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なぜ学習塾の仕事を生業としたのか?

合計12箇所の塾に通った経験

私は幼稚園から大学までずっと私立の学校に通っていました。小学校受験、中学受験、高校受験、大学受験…加えて大学編入受験も経験しており、その間に通った塾は合計で12箇所(家庭教師含む)

集団指導塾、個別指導塾、個人塾、予備校、家庭教師…あ、今思い出しましたが小学校低学年の時にやっていた進研ゼミも入れれば13箇所です。

特に小学校の時は7箇所もの塾(家庭教師)を転々としており、まさにいわゆる「塾ジプシー」な子供でした。

ただ、通塾距離や、転々と変わる環境を物ともしないタイプだったので当時はそんな状況をとても楽しんでいましたし、勉強のことでこれだけの労力とお金をかけてくれた両親にとても感謝しています。


将来の夢

親の会社は継がないことだけは漠然と決めていました。

父は土木(水道)の会社を創業社長として経営していました。現場にも出ていて1年中日焼けしていました。

中学生の頃から、夏休みなどの長期休みの時に親の仕事を何度か手伝ったことがありました。現場に出て穴掘りをする、店舗の水回りの解体作業、井戸を掘る、、、など。とにかく夏は暑く、冬は寒い。本当に重労働でした。(ああ、親はこうしてお金を稼いでくれてるんだ)と実感でき、同時に親が創った会社を継いで働いても、親以上の仕事をすることはできないな…と思いました。


自分は将来、何がしたいんだろうと考える中で、中学生の時に「テレビに携わる仕事がしたい!」と急に将来やりたいことが見つかりました。中高一貫校に進学したのですが高校受験を考え、中学1年から塾に通いました。地元千葉・市川の雄「市進学院(市川進学教室)」を選びました。


杉田先生と話したこと

市進学院は集団塾で、成績順にクラスが分かれていました。クラスは1番上のクラスをキープし続けることができました。

他の中学の友達ができました。私は男子校の中学に通ってましたが、塾で彼女もできました(この文を打っていて親に申し訳ない気持ちが再燃していますw)


中学3年の夏、中高一貫校で周りが誰も受験しない中で受験勉強をし続ける事へのモチベーションの枯渇と、その彼女との失恋が重なりました。しかも先生が気を利かせてくれて彼女はずっと隣の席でしたw

私は数日、塾をサボりました。2週間ほどして担当の杉田先生に塾に呼び出されました。「なんで授業をサボってるんだ?」の問いに、正直に気持ちを話しました。

すると先生は「良平は地頭がいいし、そんな理由で勉強する手を止めるのはもったいないぞ?性格的にもテレビの業界は向いてると思うし踏ん張りどころだから頑張れ!」と言ってくれました。加えて「彼女も…良平みたいなのは大学でモテるタイプだから!」と言ってくれました。

今考えたら、大学でモテるタイプって何でしょう?高校ではモテないんですかね(笑)?

でも先生の言葉がうれしかったのを強烈に覚えています。特に大学でモテるの言葉に食いついた私はw杉田先生に「大学って楽しいですか?」と聞きました。楽しいから絶対に行った方が良いぞと言われました。


数分の話し合いでしたが、よしもう一度頑張ろう!という気持ちと、大学に行きたい!という気持ちになり、その後の進学につながります。


「いや、こんな話もしていいんですね~」という私の言葉に対しての、今も覚えている杉田先生の言葉。


「(塾の)先生は生徒にとって一番身近な大人なんだよ。親とも、学校の先生とも距離感が違う。勉強だけじゃなくて、日常のこと、人生のこと幅広く話ができる存在。生徒にとっては身近にいる話をいてくれる大人なんだよな。」

現場で教室長をしている時、この言葉を大切にして「身近な大人、話を聞く大人」であり続けました。


生徒たちにとって、我々は本当に身近にいる大人です。そして、その接点やひと言で子供たちの人生を良き方向変えることができます。こんなにやりがいある仕事、他にないだろう!?と思っています。




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ふと思いましたが、当時の杉田先生が30代半ばくらいだとして、今はもう定年くらいの年齢です。今でも塾の仕事をしてるのかな~

先生に言われた通り「大学でモテましたよ!」って報告したいなあと思いました(笑)

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