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【Why Asteria?】社員番号5番! 創業時から会社を支えるメンバーに、新入社員が聞いてみた |研究開発本部 木村大樹
※本インタビューは、アステリアの新卒研修の一環で作成した社員インタビュー記事です。2022年4月に新卒で入社したメンバーが、アステリアで長く働く社員にインタビューを行い、自身で執筆しています。
”つなぐ技術”で社会に貢献する、アステリア株式会社(東証プライム上場)の社員インタビュー。今回は、アステリア株式会社の社員番号5番! 創業当初からエンジニアとして働き、シンガポールや香港の開発拠点の立ち上げなども行ってきた、研究開発本部の木村大樹(きむら・だいじゅ)さんに、入社のきっかけや、アステリアで長く働く理由などについてお伺いしました。
ー 木村さんのアステリア入社のきっかけを教えてください
新卒で入社した別の会社で、当時表計算ソフトのLotus 1-2-3で有名だった外資系企業のロータスと仕事をしたことがきっかけでした。
私が転職したあとも個人的につながりがあったのですが、現アステリア副社長の北原さんがロータスに転職してきたことで縁ができました。その頃私は一人で会社を作ったりゲーム開発をしたりしていたのですが、ロータスがIBMに買収されるという話を耳にしたので、北原さんに「今どうしてるんですか?」と連絡したところ、現アステリア社長の平野さんとインフォテリア(アステリアの旧社名)という会社を作っていると。直接会ってお話を伺って、自分も当時のインフォテリアに5人目の社員として入社することになりました。
まだマンションの1室でやっていた頃です。あれから23年半が経ちましたね…!
ー 社員番号は5! まさに創業間もない頃にジョインされているのですね。創業当初を振り返って、大変だったことはありますか?
(アステリアのビジネスとはあまり関係ないですが)インフォテリアに出資している方から手伝ってもらえないかということで受託した仕事がすごく大変だったのを覚えています。企業間での開発でのトラブルがあったようなのですが、サービス開始一ヶ月前というタイミングにも関わらず、まだなにも出来上がっていなくて…(汗)。どう考えても間に合うはずがなかったんですが、会社の近くに宿をとってもらって、1か月半の間、かなり大変な作業をしていました。
ー 学生時代からものづくりに興味があったのですか?
私の世代は、中学生ぐらいのときに家庭用パソコンが置かれ始めたころだったんです。
当時はプログラマーという言葉も知らなかったのですが、ただ漠然とコンピュータに関わっていきたいと思っていました。なので、ソフトウェア開発やプログラマーになりたいと思ったのはもう少しあとからですね。かつてはソフトのエンジニアとハードのエンジニアがパソコンの世界できれいに分かれていなかったのですが、それがだんだんと専門職のようになり、プログラマーの中でもいろんな分野に細分化して…。最終的には、自分の中で「プログラマー」に目標を定めていろいろな勉強や経験をしてきました。
ー 現在は、どういった業務をされているんですか。
開発です。大雑把にいうとプログラムを作っています。企画をたてるというよりも誰かの立てた企画を正確にプログラムしたり、自分のアイデアを乗せたりして、より良いプログラムに仕上げるというのが私の仕事です。
アステリア製品でいうと「ASTERIA Warp」の最初のバージョンも作りましたし、製品化されていないものも含めると本当にたくさんのソフトウェアやアプリに関わってきました。今メインで担当していると言えるのは「Gravio」の開発ですが、声がかかれば色々とお手伝いをしている感じです。ついこの間までは「Handbook X」の開発も手伝っていました。
ー アステリアでは、香港やシンガポールの開発拠点を任されていたそうですが、どういった経緯で行くことになったのですか?
海外の開発拠点として香港ブランチを作りたいから、開発部の中から赴任者を決めたいという話の流れで私に決まりました。8年前の当時は、開発者として自分が開発する立場から、そろそろリーダーやマネージャー的な仕事をする転換点でもありました。そんな風に考える中で、ステップの1つとしてありかな、と。
とはいえ、当時はほぼ海外に行ったこともなく、英語も全然しゃべれない状況だったので不安でしたね。ポジション的には海外ブランチの社長という形になるわけですが、正直なところ会社経営には詳しくなかったですし…。でも、いくら考えても心配ごとはなくなりませんし、正直何があってもただ頑張るしかないという気持ちでした。
ー 想像しただけで大変そうです…。香港に4年滞在されたあとは、シンガポールの拠点にも4年滞在されていますよね。現地で苦労されたことなどがあれば教えてください。
一番苦労したのは、現地で採用した開発員とのコミュニケーションです。ものを作り始めるときには、何が良くて何がダメかをすり合わせる必要があります。開発に携わる人たちのゴールや価値観がそろっていれば良いのですが、それでも英語でコミュニケーションを取る必要があったので大変でした。
<アステリア社メンバーがシンガポールで撮影した写真>
ただ、周りの人たちにとても恵まれたのは実感していて、本社の各部署の皆さんや、管理部や人事の方たちの協力、詳しい人の助けがあったおかげでやってこられたという感じです。
ー最後に、アステリアの魅力について教えてください!
アステリアは自由ですし、これがやりたいと言ったときに「ダメ」と言われる会社ではないですね。自分でこれを作りたいと具体的な企画を出したことはないですが、ある製品を作ると決めてから「この機能はこうあるべきだ」という話はよくしています。言えば聞いてもらえるというよりは、そう信じているので説得します。
ただ、そういう意見を持っている人の集まりなので、意見がぶつかるときもあります。それをどうやってまとめるかはその場に応じて色々です(笑)。
ーたくさんの意見を出し合うことが良しとされる、研究開発チームの雰囲気が伝わるようなお話ですね。アステリア製品がどのように生み出されているのか、少しわかったような気がします。
ありがとうございました!