EDUCOM創業の歴史『第一章:すべてはレゴスタから始まった』 | EDUCOMの歴史
今回から全3回にわたりEDUCOM・創業の歴史シリーズを連載していきます!原文の執筆は会長の柳瀬貴夫。広報の楢木が編集を担当させていただきます。いまは300名以上の社員を抱え日本全国に拠点を持つ...
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EDUCOM・創業の歴史シリーズ、今回は教育ICTの会社へと変貌を遂げていく第二章です。
第一章はこちら。
原文の執筆は会長の柳瀬貴夫。広報の楢木が編集を担当させていただきます。
第一章では、若き日の柳瀬青年がキャンプ場でレゴスタ(現・EDUCOM)前会長と偶然の出会いを果たし、なんでもありのハチャメチャな時代を過ごした様子をお伝えしました。第二章からいまのEDUCOMの事業の基礎となるような動きが続々と! ぜひお楽しみください。
柳瀬貴夫(やなせたかお)1967年生まれ、岐阜県出身。大学卒業後の1990年、レゴスタ(現EDUCOM)に社員として入社、営業、企画開発、サポートを経て、2004-2022年、代表取締役社長を務める。現在は株式会社EDUCOMの会長。趣味はゴルフとドライブ。酒豪。
1995年以前、レゴスタの主な事業の一つが、某大手教育出版会社の教育ソフト開発のお手伝いでした。
開発のお手伝いと言ってもプログラムを組むわけではなく、現在は授業と学び研究所のフェローでいらっしゃる玉置先生や神戸先生をはじめとした愛知県内の優秀な先生方にアイデアをいただき、プログラムのプロトタイプ版ができたら実践授業をしてもらうなど、製品版完成までの様々な雑用がメインの仕事でした。
その後サポート事業部を立ち上げて、ソフトウェアの使い方はもちろん、ハードウェアのメンテナンス、ネットワーク管理まで学校のトータルサポートを提案することになったのです。
やがてこれらの努力がレゴスタの基礎となる愛知県内でのICTサポートビジネス(提案・ネットワーク工事・設定・サポート)に繋がっていくのでした。
レゴスタの事務所は前会長の自宅から始まり、その後名古屋市内の駐車場もない3LDKの狭いマンションで活動していました。
その事務所では、毎晩のように先生方が来社されては会議をしていたのですが、来社される先生方にとってレゴスタの事務所の立地が特別に良いわけでもなく、さらにサポートを請け負っていた各自治体に移動するにも時間がかかってしまうことを考えると、事務所が名古屋市内にある必要はないため、引っ越すことになります。
サポートとネットワーク工事で得たお金で、約100坪の土地に新しい事務所を建てたのです。
新しい事務所は春日井市内にあり、東名高速道路の春日井ICから車で5分という立地条件。
スタッフの移動は、電車ではなく車を使うことがほとんどだったため、非常に交通の便の良い場所でした。
車も10台以上停めることができ、外観は隠れ家レストラン風で、前を通る人が中を覗き込むようなこともありました。そんな事務所移転を機に、平成11年11月11日、社名を「レゴスタ」から「エドウェル」に変更したのです。
「エドウェル」という社名の由来は、当時運営していた二つの部門を掛け合わせたものです。学校教育コンピュータ部門と訪問介護を行う福祉部門があったため、教育(Education)と福祉(Welfare)を合わせて「エドウェル」となりました。
1996年頃、ある自治体から中学校向けに成績処理ソフトを提供してほしいという依頼がありました。
当時、社内に開発体制など無いにもかかわらず安請け合いしてしまった柳瀬らは、すぐに社外で開発者を探しました。そして、やっとの思いで探し当てた優秀な開発者の女性が、現在EDUCOMのシステム開発部を束ねています。
彼女にはほとんど丸投げでソフト制作を依頼し、時間的そして業務的にもかなり無理なお願いをしたという記憶が強く残っている。そう柳瀬は語ります。
ただ、このソフト開発を行ったことで、その後のエドウェルの開発部門が立ち上がったといっても過言ではありません。
これまでは、お付き合いのあったメーカーのソフトの販売とサポートを行ってきたエドウェルが、いち自治体専用とはいえ初めて自社ソフトを持つことになったのです。これは小さな歩みではありましたが同時に大きな一歩となったのです。このソフトをきっかけにその自治体とのお付き合いはこれまで以上に強固になっていき、そして自社ブランドを持ちたいとの強い思いが芽生えたのでした。
1997年、ある市でのネットワーク提案のときのお話です。
某大手メーカー2社とエドウェルの計3社から提案をすることになりました。
大手メーカー2社はPCの知識をフル活用した非常に見栄えの良いプレゼンでした。
一方で、エドウェルのプレゼンは泥臭いプレゼンでした。
結果、その自治体へのネットワーク提案が採用されたのはエドウェルでした。
では一体どんなプレゼンを行ったのか。
エドウェルは事前に先生方に「どんな授業をしたいのか?」「子どもたちをどのように育てたいのか?」をヒアリングし、教育的な配慮と夢をテーマに提案を行い、その結果、見事採用されたのです。
このとき柳瀬は、プレゼンは事前の準備で99%決まるということを学びます。
当時その自治体でPCを教育に役立てたいと考えている先生方に意見を聞いたうえで、先生方のやりたいことを実現するための提案をすれば、それは教育を良くする提案になるのですから。
知識を武器にした形の整った提案だったとしても、現場の声を無視した提案になってしまっては先生方の心は揺れない、ということですね。
この時期、当時の会長と柳瀬の2人ではネットワークの設定から管理に至るすべてを担うことは不可能と思われたため、PCおよびネットワークに強いシステムエンジニアを数名引き抜き、5名体制でEDUCOMナビゲートセンターを立ち上げたのでした。
1998年、エドウェルがある地区でネットワークサポートを始めて3年目、別の地区でのネットワークサポートも任されることになり、当時では非常に珍しい小中学校合わせて53校のセンター型ネットワークを構築することになりました。
ハイペースで仕事を行い、エドウェルは順調にサポート校を増やしていきました。やがて当時のスタッフだけでは手が回らなくなったため、アルバイトの募集も始めました。募集には新聞のチラシと大学の掲示板を利用しました。
さて。子ども用と教師用のWEBサーバーを構築したはいいのですが、それぞれのサーバーにどのようなコンテンツを用意するかは試行錯誤の連続です。
子ども用WEBサーバーには、子どもにアクセスさせたいインターネット上の教育コンテンツリンク集を用意するとして、教師用WEBサーバーには教育コンテンツのリンク集以外に何を用意すれば役に立てるか……。
そしてエドウェルは、「EDUCOM BBS」という教師用の掲示板を立ち上げます。実はこれがのちの「EDUCOMマネージャー」(※現在のEDUCOMの主力製品「EDUCOMマネージャーC4th」の前身)へと発展していくことになるのでした。
「EDUCOM BBS」は非常にシンプルな掲示板で、先生方の意見交換の場として利用されました。メールでは個別の話になってしまう内容も、掲示板に書き込むことによって先生方全員で情報共有できることに意味があると、柳瀬たちは考えたのです。
のちにEDUCOM BBSがとある中学校の職員室で活躍しさらに発展するとは、柳瀬はもちろん当時のスタッフも誰も思いもしなかったことでした。
こんにちは。EDUCOM広報担当の楢木です。連載シリーズ・EDUCOM創業の歴史、今回は第二章です。
1990年代、コンピュータやインターネットが急速に進化した時代のお話でした。私自身はまだ子どもだった時代、すでにEDUCOMはICTを活用して教育現場の力になるために奮闘していたのですね。会長の柳瀬からとても面白い話が聞けてワクワクしました。
ぜひ、次回もお楽しみに!