【インターン生インタビュー】前橋高校からN高へ、そしてアメリカの Often-Top 大学へ。不登校を経験した僕が、CATENASで「情報×教育」の未来を創る理由。
プロフィール:橋本 龍之介(はしもと りゅうのすけ) 群馬県出身。中学時代に完全不登校を経験するも、2年かけて克服し群馬県立前橋高校へ進学。入学後、自身のやりたい活動との両立のため、わずか3ヶ月でN高等学校(通信制)へ転学。高校2年時、不登校の不可逆な構造を変えるべく「NPO法人あすしるべ」を設立。その後、CATENASが運営する「Gity」や教育事業「Socius」と出会い、教育の個別最適化と情報学の可能性に目覚める。2026年秋より、アメリカのPitzer College(ピッツァー・カレッジ)へ進学予定。
―― 橋本さんは高校生にしてNPO法人の代表を務め、この秋からはアメリカの大学へ進学されるそうですね。非常にアクティブですが、どのような中学生時代を過ごされていたのですか?
実は、僕のキャリアの背景には「完全不登校」の経験があります。中学1年の9月、学校と家庭の両方で問題が多発したことをきっかけに、パタリと学校に行かなくなりました。もともとすごく社交的で好奇心旺盛、自分の能力にも強い自信を持っていたので、自分が「不登校」になったという現実をしばらくは受け入れられませんでした。
転機は不登校になってから半年後、「誰かと顔を合わせて話がしたい」という一心で、久しぶりに学校へ行ってみたんです。でも、そこで待っていたのは残酷な現実でした。
「勉強も、運動も、会話すらも平均以下。かつての自信がすべて崩れ去った、再登校の絶望」
授業の内容はさっぱり分からないし、体育をやればすぐに息が切れる。友達と言葉が詰まってうまく話せない。今まで自信を持っていたことがすべて失われていて、本当に絶望しました。でも、「あの何もなかった不登校の毎月に戻るほうが絶対に嫌だ」と思ったんです。そこから2年かけて、3週間に1回の登校から、ほぼ毎日学校へ行けるようになるまで、地道に出席日数を増やしていきました。
―― そこから這い上がって、県内トップの進学校である前橋高校に合格されたのは驚異的です。高校受験では苦労も多かったのではないですか?
出席日数の問題があったので、埼玉県の私立高校の「確約制度」はすべてのコースで落とされました。公立高校の入試でも、内申点が低すぎるせいで、同じ高校を受ける他の受験生の平均よりも「マイナス60点」という凄まじいビハインドを背負った状態からのスタートでした。それでも死に物狂いで勉強して、なんとか合格を掴み取ったんです。
ただ、この不登校を克服して進学校に進んだという経験が、僕の視点を大きく変えることになりました。
「『不登校からの社会復帰が絶望的になる』という、この社会の不可逆な構造はおかしい」
僕が不登校を克服できたのは、周りの人の理解やサポート、そして「もともと勉強や運動が得意だった」という、恵まれた環境と能力があったからに過ぎません。裏を返せば、普通の人が一度不登校になったら、学校や社会に戻ることはほぼ不可能な構造になっているんじゃないかと気づいたんです。実際、僕の学年はコロナ禍も重なって8人に1人が不登校でした。
この不条理な構造に疑問を持ち、「自分の経験を社会に還元したい」と強く思うようになったのが、すべての原動力です。
―― その後、前橋高校からわずか3ヶ月で通信制のN高等学校に転学されています。ここにも大きな決断があったのですね。
前橋高校が求める圧倒的な勉強量と、自分が在学中にどうしてもやりたい「不登校支援の活動」を並行することは難しい、と入学早々に気づきました。そこでGW前には親に転学の相談をして、7月にN高へ転校しました。
周囲からは驚かれましたが、僕にとっては自己最適化された生活を保ちながら、やりたいことに全力投球できる最高の環境でした。生活が落ち着いた高校2年の10月頃から、本格的にNPO法人設立の準備を始めました。
―― 高校2年生でNPO法人「あすしるべ」を設立されたのですね。そこからCATENASとはどのように繋がっていったのでしょうか。
法人登記は完了したものの、指針となるアドバイザーもいない中、ただの高校生だった僕は「何から手をつけたらいいのか」が分からず、留学も重なって活動が先延ばしになっていました。そんな時、ある不登校支援団体との繋がりから、CATENAS社員の清水さんに出会ったんです。
海外大学を志す高校生として、様々な人が集まり会話が生まれる場所があると聞いて、カテナスが運営する「GITY」に足を運びました。
「一歩足を踏み入れた瞬間、脳を殴られたような感覚。GITYは僕にとって『刺激の塊』だった」
学校外での活動に熱量を注ぐ大学生や、面白い活動をしている社会人が当たり前のように交流している。置かれている機器も含めて、ただ学校に通っているだけでは絶対に得られないものばかりで、一瞬で魅了されました。
そして、初めて訪れたその日に、教育事業である「Socius」の会議と授業を見学させてもらったんです。生徒一人一人の個性に試行錯誤しながら寄り添う様子を見て、「この個別最適化された教育は、僕がやりたい不登校支援に直結する」と直感しました。その場で「僕もSociusに参加させてください」と伝え、そこから毎週コミットするようになりました。
―― 実際に「Socius」で活動してみて、どのような経験や学びがありましたか?
最初は夜の授業に「半講師・半生徒」のような形で参加していましたが、新しく昼の時間帯にフリースクール形態の授業を立ち上げることになってからは、そちらを中心に関わっています。
フリースクールの現場は、あらかじめ用意した教材や指導案が通用しないことばかりで、講師の柔軟性が強く求められます。僕は生徒よりも一回り年上ですが、大学生講師と呼ぶにはまだ若い。既存の塾なら扱いにくい存在だったはずですが、Sociusではその「間っこの年齢」という僕の個性を強みに変えられるよう、うまく役割を調整していただきました。
また、ミーティングでシステム開発のメンバーと話したことも大きな衝撃でした。
「教育という泥臭い実践の場に、テクノロジーを鮮やかに落とし込んでいく。その姿を見て、僕は『情報学』に恋に落ちた」
それまで開発は自分とは無関係だと思っていましたが、彼らが現場に最適なシステムを作って落とし込んでいく様子に圧倒されました。それまでは不登校支援に直結する教育学や社会学に関心があったのですが、技術を使って「サービスをゼロから生み出せる情報学」の力に、激しく惹かれるようになったんです。
また、何より嬉しかったのは、通信制高校に通いながら学業とSociusの活動を両立している僕の姿を見て、ある生徒が進路の選択肢に「通信制高校」を入れてくれたことでした。僕の生き方そのものが、誰かの選択肢を広げるきっかけになれたんだ、と心の底から救われた気がしました。
―― 素晴らしい。Sociusでの経験は、アメリカの大学への進学(入試)にも影響を与えたのでしょうか。
間違いなく大きかったです。僕が進学するPitzer Collegeは、3年生の最初に専攻を決めれば良いリベラルアーツ・カレッジです。だからこそ、自分の興味を広げてくれる多様なスキルや、面白い人がたくさんいるCATENASの環境は、僕の進路に向き合う上で必要不可欠でした。Sociusで必死に学びながら、自分の経験やスキルを現場に還元していったプロセスは、大学側にも大きな評価として受け止めてもらえました。
―― 現在取り組んでいることと、これからの未来のビジョンについて教えてください。
今は秋の大学進学に向けての準備期間です。自分自身の英語の勉強を続けながら、これまでに培ったスキルを「英語を学びたい」と思っているSociusの生徒たちに還元しています。また、他の講師の先輩からアドバイスをもらいながら、大学の先取りとして数学の学習も進めています。
「アメリカで最先端を学び、いつか日本へ。教育の個別最適化と情報格差の是正に人生を捧げたい」
将来的には、アメリカで身につけたスキルを持って必ず日本に帰ってきたいと考えています。そして、良いタイミングで「教育の個別最適化」と「情報格差の是正」に本気で取り組むつもりです。
カテナスに出会う前まで、自分がまったく興味のなかった分野(情報学など)にこれほど深く関わっている今の状況に、我ながらすごくワクワクしています。これからも多くの人と出会い、Sociusのモットーでもある「学び・成長」を死ぬまで続けていきたいです。
もし、今の学校生活や環境に窮屈さを感じている人がいるなら、自分の可能性をその狭い世界で決めつけないでほしい。GITYやSociusには、あなたのこれまでのどんな経験も「価値」に変えてくれる打席が、いつでも開いています!