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45歳で転職。出向で社長。ー大沼 裕ー

Photo by Sean Pollock on Unsplash

この記事を最初に書くにあたり、
人生折り返し地点に来たかなと感じてる所からの開始となります。
ただいま45歳。

現在地は20年ちょっと勤めた総合病院向けの電子カルテ開発をしている企業を退職し、医事課さんの業務委託や介護施設の運営などを手がける企業に、サラリーマン中に縁があり作る事になった企業と共に、これもご縁で参加させていただく事になった。という状況です。

医療業界をITを使って便利な世の中にしてゆくというお仕事

この医療IT業界に入る切っ掛けは、高校3年生卒業間近で阪神大震災にて被災し、そこから医療関係の仕事に何かしら携わりたくて、IT関係の技術の追っかけやWebシステムの開発などを大学生の頃から少しずつ始めてきました。医療系そのものにも興味あったものの学力的には全然ダメで。

当時は初めて買った富士通のFMVを分解して、以降は自分で組み立てる所から取り組んでいた記憶があります。それ以前も実家には既に社会人だった年の離れた姉がおり、パソコンなどが自宅にあって触らせてもらっておりました。

親に迷惑ばかりかけ、学力も大してない所ではありますが、数学だけある程度出来たので一浪後大学に進学し、のんびりIT系中心の学習をしつつ、経営学、ブレインストーミングなど興味のある事だけどうにかこなしつつ卒業。
就職にあたっては医療+ITの仕事ないかなと探していたら、大阪でプログラムを10日間チャレンジして結果が良ければ採用だという50名程の変わった会社に遭遇しそこである程度結果が出せたので、採用された次第です。

とりあえず何でもシステムを作ってみる事から

入社後は実家から通うのではなく、一人暮らしをしながら勤務する事になり、まぁ実家も被災して両親は別の地域で生活しているもので私にとっては故郷でも何でもなかったもので、会社の近所にアパートを借りて必要になるプログラム用のPCや、総合病院で使うドメインサーバー、ExchangeServer、SQLSERVERなどを毎月給与の半分以上のお金をぶっこんで環境を作り、仕事をしながら自宅に帰ってからも開発をするという事を繰り返しておりました。

アパレル企業で自分で服を買って研究したり、夜間に職場のスタッフ同士で髪を切り合うとか技術の向上って所での取り組みと似たようなものだと思っています。他、周辺の人達が困っていたら、その問題を解決する為のプログラムはどうやったら組めるかって事を日常生活の中に組み込んで、近所の不動産屋の物件管理や、勤怠管理や、開発支援ツールや、データ分析や、ソースコード管理など、とりあえず何でもコードで表現しながら生活。

医療機関向けの仕組みをずっと作ってみましたが、患者さんというか今この記事をお読みになっていただく方の医療的な情報、カルテがいつまでたっても本人の手元に電子的に届かずに、自分の血液検査とか身体状況を踏まえて自己分析して健康的に暮らすって事が一向に叶わなかった事もあって、のんびり個人向けの電子カルテという事を考え始めておりました。

広域災害に対して何か着手したいという想いは残り続け・・・。

会社でも作る気はなかったのでただの趣味です。
趣味と表現しないと当時は成立しませんでした。
ずっと被災時に亡くなった、幼稚園、小中高まで一緒だった同級生の事が頭から離れません。常に何かしら行動しないといけないのではないかという思いになります。

自分の中では大先輩で友人ですが、「こうやって一緒に同じ時代を生きているのだから、出来る人が出来る事をお互いすればいいんだよ」とその医師は言ってくれます。私はプログラムが多少は組めるので、それで表現出来る事は行動で形にしてみようと、とりあえず何でも行動し続ける事になります。

被災地から離れて生活してしまうと、記憶も薄れていってしまいます。
色々分岐点にさしかかったり、悩んだ時は、自分を律する為に当時住んでいた住宅の近所を歩くようにしています。

                   被災時には学校での避難生活

自分の検査結果などを使って、最初血圧とか体重とか、そんな記録から始めて、検査結果から、薬の情報から、被災した時の事を考えて、自宅外にちゃんと保存してみようと、外部サーバーに保存する仕組みから作ってみて、マイクロソフトさんがAzureとか.net ってテーマでサーバー立ててくれたので、そこに保存する機構を作ってみて、セキュリティ的な所は実際に誰かに使ってもらうものでもなく最初はコンセプト的な所だけだったので自由に作りつつ、世の中の傾向に会わせて少しずつ改良を加えてゆく事になります。

           発売されたばかりのiphoneを使って色々触ってた気がします。

2001年~2010年くらいまでは、作ってもデザイン的にもしょぼくて、人に利用してもらうには少々厳しいサービスにしかなりませんでした。
Webデザイナーとかに憧れた事もありましたが、毎月Webデザインの本を読むくらいしか出来なくて、通常のサラリーマンの開発をしつつ、個人的に開発するという事は個人の仕事も深夜になる事もあったので、苦戦。3年連続で春頃に自律神経がおかしくなり、入院。

何年前か分からないふりかけを使いコンビニのお惣菜と組み合わせ自炊した翌日高熱に襲われます。カンピロバクターというのにやられ、高熱と下痢、点滴してたら便は緑になるし、看護師のお姉さんには座薬をぶっこまれるわで、自ら招いた結果で周囲に迷惑をかけてしまい、一人で生きていてたらこりゃ死ぬなと思って婚活。
この時も自分の体の中がどのようになっていたのかは全く分かりません。全部医療従事者の方にお任せで命を預け回復してゆく事に。

忙しい先生方をこんな自ら招いた体調不良の為にお時間を取らせてしまう事になります・・・

散々IT系の仕組や書籍、パソコンにお金をかけてきたので、貯金なんて全くありません。たまたま後輩の引越をお手伝いして実家の車を借りて手伝ったのを切っ掛けに知り合った女性と結婚。自分はお金があると使ってしまうもので、財布は全部預けて管理してもらう所から。こちらはひたすら働きます。当時の私は血行が悪く、顔色がねずみ色だったとの事。

結婚1年後、妻に重大な病気が見つかり、手術を数回。無事にある程度大丈夫な状況にはなり、子供も授かり、そこで自分の生き方に一旦ブレーキがかかります。

全国の病院を訪問してシステムの構築を行う状況でしたので、一旦は内勤を希望し、開発職を降り、教育担当や情報システム部門に部署異動します。
子供もある程度大きくなった時にはまた現場に出る事にはなりますが、数年は子育てや家の事も出来たのかも。
振り返ると家事を出来てたとは言え無かったかもなとも思いつつ。
妻の両親には今もですが大変お世話になりました。

自分の命は医療業界で使い切りたいという想いから

病気の発見は病院ではなく人が見つけるもの。改善するのも人に大きく依存する事を知ります。病院がどれだけ大きくても、検査の器機がすぐれていても、それを発見できる医師、医療従事者に巡り会わなければ適切な選択は取れません。
自ら情報をたぐり寄せて、繋いでゆかないと、選択肢も凄く狭いものになりました。施設間での専門医とのやり取り、紹介の仕組みもここで実際に患者家族として体験します。この際、親身になってくれる方とは別に強烈に業務的な流れ作業で医療をこなす医師にも遭遇します。振り返ってもその時の選択がよかったのかどうかはわかりませんが、大病から18年近く経過した今も妻と子供と顔を見て話しをする事が出来ているので自分の中では後悔はしていない状況です。
たまたま総合病院の電子カルテという業務に携わり、人の繋がりで当時の治療方法や手術方法に行き着きます。

ずっと温めてきた仕組みを本格的に作る切っ掛けについては一度に書くと長くなるので別日にしてみます。

https://note.com/qolms/n/n652de06ebd4e

エムジーファクトリー株式会社は2022年3月、医療事務・介護・保育事業を展開する株式会社ソラストのグループ会社となりました。
https://www.solasto.co.jp/

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