EDUCOM創業の歴史『第一章:すべてはレゴスタから始まった』 | EDUCOMの歴史
今回から全3回にわたりEDUCOM・創業の歴史シリーズを連載していきます!原文の執筆は会長の柳瀬貴夫。広報の楢木が編集を担当させていただきます。いまは300名以上の社員を抱え日本全国に拠点を持つ...
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EDUCOM・創業の歴史シリーズ、第一章では若き日の柳瀬青年がキャンプ場でレゴスタ社長(現・EDUCOM前会長)と偶然の出会いを果たし、第二章ではいまのEDUCOMの事業の基礎となるような動きが続々とスタートしました。
今回の第三章では、ついに現在のEDUCOMの主力事業である「校務支援」の分野が登場し、東京に進出します! ぜひお楽しみください。
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▼第二章はこちら
原文の執筆は会長の柳瀬貴夫。広報の楢木が編集を担当させていただきます。
柳瀬貴夫(やなせたかお)1967年生まれ、岐阜県出身。大学卒業後の1990年、レゴスタ(現EDUCOM)に社員として入社、営業、企画開発、サポートを経て、2004-2022年、代表取締役社長を務める。現在は株式会社EDUCOMの会長。趣味はゴルフとドライブ。酒豪。
2001年11月、文部科学省と、ある自治体の教育委員会が主催の学校教育研究発表会が開催されました。
この研究発表会は従来のものとは大きく異なり、企業であるエドウェル(現:EDUCOM)もブースを出展するという画期的なもので、そのブースでの発表内容が「校務支援ソフトについて」、そう、初代「EDUCOMマネージャー」(※現在のEDUCOMの主力製品「C4th」の前身)についてでした。
そんな「EDUCOMマネージャー」の誕生は、この発表から約2年前にさかのぼります。
1998年、とある小学校が移転し、造り立てほやほやの新校舎の職員室に職員ネットワークを作ることになりました。
職員室にLANを通すための穴あけ工事を1999年に行い、ネットワーク環境を構築するお手伝いをエドウェルが行いました。
職員サーバーを用意し、ファイルの共有、プリンターの共有など初期的なネットワークの活用からスタートしましたが、当時ではとても画期的なものだったと思います。
「まずは職員ネットワークを使って掲示板を活用したい」との依頼を受け、先生方が情報共有できる掲示板のシステムを立ち上げました。
実際のところ先生間の掲示板がどのくらい使われるか心配した一同でしたが、1週間も経たないうちに「掲示板がパンクするくらい活用されている!」と嬉しい報告を受けることとなります。
先生間の連絡事項伝達に役立てたことに感動したのもつかの間、現状のシステム画面では見づらいため連絡事項をカテゴリ化したいとのリクエストがあり、先生方のアイデアをヒアリングしながら機能を拡張していったのでした。
そしてこのソフトは、当時エドウェルの中で学校のICTサポートを担当していた「EDUCOMナビゲートセンター」という部門名から「EDUCOM」をとり、先生方の様々な日常業務をマネージメントするソフトウェアということで「EDUCOMマネージャー」と命名されました。
掲示板、出張予定から復命書の作成印刷、施設利用、提出文書、日課、当番、休暇情報など様々な機能が短期間で追加され、ネットワークの活用イメージが先生方の中でどんどん膨らんでゆくのをエドウェルのメンバーは目の当たりにしました。
そんなある日、せっかく「EDUCOMマネージャー」に印刷機能があるのだから、先生が強く負担を感じている通知表の作成を「EDUCOMマネージャー」でやろうじゃないかと、現:授業と学び研究所フェローの玉置崇先生(当時は中学校校長)から提案を受け、通知表プロジェクトが始まります。
翌年に控えた学校教育研究発表会で発表できるように実績をつくろうと目標を定め、非常にタイトなスケジュールで通知表プロジェクトが始まりました。
初の試みとはいえ、通知表が印刷できず子どもに配布できないということは絶対にあってはなりません。
玉置先生からは「もしも通知表の印刷当日にトラブルが発生した場合には、エドウェルスタッフ全員の人海戦術で通知表印刷の協力をしてほしい」とも言われていましたが、幸い開発部の努力とCS部のサポートにより無事通知表は印刷され、子どもたちの手元に渡り、スタッフ一同歓声をあげたのです。
そしてこの後「EDUCOMマネージャー」は、前出の玉置先生や、同じく現:授業と学び研究所フェローである神戸和敏先生(当時は中学校教頭)のアイデアによって、さらに進化してゆくのです。
先述の通り、2001年11月にある中学校にて学校教育研究発表会が開催されました。
当時はまだ「校務支援」という言葉がなく、職員室内のデジタル化など考えられなかった時代で、初代「EDUCOMマネージャー」を初めて一般に紹介したのがこの研究発表会でした。
この発表から約1年、その中学校で「EDUCOMマネージャー」はどんどん育っていきました。
当時としては画期的なソフトとして先生方に活用いただける自負があったものの、実際はそれほど問い合わせも多くなく、営業は焦りを感じ始めていました。
そんな様子を心配してくださった玉置先生が、「多くのサポートで助けてくれたエドウェルに、何か恩返しはできないだろうか?」「EDUCOMマネージャーを多くの人に知っていただけるようなイベントをやりませんか?」と大変ありがたい提案をしてくださいました。
この瞬間から、エドウェル主催のフォーラムが動き出したのです。
まずは、フォーラムの企画書づくり。
初めてのフォーラムに意気込んで柳瀬が作った企画書を、玉置先生がご覧になられて一言、「もっと簡単に、何がしたいのか分かりやすく、A4用紙1枚程度」
中学校での実践を紹介することで、校務支援ソフトの有効性と将来性を伝えたい。
主催はエドウェルであっても、あくまで出演者の先生方が主役であることを大切にしました。
何度か作り直し企画書のOKをもらい、少しずつフォーラムの形ができていきました。
そして迎えた当日、愛知県内外から多くの先生方が集まり、定員オーバーするほどの盛況ぶり。
見事フォーラムは成功したのでした。
このフォーラムを経て、「EDUCOMマネージャー」への問い合わせは確実に増加しました。
ネットワークサポートをしている学校に訪問した際にも「EDUCOMマネージャー」やフォーラムについての質問が増え、実際に見てみたい・使ってみたいという声が徐々に増えていきました。
フォーラムは、会社のブランド力を高めることや、校務支援ソフト「EDUCOMマネージャー」を紹介するには非常に有効な手段だと気づき、これ以降フォーラムの開催が続くのでした。
第二回のフォーラムの後の打ち上げの席で、玉置先生、神戸先生は「愛知だけではなく日本中の多くの先生方に校務支援と我が校の実践を知ってほしい」「次にやるなら東京だね」と柳瀬に言葉をかけます。
日程調整、会場探し、企画決め。第二回のフォーラムから7か月しか時間がなかったため、何もかもがドタバタ。中学校の実践発表とパネルディスカッションを行うことにしました。
当時、東京というエドウェルの名前が全く知られていないところで行うフォーラムは、集客に苦戦しました。関東エリアの教育委員会に訪問して直接パンフレットを配ったり、協力企業にもお願いして参加者集めを手伝ってもらったり、とにかく自分たちの足を使って奔走。
愛知で二度のフォーラムを開催した経験から、玉置先生が校長を務めていた中学校の実践発表は必ず参加者に満足していただける内容であると自信がありました。
そして、東京の先生方に向けて「EDUCOMマネージャー」を衝撃的にデビューさせたいという想いが大きかったのです。
期待と不安の中、東京でのフォーラムデビュー。
フォーラムは無事に大成功をおさめ、エドウェルの東京進出の第一歩を大きく後押ししました。
その後、2004年には関東地区での活動拠点として「エデュコム東京」を立ち上げ、全国にエデュコムという名前を広めていったのでした。
2011年3月3日には、エデュコム東京とエドウェルが合併し、新しく株式会社EDUCOMが誕生しました。
その後もEDUCOMは仲間を増やし、お客様の輪を広げ、拠点も拡大。現在は全国18拠点、300名以上のメンバーで日本全国の学校をサポートしています。
EDUCOMの歴史、いかがでしたか。
ハチャメチャなこともありましたが、こうやって泥臭くもがき試行錯誤する時代を経て私たちは先生方との信頼関係を築き、だからこそ、いまもパートナーとして選んでいただけるようになったと思っています。
これからのEDUCOMにもぜひご期待ください。
「子どもの未来にワクワクをとどける」というミッションに向かって進んでゆきます。
こんにちは。EDUCOM広報担当の楢木です。連載シリーズ・EDUCOM創業の歴史、今回は第三章。
ついにEDUCOMが現在の主力事業である「校務支援」の分野のパイオニアとして、学校現場の先生方の声に耳を傾けながらがむしゃらに製品開発やサポートを行ってきた時代のお話でした。
会社に歴史あり。
自社のことながら、とても興味深かったです。
現在に至るまでの創業の歴史リーズはいったん今回で区切りとなりますが、またいつか、次回作が公開されることをお楽しみに!