〜現場を実感したいエンジニアが、浪江町職員として解けない問題に向き合った2年間で気づいたこと〜
Code for Japan では、福島県浪江町の復興事業のうち、町民へのタブレット配布とアプリ開発などの分野を2014年からお手伝いしています。我々はまず、フルタイムの自治体職員として勤務する「フェロー」という外部人材を町に紹介し、そのフェローの活動を軸に様々な情報戦略のお手伝いを行っています。浪江町初代のフェローは吉永隆之さんでしたが、その後を引き継ぐ形で2015年7月に浪江町に入ったのが山田さんです。
吉永さんについての参考記事↓
https://www.wantedly.com/companies/codeforjapan/post_articles/122826
山田さんが浪江町での勤務を初めてから2年が経過し、無事役目を終えました。2年間を振り返ったインタビューをお届けします。
行政、政治の仕事をしてみたかった
関:山田さんは、フェローになる前はエンジニアとしてのキャリアを歩んできました。そもそも、どういうきっかけでフェローになったんでしたっけ。
山田:現在の職業を選ぶ前は、行政の仕事、政治の仕事をしたいと思っていました。直接人を幸せにできるのが良いと思っていて。また、アメリカで暮らしていた時にCode for America のことを知っていたので、日本に帰ってきた時にCode for Japanの立ち上げにも関わっていて、浪江のプロジェクトやコーポレートフェローシップについても知っていた。浪江町が最初のフェローシップを募集していたときも興味があったけど、その時は仕事の都合で参加するのは難しかった。でも、2回目の募集の時にタブレット講習会に行ってみて、アプリや雰囲気が分かったのが応募のきっかけとなりました。行政の仕事に携われるのと、それまで勤めていた会社(サイバーエージェント)の業務的にもタイミングが良かったというのもあります。
会社では休職という扱いにしてくれています。元々は1年間で考えていたのですが、会社も2年までだったら復帰を受け入れることになっているのと、浪江町の避難指示一部解除が2017年3月末だったので、その瞬間に立ち会いたいと思って2年間に延長してもらいました。
任期が終わったあとの7月からはサイバーエージェントに戻って働きます。
温室栽培のエンジニアからが野生の環境に
関:具体的には、どのような仕事を役場でしましたか?
山田:アプリ開発の仕様策定とサービスのディレクションが主です。最初はシステムを見る時間があったんですが、途中からはほぼディレクションに集中するようになりました。
また、タブレット端末のユーザーサポートとして、講習会や窓口・電話対応、とそのデータベース化。サポートサイトの作成。以上が1年目。
2年目からは、国との予算折衝や、役場内調整、事業者との折衝なども担当するようになりました。予期しない端末交換なども発生しそのための調整も大変でした。
関:元々想像していたことと、実際に行ってみた結果でのギャップはありましたか?
山田:当初はエンジニアリングだけをやると思っていて、予算などの調整までをやることになるとは思っていませんでした。また、もっとユーザーサポートなどの人員がいると思っていたが、そうではなかったのが一番のギャップでしたね。
また、環境の変化になかなか適応できない自分がいました。今まではエンジニアとして温室にいたのが野生の環境に放り出された感じ(笑)。たとえば、それまでの会社では、できるだけエンジニアリングに集中できるような環境が与えられていたわけです。コーディングの途中で邪魔が入るようなこともあまりないし、無料で使えるマッサージ機なんかもあった。もちろん成果に対しては厳しいですが、自分で働き方をコントロールできました。それに対し、役場の環境というのは全く違う。自分以外のトリガーで動くことが多い。電話もバンバンかかってくるし、窓口の対応を1日中するような事もありました。
関:それは大変ですね。そんな環境に慣れることはできましたか?
山田:そうですね。時間が経過するにつれてだんだん慣れて、やりくりできるようになっていきました。
どこを向いて仕事をすべきかとても悩んだ数ヶ月
尾形:意識的に自分を変えようと思ったことはありますか?
山田:これは前フェローの吉永さんも言っていたのですが、どこを向いて仕事をするのかわからなくなってしまって、悩みました。一口に町民といってもいろんな人がいて、それぞれ違う。また、Code for Japanとしての自分、役場の立場でも求められていることが違う。民間だったら売上という明確な目標があり、目指すべきKPIは同じ。吉永さんと話をしていたときに、「結局は町民にとって良いことかどうかしかないよね。」と言っていたのが印象的。自分なりに想像できる町民像を頭に置いて、その町民のためになるかどうかで考えるしか無いかなと思った時に、意識が変わりました。
関:慣れない環境、慣れない仕事と、色々と大変だったと思います。2年間続けてこれた背景には、どんなモチベーションがありましたか?
山田:もともと、ユーザーと距離が近いところで働く経験がしたいと思って飛び込んだので、実際に福島に慣れて、町民との関係が少しずつ深まっていった積重ねがあって、2年間続けることが出来たと思います。
以前はあまり人と話すような仕事の経験がなく、最初は電話に出ても全く話せなかったのが、今はそういうことはありません。役場内でも職員として受け入れられていく感覚がありました。
関:被災地である浪江町に入ってわかったことは?
山本:被災地について知っていることはニュースを見る程度で、行く前は自分の中で特定の被災者像をつくってしまっていました。でも、実際には色々な人がいて、結局は一人ひとりと話さないとダメというのがわかってきました。避難先で被災者と思われたくなくて出自を隠している人がいる一方で、福利厚生や賠償に興味がある人もいる。事業再開など、とても前向きのことを考えている人もいる。
町民が分断されているというのも福島で実感しました。賠償の程度がちょっとした差で違ってしまう問題や、避難の状況など、置かれている状況の違いが分断を招いています。国による避難の制度設計がそれを招いていることに怒りを覚えたこともあります。そういったリアルな状況を知れたことは、良い経験だったと思います。
環境を変えることで得られた「現場感覚」
関:フェローになってよかった点は何ですか?
山田:やはり、タブレット利用者である町民と長く話すことができたことが一番ですね。使い方を教えに行ったり、不具合で謝罪したりと色々でしたが、自分の仕事に対して肯定して貰えるシーンが何回もありました。
受け入れられた経験の積み重ねというか。
職員としてのやりがいは日々増していって、長期的なキャリア自分の適性を考えなければもっと続けたかったなと思います。
関:山田さんは、元の会社に戻りエンジニアを続けると聞いています。2年間のフェロー経験は、今後どのように生きると思いますか?
山田:誰しもが一回はリーダーをやるべきだという話がありますが、このような複雑な環境でリーダーを経験ができたことはとてもよかったと思います。
また、自分の適正について改めて感じれたのも大きかったと思います。今回の経験を通じて、改めてエンジニアとしてITの専門性を世の中に役に立てていくのが自分らしいと思いました。なので、それを再度伸ばしていきたいと思っています。
業務がITで改善できるとことと、現場で使えるかというのは別。高尚な議論をしても仕方がないので、使う側のリテラシーを高めつつ、ITをあまり意識しなくても使えるようにしていくという両方のアプローチを取るなど、どうしたらITが世の中の役にたつというのを考えてきました。
一度環境をかえた事により獲得できた新たな視点は今後の仕事でも役に立つと思います。
関:自分のキャリアについてどのように考えましたか?
山田:一言では言い表せませんね。技術一辺倒でない仕事に触れたというのは貴重です。大きく自分を崩さずに大きく環境を変えられ、自分のスキルを活かせたのが大きかった。これまで、エンジニアとしての仕事は好きなことだけなので厳しいけどストレスをあまり感じませんでした。そういう人生もありつつ、もっと喜怒哀楽のある人生を歩みたいと思う自分がいました。浪江町でのリアルな経験には、そういった喜怒哀楽が色々とありました。
一時期は憂鬱なことばかりでやりたくない、終わらない、したくない応対ばかり。面倒で、そもそも解決できないこともたくさんある。慣れてくると、そういうのも人生だと考え方が変わっていきました。
でも、他にもっと上手くできる人がいるのではないか、いう葛藤も正直ありました。一方、自分にとって、エンジニアは浪江で経験したことよりはコントローラブルだし、高い技術で世の中が便利になっていくことに自分は貢献できると感じれる。
東京のほうが成果が出せるのか、浪江のほうが成果が出せるのか。夢中になれることだけをやるのか、雑多なことを踏み越えていくのがいいのか。2年という区切りの中で、自分でも結論は出ていませんが、一旦は2年という区切りで元に戻ることに決めました。
世の中には人材の流動性を高める選択肢がもっと必要
関:最後に、何か言い足りないことはありますか?
山田:もっとこういうキャリアが広まるといいと思います。コーポレートフェローシップ(注:Code for Japan が進める短期の自治体派遣制度。企業向け)も含めて、人材の流動化が社会のデザインや経済性、イノベーションを生むのではないでしょうか。
自分はその1つのサンプルですね。
キャリアには選択肢があるのが重要で、初期フェローの吉永さんみたいに別の職業を選択するのも重要ですが、自分みたいに元の会社に戻るという選択肢もあるというのを本人や人事にも知ってほしい。そういう人たちの背中を押すことができれば、自分としても世の中への貢献だと思います。(注:初代フェローの吉永さんは、現在は神戸市の職員として勤務中)
今回の経験で生まれた繋がりで、郡山と南相馬で毎月プログラミングを教えるようになりました。福島に対して貢献できるきっかけにもなったことは嬉しいことです。
ITで地方でも学べるというのは地方のハンデを埋めることができる。それに対して今後も貢献していきたいと思っています。
関:2年間、本当にお疲れ様でした。また、今までありがとうございました。山田さんがいたお陰で、Code for Japan もより現場に寄り添ったサポートができたと思います。次のフェローも是非応援してもらえればと思います。
山田:ありがとうございました。