幼い頃からデザインの仕事に憧れながら、家庭の事情で看護学校に進み、19歳で家を出た小坂さん。何度も生活の底を経験しながら、それでも「デザインで生きていく」という思いを手放さなかった。今はBOATRIPのデザイナーとして活躍する彼女に、これまでの道のりを聞いた。
19歳、リュックひとつで家を出た日
幼少期からデザインの仕事に憧れていた小坂さんだったが、進学したのは看護学校だった。
「どうしても幼い頃からデザインの仕事がしたくて。でも両親はすごく反対していて、看護学校に入れていただいて。正直折り合いがつかず、19歳の時に家を出たんです」
高卒という学歴で、独学でスキルを身につけデザイン業界を目指すも面接はことごとく不採用。ようやく採用されたのは印刷会社のDTPオペレーターだったが、当時の月給は13万円ほど。生活は困窮を極めた。
「本当に食えないぞ、ってぐらい苦しくて。昼も夜も仕事を掛け持ちしながら、なんとか1ヶ月で200万円貯めて家を出ました」
大阪に移り住んだ先で拾ってもらった会社では営業職として入社し、深夜まで働き詰めになるような過酷な環境だった。体を壊しかけながらも、懸命にしがみついた。
号泣した面接、5年間の下積み
デザインへのこだわりを手放せなかった。
転機になったのは、大阪にあるインテリア企業の採用面接だった。
「営業職として働く中で、ずっとモヤモヤしていたものがあって。デザインの面接をした時、思わず泣いてしまって。好きなものを好きだと胸を張って言えるところで、ずっと働きたかったんだって気づいたんです」
そこから5年間、デザインの基礎を一から叩き込まれた。「もう絶対デザインで生きていく」と心に決めた小坂さんにとって、この5年間が今のキャリアの土台になっている。25歳を迎えたとき、居心地の良さに甘えず新しい環境に飛び込むことを選び、東京でSESとしてのキャリアをスタート。ABCクッキングスタジオやナチュラルサイエンスで、デザイナーとして経験を積んだ。
その後、環境の変化を経て東京での生活に区切りをつけ、パートナーとの結婚を期に福岡への移住を決意。リモートで働ける環境を探す中で出会ったのがBOATRIPだった。
「根拠のあるデザイン」への強いこだわり
小坂さんがデザインに求めるのは、感覚だけに頼らない「根拠」だ。
「マーケティングに基づいた根拠のあるデザインをするのが好きで。5年間かけて企画した商品が、自分のデザインひとつで結果が変わってしまうんです。毎月の売上が張り出されるようなシビアな環境でしたけど、それが結構楽しかったんですよね」
自身を「負けず嫌い」だと分析する小坂さん。数字という明確な結果に向き合ってきた経験は、今のデザインへの姿勢に直結している。
「何者でもない自分」を知った先に
何度も生活の底を経験してきた小坂さんに、人生を変えた瞬間を尋ねると、家を出た直後の記憶が語られた。
「頼れる人もいなくて、何も持っていない自分だっていうことを、社会に出て思い知らされて。そこで堕落することもあり得たんですけど、どうせ死ぬなら死ぬ時には最高の人生だったって言いたくて、そこから死に物狂いで勉強して、働きました」
現在は、クライアントが本当に求めている成果を形にすることにこだわりを持って仕事に取り組んでいる。
「ワイヤーフレーム通りに作るだけならオペレーター。ユーザーが本当に迷わず使えるか、トップページだけでサービスの中身が伝わるか、それを自分で見つけて提案できるのがデザイナーだって、5年間叩き込まれてきたので、すごく大切にしています」
その姿勢は、周囲からの評価にもつながっている。
「他のSESの方と並べたときに、"小坂さんだったらこうしてくれるよね"って言ってもらえて。それがすごく嬉しくて、これからも絶対に失いたくない武器です」
今後はディレクション業務にも挑戦し、これまで培ってきた視点を後進にも伝えていきたいという。
「お客様の悩みから、本当に必要な解決策を一緒に探していく。それを考えられなければデザインはできない。そういうところを、一緒に教えられる人になりたいと思っています」