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1人ひとりの志を種に、個性と主体性を引き出す

ゼロから学んだ実践経営学

現社長 佐藤寛之は子どもの頃から「将来会社を継ぐんだよ」と言われ続けてきたから、経営についてずっと意識はしてきたという。経営学や会計学の知識は、学校や本を通して身につけてきた。

しかし、PHP研究所が主宰する「松下幸之助経営塾」に参加し、教科書で学んだ経営学と実際の経営とは、全く次元の異なる世界であることを痛感した。
「お恥ずかしい話ですが、講義を聞いてもほとんど意味がわからないのです。とにかく、全六回の日程を休まず出席する。それでとりあえずは卒塾させていただいたというのが、正直なところです」

これが全くムダな経験だったのかといえば、そうではない。経営塾をきっかけに、さらに経営者としての学びを深めていくことになる。その過程で出会ったのが、京セラ創業者・稲盛和夫氏の経営哲学を学ぶ「盛和塾」だった。

自分の人生体験から、心の大切さや魂を磨き高める重要性を感じていたが、それをはっきりと言葉にした教えに初めて出会い、感動を覚えた。そして、稲盛氏が松下幸之助に大きな影響を受けていることを知って、再び松下幸之助の著作に触れ、「経営塾」での学びを思い返すようになった。すると、当時は理解できなかったことが、時を経て次第に腑に落ちるようになってきたのだという。

「松下さんは、誰にでもわかる平易な言葉を使われます。だからこそ、そこにある深みはなかなか理解しづらいのです。例えば『雨が降れば傘をさす』という言葉です。
経営塾でこの話を聞いた時、私はいまいちピンときませんでした。
しかし、稲盛さんを通して幸之助さんの哲学に触れることで、これは余計な計らいをするのではなく自然の理法に従うことなんだと、じわじわとその言葉の重みがわかるようになってきたのです。

経営塾を卒塾してから数年が経っていた。
この頃から、マネジメントスタイルは大きな変化を遂げていくのである。

「内発的動機」に焦点を当てる

それまでは、「頭の中で考えた」マネジメントをしていた。
例えば、自分が方針を打ち出せば「部下はその通りに動いて当たり前」と思っていた。
しかし実際は、人は理屈だけでは動かない。そのことに対して、イライラを募らせ、さらに部下に厳しく当たる。すると、ますます部下の心は離れていく......という悪循環に陥っていた。

「心のどこかに“経営を担う者はスーパーマンでなければならない”という思い込みがありました。
だから物事はすべて自分一人で決め、トップとして指示命令する。それが上に立つ者の仕事だと考えていました。部下の意見に耳を傾けるとか、人の気持ちに寄り添うなんて発想はありません。今思えば、それは自分の劣等感の裏返しだったと思います。理屈で他人を追い詰めることで、自分を守ろうとしていたのです」

人を動かすことに大きな壁を感じていた時、とある経営の学びの場の中で、

「内発的動機」「外発的動機」

という言葉に出会う。

自分の興味や関心、そこから生まれるやりがいや達成感など、自分自身の内側からの要因で行動する場合は「内発的動機」である。
報酬や評価、罰や叱責など、外側からの要因で行動する場合が「外発的動機」だ。

外発的動機は

一時的で長続きせず、外側からの働きかけがなくなれば、すぐに行動の動機を失ってしまう。

一方、内発的動機は

自分自身の内側から出ているので、外側からの要因に左右されない。自分の価値観に基づいて行動を選択するから、自律的で責任感のある行動になる。

内側から湧き上がる動機がなければ、人は本当の意味で力強い行動はできない。上司の仕事は、部下の内面から出るものを支え、その発露を促進していくことだと気がついたのだ。

ただ、実際に行なうのは簡単なことではない。外発的動機づけなら、目に見える賞罰で比較的一律的な対応ができるが、内発的動機は人によって異なるので、個々人の内面に個別に対応していかなければならない。また、動機が明確な人もいれば、やりたいことが何なのかよくわからないなど、人によって温度差もある。

何が人に内発的動機を発露させるのか――そこが問題だった。

頭に浮かんだのは

「志」

だ。
「立志」という言葉があるように、志こそすべての出発点である。志あるところにこそ、力強い内発的動機が生まれる佐藤にはそう確信する理由があった。それを知るためには、青年期まで、時計の針を戻す必要がある。

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