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未経験業種・職種への挑戦。文系だった僕がエンジニアに転身して考えたこと

自分の“やりたい”ことなんてなかった大学時代 “なんとなく”で生きてきた

僕にはいわゆる“やりたいこと”がなかった。大学三年生の就活も、震災の影響はありましたが、「就職難」というほどでもありませんでした。だから、大学生にありがちな「名のある企業をいろいろ受けてみよう」という気持ちで就活に臨んでいたんですよね。

僕のファースト・キャリアは「地方銀行の営業職」なんですが、いわゆる「お堅い」職です (笑) 僕の父親は郵政で働いており、「民営化プロジェクト」が進んでいる真っ最中を経験しています。そんな働く父親の背中をみながら、新しいことにチャレンジをする・世の中を改革する仕事をしたい、と思っていました。

一方で、学生らしい打算も働いており(笑)大学までストレートで進学できたので「失敗はしたくない」というのと「自分があまり知らない分野には手を出したくないなぁ」という漠然とした不安がありました。なので、採用人数が多く「手堅い」職を無意識のうちに選んでいた側面もあったのだろうと思います。

ふりかって考えると、「自分がやりたいこと」について深く掘り下げて考えたことがなかった。だからこそ、フリーランスになったり、転職したり、したんですけど(笑)幼少期のころを思い出すと、自分の本質って「人と違うことがやりたい」「面白いことがやりたい」「目立ちたい」っていうのが原動力にあったんです。

幼稚園児のころは、食事のときに走り回っていたタイプでしたし、ヒーロー戦隊ごっこではレッドが良かった (笑) だから、両親や先生にものすごく怒られた。ほかの友達と違うことをすると怒られる、というストッパーのようなものを、だんだんと身につけるようになってしまって。想定的に勉強ができたほうでもあったので、両親からも友達からも「優等生」キャラとして見られるようになって、結果的に「素の自分がだせない」窮屈さを感じるようになりました。

銀行員時代で学んだこと そして、転職の決意をしたきっかけ

営業マンとしての基礎を多く学べたと思います。金融商品を扱うので、みなさんのイメージにあるような「泥臭い」営業をこなしてきました (笑) 新人の度胸試しに新規顧客に3日で500件訪問をしたり、営業成績を同期と競い合ってランキングとして張り出されたり。

そのなかで僕が大切にしていたことは「信頼関係」がなければ、商品は売れないということです。主要顧客は定年退職をしたおじいちゃん・おばあちゃんが多く、売り上げに直結しないかもしれませんが、様子を見に頻繁に顔を出したり、記帳代行をしてあげたり、営業目的ではないコミュニケーションが重要でした。

また、自分自身が自信をもっておすすめできる商品でないと、仕事に対するモチベーションも維持するのが難しかったのを覚えています。やはり、銀行も企業なので、利益につながる商品のおすすめをどうしても優先させなくていけない場面がありました。自分の本心ではないクロージングトークをすることに心を摩耗させていました。そして、「金融商品」自体の将来性を考えたときに「同じ仕事をやり続けられるだろうか?」という疑問がわいたんですよね。

クオリティ・オブ・ライフを高めるために 180度ちがう業界に飛び込んでみた

そして、転職先に選んだのが「公務員」でした。ある意味、父親像への回帰かもしれません (笑) 当時は、結婚をしていたこともあり、パートナーとの生活や、趣味である旅行・スポーツに時間を割きたいなって。なので、なるべく勤務時間の拘束が少なく、自分のペースでできる仕事を探しました。地元に近い、というのも重要なポイントでしたね (笑) そして、セカン・ドキャリアである国立大学の大学職員として働き始めました。

公務員時代に学んだことは、プロジェクトといいますか仕事の進めかたが民間企業とは全く異なる点。そして、プロジェクトにおけるプライオリティが、「利益」に比準が置かれない点です。「こういう流れで計画をたてて、予算を組んで、進行していくんだ~」という新しい発見の連続ですね。営業職のときに感じていた「数字へのプレッシャー」もなく、のびのびとやれました。

半面、「業務遂行へのプレッシャー」の感じかたも人によって待ち待ちで、「仕事ができるひと」「仕事を自分で進めようとするひと」に業務が集中してしまう現象が起きていました。そのなかで、体調やメンタルが崩れてしまったかたも多く見てきました。「何だかなぁ……これが自分のやりたかったことなのだろうか」と考えるようになって。1日の大半をこんな気持ちで過ごしていて良いのか?と自問自答するように。

ふと、もともと自分はお客さんと会話をすることが好きだったことを思い出しました。営業職時代では「売る商品」が自分に合っていなかっただけではないのか?いま、需要があるものは「IT」で、勉強する時間もある。なら、その分野に勝負してみようかなと2か月くらいの民間講座でプログラミングを勉強し始めたんです。

エンジニアとしてのキャリア・スタート ぶつかる技術力の壁と求められた資質

民間講座では就職先斡旋も行っていて、念願だったシステム会社に就職できました。自分が本当に良いと思うプロダクトをつくたい!という思いでエンジニア希望だったのですが、営業経験があるからという理由で、ディレクション業務に割り振られることが多かったです。そのため、いい意味でプロジェクトの川上から川下まで経験ができ、得るものが大きかったです。エンジニア界隈の会話をお客さんに分かりやすくかみ砕いて説明する、というスキルが重宝される、ということに気がつけたのも価値ある財産となりました。

しかし、短納期に追われるが賃金が安いといったIT業界の下請け事情といいますが、その現実を目の当たりにして「会社員」としてではなく、「フリーランス」として働くほうが自分にとっていいのではないか、と考え始めた時期でもあります。自分でお客さんを探して、自分でプロダクトをつくってみたい、という夢もなんとなく浮かんだのもこの頃です。

そして、心機一転、フリーランス転身します。

色んな壁にぶち当たります(笑)

第一に、企業においては即戦力を求められるので、強い自立心が必要でした。チームで動くという概念も希薄なので、何に対しても一人で奮闘している、という感じでしたね (笑) どこの現場でも人材不足という課題があり、報酬が高いかわりに求められるレベルが当然高い。企業間の調整、人的要因も含めて、プロジェクトがなかなか前進しないことが何よりも精神的にキました。悶々と作業をこなすなかで、技術者として超ハイスキル人材ともいえない自分が中途半端な存在になっていることに気がつきました。エンドユーザーにも、クライアントにも、所属している企業にも、自分自身が何も貢献できていないことに愕然としました。

“得意”と“好き”を再確認 自分のようなキャリアだからこそ発揮できるバリュー

フリーランスとして仕事をしているなかで、幸運にもIRISを立ち上げた井上と出会い、職領域を広げる機会にめぐり逢いました。お客さんと会話をしているうちに、自分のなかでの「楽しさ」の根源を再確認できたんですよね。相手の「困っていること」を解決し、喜んでもらえること、それがやっぱり好きなんだな、と。同時に、技術面での基礎知識を習得したからこそ、相手に伝わるように説明することができることが、自分が発揮できるバリューだな、と。

そこで、「IT」で何かを解決したいお客さんがいた際に「ボトルネック」になりがちなポイントも見えてきた気がするんです。システムのことはわからない、ITのことはわからない、だから任せっきりにして、出来上がったものは全然使えないものだった、なんて現場ではよく聞く声です。エンジニアとしてジョインしていたときは、「システムを利用するユーザー視点」が欠けがちだったんです。

いま、IT界隈では、クラウドでパッケージ化されたアプリケーションであるSaaSツールやエンジニアでなくても簡単なアプリケーションが構築できるRPAやノンプログラミング技術に注目が集まっています。ここでも、同じ課題にぶつかりがちです。

現場で実際に使用するユーザーの声を拾わなければ、よりよいものは作れない。また、ユーザー自身も自分事としてとらえなければ、運用はうまくいかない。システムやアプリケーションは「ナマモノ」です。常に改善と進化が求められるものなのです。課題に直面して中心にいるユーザーが主体となって、アプリケーションの構築や運用をしたほうが良いことは自明です。

だから、その「緩衝材」としての自分に存在価値を感じました。同時に、より多くのかたがその思想に触れられるようにIRISでは、「SaaSツールの教育事業」「SaaSツールのコミュニティ事業」に力を入れたいと思っています。

追記)
ちなみに、Twitterでは #ヒャクニチノーコード 活動を一人でしています(笑)

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