大規模バーチャルイベントを開催できるメタバースプラットフォーム『cluster』。VRヘッドセットだけでなく、スマートフォンやパソコンからも手軽にアクセスできるこのサービスは、2022年7月に100万ダウンロード、累計動員数3500万人を突破。近年は企業やアーティストのイベントのほか、人気ゲームや実在する動物園とのコラボレーションなど、活用の幅を広げています。そんな『cluster』を生み出したのは、クラスター社代表取締役CEOの加藤直人さん。“ひきこもり”からの起業という異色の経歴を持つ加藤さんに、クラスター社を立ち上げた経緯や事業への想いをお聞きしました。
目次
テクノロジーに傾倒した“ひきこもり”時代。
熱狂を可視化できるバーチャル空間に、可能性を感じた。
エンタメにとらわれず、新たな普及の道を切り開く。
メタバースの会社だからこそ、リアルな体験価値を大切に。
テクノロジーを駆使して、世の中を変えていく。
テクノロジーに傾倒した“ひきこもり”時代。
── 加藤さんは20代前半に“ひきこもり”をしていたと伺っています。まずはこれまでのご経歴を教えてください。
中学生の頃に観たテレビアニメ『ガンダムSEED』の影響で宇宙にロマンを感じて、京都大学物理学科で宇宙について学んでいました。並行して在学中に興味を持った量子コンピューターも研究しており、最終的にはそれぞれの分野で論文を提出します。内容としてはどちらも基礎研究で、趣味でやっていたプログラミングを活用した物理現象のシミュレーションが主でした。そのプログラミングの腕を買われて、大学院に進むタイミングで先輩が勤めていたIT企業のスマートフォンのアプリ開発を手伝うようになります。それが、私の転機になりました。
2011年当時、スマートフォンアプリ市場は急成長しており、次々と新しいアプリが生まれていました。それに伴って、技術も加速度的に進歩していました。一方で、大学で研究していた分野の発展スピードは、誤解を恐れずに言えば、ものすごく緩やか。たとえば宇宙論は、20世紀初頭にビッグバン理論が生まれて以来、パラダイムシフトは起きていません。そんな大学での研究とのスピード感のギャップに衝撃を受けました。気がつけば研究室に行かなくなり、自宅でアプリを開発する日々。2~3週間かけてアプリをつくり、その報酬で数ヶ月間ゲームや読書をして過ごすような生活を3年も続けていました。
── そこからどのような経緯で起業に至ったのでしょうか?
SNSやブログで、アプリ開発で使っていたゲームエンジンに関する技術発信をしていたら、ベンチャーキャピタルの方から「会いませんか?」とDMをもらったのがきっかけです。お会いするとすぐに「技術力を活かして、起業してみなよ」と提案されました。しかし、それまで起業しようと考えたことは一度もなく、そのときは踏ん切りがつかず。代わりに、その方から紹介してもらった、いくつかのスタートアップ企業の仕事を手伝うことになりました。そのなかで経営者の話を聞く機会があり、起業を決心します。DMをもらってから起業まで、9ヶ月ほど悩みましたね。
熱狂を可視化できるバーチャル空間に、可能性を感じた。
── はじめからメタバースの事業をしようと考えていたのですか?
「テクノロジーを使って世の中をよくしたい」という想いはありましたが、その手段を何にするかは決まっていませんでした。きっかけとなったのは、Facebook社(現Meta社)がVRのスタートアップ企業を20億ドルで買収したというニュース。そこからVRに興味を持ち、すぐにその会社が開発者用に提供していたVRデバイスを取り寄せました。VRデバイスを装着してスイッチを入れたとき、まさに視界が開けた感覚だったんです。「VRが当たり前になる世の中が、必ず来る」そう確信しました。
“バーチャル空間に人が集まって何かをする”というテーマだけを決め、1ヶ月に1つのペースでプロダクトを開発しました。プロトタイプが完成したらベンチャーキャピタルの方に人を集めてもらい、レビュー会を開催。反応が悪ければ次のプロダクトを開発するというサイクルを半年間続けました。会議システムや配信サービス、脱出ゲームなど、いろいろなジャンルのプロダクトをつくりましたね。『cluster』のアイデアが生まれたのは、脱出ゲームのデモを展示会で披露したときでした。200名ほどの集客があったのですが、「これをバーチャル空間で開催したら面白いのでは?」と思いついたんです。すぐに開発に取り掛かり、わずか2週間でプロトタイプを完成させました。そしてバーチャル空間でVR好きが集まれるイベントを企画し、約300名を招待します。と言っても、内容はとてもシンプル。アバターは1種類しかなく、できることはpdfのスライドを発表できる程度のものです。でも、すごくワクワクしました。3Dのアバターが一つの空間に集まることで、熱狂が可視化されている。みんな離れたところから参加しているのに、同じ空気を共有している。現実世界で開催されるイベントと同じような高揚感がありました。
── 『cluster』はイベントの企画・運営で得た収益をユーザーへのサービスに還元するというビジネスモデルですが、当時からそうだったのでしょうか。
当時はどうマネタイズするかまで考えられていませんでした。最初のイベントがSNSで拡散されて話題になったこともあり、興味を持っていただいた企業のイベントを開催することはありました。それが話題になって追加の資金調達ができていたので、経営は続けられていましたが、どうマネタイズするかは見えていない状態。当時はエンジニアとクリエイターしかおらず、セールスを考えられる人間がいませんでしたから。ただ、「バーチャル空間を企業が活用する時代が来るはずだ」という自信だけはありました。
── そこからどのようにして軌道に乗せていったのでしょうか?
まず『cluster』ひいてはバーチャル空間が注目を集めるようになった出来事が二つ、立て続けに起こりました。一つ目が、2017年頃から登場しはじめた人気バーチャルYoutuberです。モーショントラッキングを安く導入できるようになり、次々とバーチャルYouTuberが生まれ、彼ら・彼女らが『cluster』でイベントを開催。それにより一気に知名度が上がりました。二つ目が、新型コロナウイルスの流行です。緊急事態宣言によってリアルなイベントが軒並み中止となり、バーチャル空間でのイベントにシフト。当社にも企業からたくさんの相談をいただきました。世の中の流れをうまく捉えて、そこから一気に黒字化することができました。
エンタメにとらわれず、新たな普及の道を切り開く。
── そう言った追い風を受け2021年頃からユーザー数が増え、案件数も急増したと伺っています。現在はどのようなフェーズにいるのでしょうか。
ここ数年は、世の中からの追い風のおかけで急成長を遂げることができました。でも、そんな風は、今後そうそう吹きません。イベントに関しても、アーリーアダプターのような企業には、すでにご利用いただけていると感じています。だからここからは、普及のタイミング。イベント開催以外にも活路を見出していくフェーズです。実際に、ご相談いただく企業も、内容も、少しずつ変わってきています。たとえば最近では、教育系の企業と一緒に『cluster』で模試を企画して開催しました。実は地方では、希望者が少ないと模試を開催できないという課題があります。バーチャル空間であれば、物理的な距離は関係ありません。他にも学校からバーチャル空間で授業をしたいという相談もあります。『cluster』はゲームのようなインターフェースなので子どもとの親和性が高く、取り入れやすい。教育関係は社会貢献の側面が強く、まだビジネスとしては確立できていませんが、ニーズは十分にあるはずです。また、ものづくり企業への提案の機会も増えています。産業機械や建築は、現実世界で試作品をつくるとなると莫大なコストがかかるため、『cluster』でシミュレーションできれば、大幅なコスト削減を実現できます。
── 普及の段階では、どのような方を中途採用で求めていますか?
メタバースに携わった経験のある方は多くないと思うので、必須ではありません。ただ、面談や面接を通じてバーチャルやVR、3DCGへの興味・関心を持てることは大前提です。加えて、これまで『cluster』を活用できていなかった業界への展開が必要なので、いろいろなビジネスに関心のある方、もしくは特定の業界への深い理解がある方が良いですね。その業界を良くするために、お客様に喜んでいただくために、『cluster』をどうやって活用するかを柔軟に考えられるかが大切です。そして当社には、そのアイデアを実現できるエンジニアやクリエイターが揃っています。できないことはない、といっても過言ではありません。
メタバースの会社だからこそ、リアルな体験価値を大切に。
── バーチャル空間を提供するクラスター社は、やはり社員のコミュニケーションもオンラインで完結しているのでしょうか?
入社した方には驚かれるのですが、当社は原則的にリモートと出社のハイブリッド型の働き方です。私は創業当初から「いつかリアルで人と会うことは“贅沢”になる」と社員に話しており、そんな未来への過渡期である今は、むしろリアルでの体験を大切にすべきだと考えています。それに声のトーンや表情、身振り手振りを使えるリアルなコミュケーションは、まだバーチャル空間で完全には再現できません。たとえば会社の方針など、社員に強く伝えたいテーマ
のときは、私もリアルでの発信を選びます。そのため、当社では月に1度は全社員が出社する日を設定しています。全社会からはじまり、昼休みはランダムに振り分けられたメンバーで食事をするシャッフルランチ。これは『cluster』のアバターでしか会ったことがない人とも話せると評判です。そして夜は食事代を補助する『シュッサポ』という制度を使ってチームで飲みにいくメンバーもいます。
もちろん、リモートワークのときはオンラインを最大限に活用します。毎週金曜日には『cluster』内で成果発表会を開催して、拍手やクラッカーなどのエモーション機能や、コメント機能を使って成果を讃え合っています。また、ビジネスチャットは雑談も大歓迎。雑談チャンネルは250以上もあり、部署やチームを越えて盛り上がっています。リアルとオンライン、どちらにも良さがあり、それぞれでしかできない体験価値を大切にしています。
テクノロジーを駆使して、世の中を変えていく。
── 今後の目標を教えてください。
創業当初から持っている「テクノロジーを使って世の中をよくしたい」という想いにこだわり続けたいと考えています。クラスター社のミッション“人々の創造力を加速する。”も、この考えから生まれたもの。私は、自然の物よりも人工物に心惹かれるタイプです。なぜなら、そこには人類の叡智が詰まっているから。人々の「こうしたい」という“想像力”と、技術やテクノロジーによる“創造力”の掛け合わせを最大化することで、世の中はより良くなってきたと考えています。“想像力”は人間がもともと持っているものですが、“創造力”はそうではありません。たとえば、“理想の椅子”を思い浮かべることは誰もができても、実際につくれる人は多くない。“創造力”には、コストや場所など、制限がたくさんあるんです。
私たちは、その制限をテクノロジーの力で取り払っていきたい。『cluster』はバーチャル空間という手法で、物理的な制限を取り払ったサービスです。これからも、テクノロジーで世の中を良くすることに変わりはありませんが、具体的にどんなテクノロジーを活用するのか、どう良くしていくのかは、あえて決めていません。たとえば社内では「不老不死を実現したい」なんて話もしています。夢物語に思われる方もいるかもしれませんが、当社にはテクノロジーの力を信じているエンジニアやクリエイターがいます。さらに近年は、文部科学省認定のメタバース研究所を設立しました。メタバース、ひいてはテクノロジーの可能性を産学協同で追求しています。
1940年代は部屋一つを丸ごと使っても計算しかできなかったコンピューターが、いつしか個人で楽しめるデスクトップパソコンとなり、やがて持ち運べるようになりました。それによって生産性が向上し、コミュニケーションの在り方が変わり、人々の暮らしも劇的に豊かになりました。そして今、メタバース、つまりコンピューターの中で人々が当たり前に活動するような世界が訪れようとしています。しかも、そう遠くない未来に。テクノロジーが、世界を加速度的に変えていく。その可能性を信じ、テクノロジーの活用を一緒に考えていただける方は、文字通り“未来”を一緒につくっていきましょう。