です。
AIに対する許容度が高まった世界では、人間が作ったもの、人間が出演しているもの、人間の手が介在していることそのものの価値は高まるのでしょうか。
あるいは逆に、AIがあまりにも自然に社会へ溶け込んだ結果、「人間がやっている」という事実自体は、私たちが今想像しているほど特別な価値を持たなくなるのでしょうか。
AIが進化している今、議論されることの多くは「何が作れるようになるか」です。
文章が書けるようになった。
画像が作れるようになった。
動画が生成できるようになった。
音楽まで作れるようになった。
日々、新しい技術や事例が登場し、そのたびに私たちは「AIはどこまでできるようになるのか」という話題に目を向けています。
もちろん、それは非常に重要なテーマです。
しかし、私が最近気になっているのは、その少し先にある変化です。
AIが当たり前になった世界で、人間は何に価値を感じるようになるのか。
こちらの方が、実はもっと大きな変化なのではないかと思っています。
私たちは今、「AIは何ができるか」を語っています。
しかし数年後に振り返ったとき、本当に大きな変化として残るのは、「人間が何に感動するようになったか」「何に価値を感じるようになったか」なのかもしれません。
もしAIによる生成物が世の中に溢れ、それが当たり前の風景になったとき、人間が作ったことそのものに価値を感じるようになるのか。
あるいは、作り手が人間かAIかということ自体が重要ではなくなり、純粋にアウトプットだけが評価される世界になるのか。
正直なところ、今の私にはまだ答えがありません。
人間が作ったという事実そのものがブランドとなり、希少価値として評価される未来も十分にあり得ると思います。
一方で、AIが社会に深く浸透し、人々がそれを自然に受け入れるようになれば、「誰が作ったか」よりも「何が作られたか」が重視される未来もまた十分に考えられます。
どちらの可能性も高い。
そして今は、まさにその分岐点に立っているような気がしています。
だからこそ、AI時代のクリエイティブを考えるうえで本当に向き合うべき問いは、「AIが何を作るか」だけではなく、「AIによって人間の感覚がどう変わるか」なのではないでしょうか。
私たちはこれから何に価値を感じるようになるのか。
人間が作ることの価値は高まるのか、それとも変わっていくのか。
皆さんはどう思いますか?