2018年11月15日。
前職のネオキャリアと同じ日に株式会社アスナロを設立した。
設立した当時の気持ちはこちらを。
まず、冒頭で率直な気持ちを述べたい。
この一年の間、自分は本当に情けない経営者だったと思う。
毎日毎日前に進んでいる感覚を持てない中、深海の中を深く深く泳ぎ回っていたと思う。
それはきっと、いつしか「答えを作るはずの立場」から、「答えを探す立場」に自分自身が変わってしまっていたことが一番の要因だと思う。
そしてあってはならないことではあるが、失敗を避けて、無難な道を選び、気づけば挑戦どころか生き残ることばかりを考えていた日々だった。
目指していた世界とは程遠く、1期目を終えた時にまず感じたのは「悔しさ」であることは言うまでもない。
ただ、そんな中でも気づけば仲間は想像以上に増えていた。
これに関しては、クルーは勿論のこと関係者各位に心から感謝の気持ちを申し上げたい。
雨の日に傘を差してくれた方々に身を粉にしてでも、沢山の価値を返していきたいし、沢山の方に次は傘を差してあげれる立場になりたいと強く思う。
この場をお借りして、本当に
「ありがとうございます!」
勿論、上手くいったこともあるがここでは失敗談を中心に残しておこうと思う。
3つ程の罠を紹介したい。
何かを「捨てること」の難しさ
「断捨離」、「ランチェスター戦略」、「集中と選択」。
そういった言葉は巷で良く聞く言葉であると思う。一見簡単そうにも見える。
ただやっぱり、何かを得る時よりも何かを捨て、「決めて断つ」ことは難しい。
創業当初、とりあえず出来ることは何でもやろうと色んな案件、色んな事業に手を出した。
それがまさに「答えを作る」ことから逃げて、「答えを探す」序章であった。
自分はどちらかと言うと、断捨離が出来るタイプであると自覚をしていたが、それは勘違いに過ぎなかった。
そう、今までは「与えられた会社のリソースの中で踊っていた」に過ぎず、そこに恐怖が存在しなかったから。
ただ、お金も、ヒトも、モノも、情報もない中で何かをスタートするとなるとまた違った恐怖が襲ってくる。
いつもそこにあるのは「明日には終わるかもしれない」という思いと、ついて来てくれる皆の生活の補償という未熟な自分には十分すぎる恐怖だった。
そういった思いから「何かを決めて断つ」ことのハードルがグッと上がる。
当たり前のことではあるが、何もない状況だからこそ、小さい小さい零細企業だからこそ生き残る為には何かを捨てて尖らせていく必要がある。
ゲームが違う
部長経験もあり、ある程度の大局観もあると自負してスタートをした。
裕福な環境下で事業を回すことと、会社をスタートさせること。
これは明らかに違いすぎた。
これも当たり前の話ではあるが、その当時の自分はそれすら気づかずに過ごしていたと思う。
上半期が終わったタイミング(4月)になりようやく、ゲームが違うことを理解し、全てを0にして何とか生き残ることが出来た。
急遽スタートさせたことも要因の一つだったのかもしれないが、恥ずかしい話、そんなことすら気づけないまま、今まで学んだやり方で何とかしようと考えていたが、ゲームが違う。
今まで野球をしていたのに、急にサッカーに変わり、手を使うことが罰となる。
それ位に考え方、動き方を改めないといけなく、リハビリ活動が必要であった。
ただ幸いにも様々な方々にアドバイスを頂き、ようやく理解が出来始めた。
志の重要性
創業当時、叶えたい世界観、そこに向かう為のマイルストーン、様々なことを考え設計した。
ただ、予定通りに進む訳もなく、そこには想像を絶する壁、ハードシングスが待ち迎えている。
そこに対峙しているうちに気づけば当初の目的を忘れ、目先しか見えなくなる。
経営する立場として、森を見ておかないといけないはずなので、気づけば木しか見ていない
状況が生まれ、結果として全てが悪循環になり始める。
「何の為に生きているのか?」
「どんな世界観を叶えたいのか?」
「社会にどんな価値提供をしたいのか?」
「誰のどんな笑顔が見たいのか?」
「どんな組織にしたいのか?」
こういったことを見失い、巷に落ちているベストプラクティスを探しはじめ、気づけば志を忘れて
しまっているみたいな状況が起きる。
今はボードメンバーで立ち返る時間を意図的に作ったり、改めてそこから事業ピボットしたりして
充実してはいるが、一時期そのような罠に陥ったのは事実である。
ただそれでも、、、
本当に沢山の失敗をした。
そもそも沢山の失敗しかないような人生だが、この一年は更に失敗したと思う。
それでも生きている。
「失敗が怖い」「挑戦したら怖い」
こういった言葉も良く耳にする。
ただ一番怖いのは、「安定という名の何もなかった人生」ではないか?
時間は有限と良くいいますが、その時間をといった資産を使った何も生まれたかった人生程、寂しいモノはないと僕は思います。
若い時に両親に産んでもらった自分が一番出来る恩返しは、この与えてくれた時間を最大限に使い最大限の経験、感情を手に入れることで。
そう考えると、恥の多い生涯を送って来た自分も少しは救われます。
これからも沢山の失敗を通して、後世に沢山のことを伝えれる人間になりたいと切に思います。
自分が思っている以上に、失うモノなんてないから、もっと動けと。
まだまだ大それたことは言えないですが、人生を先に生きる人間が逃げ腰の世界に、後世は希望を持てないので、これからも恥ずかしい姿を沢山見せて、恥ずかしい姿というのは恥ずかしくないというような価値を届けていきたいと思います。
そして、最後にこの一年間本気で思ったこと。
「あっ俺生きてるな、生きた心地がするな」
これに付きます。
PS:髙木結婚、東睡眠不足
そう言えば、大学からの大切な友人であり、今は大切な戦友である髙木君が結婚しました。
大学の時にはまさか自分が主賓の挨拶をするとは思ってもいませんでしたが、いい思い出です。
東君はこの一年間、必死に踠きに踠いた結果、このような目になりました。
残念です。経営者として猛反省しております。
こんな零細企業ですが、2期目も頑張っていきますので、どうぞ温かい目で見守ってやってください。
2期目もアスナロ君を皆で育てていきます。
そろそろ訪問に行く時間なので、この辺にしておきます。
また気が向いた時に書きます。
本当に一年間支えてくださった関係者各位、本当にありがとうございます。
多謝