【発達障害】アスペルガー症候群当事者として自分の強みを把握することーーー自分も、周りも、ハッピー人生!を創る鍵かも?【趣味と人生】
※イラスト素材:イラストわんぱぐ様
僕は2012年1月21日、アスペルガー症候群の診断を受け、それからすぐに大阪府内の障害者職業センターに電話をかけた。当時の僕は職を既に失っており、次の職は障害者雇用にしようと燃えていた。
この障害者職業センターではカウンセリングによる支援も受け、これは自分がアスペルガー症候群であるが故に発揮できる強みを理解する助けにもなった。
「この強みにより、自分の人生のみならず、周りの誰かの人生も豊かにできる助けになるならどれほど素晴らしいだろう。そうなることは、僕たち発達障害者側も、非発達障害者側もどっちのハッピーにできるんじゃないか…?」
そのように考えることに時間はかからなかった。そしてこの強みを把握していく中で、2012年以降からやり始めたアクティビティや趣味がいくつかあるので、列挙してみようと思う。
★絵画鑑賞
関連する特性:色覚認識の強み、感受性の高さ
診断を受けた当初から取り戻していきたいと思っていたものは、自分の中のクリエイター的なセンスだ。また、これらを磨いていくことによって、発達障害の弱みにもなりうる部分を補うことも、結果としてできるのではないか?とも考えた。そしてその目論見は、もしかすると多少は成功したかもしれない。
僕の弱みとしては、「空気を読むこと」が苦手、ということもあるのだが、芸術に触れ、ときめきを覚える瞬間を繰り返していくうちに、だんだんと人や場の雰囲気をすぐに感じ取ることができるようになってきた気がする。非発達障害者の人のレベルには及ばなくても、近づけているならそのセンスを磨いてきた価値はあったのだろう。
人や物の雰囲気を感じるにあたって「僕の早とちりや思い込みかもしれないな」と考えることもあるのだが、やっぱり第一印象の通りだった……となることが多くなっていった。
非発達障害者の友人と一緒に美術館に行ったこともあるのだが、彼らと心底そうしたものをリラックスして楽しめる瞬間は、本当に素晴らしい時間だ。自分の人生を振り返れば、本当に素晴らしくて…僕でも、辿り着けた。そして、僕の存在を喜んでくれる素晴らしい友人がいる。
後述するすべての趣味・アクティビティに関係するのだが、美しいものを美しいと素直に感じられる心、そして、それらを生み出した人々や自然造形に対する畏敬・尊敬の念を持ち、謙虚な気持ちであることは持ち続ける必要があると思う。過去の偉人達や偉人たちの祖国や故郷のためのみならず、今、一緒に美を楽しもうとしてくれる友人たちのためにも。
(自分なりにそうしてきたことが届いたのか、実は、その絵のモデルになった人のご加護かな?と思えるような出来事にも何度か遭遇したこともある)
★語学
関連する特性:長期記憶力、視覚により認識力、聴覚による認識力、論理性の強み、反復した行為を続けやすい
自分の特性の長所を活かしつつ、短所を補うアクティビティを探していたところ、外国語学習にも行きついた。障害者雇用で最初に入った会社の通勤中などに、さらに高難易度の英単語を覚えるようにしていったが、診断を受けて1年半ほど経ってから、僕は大学時代の第二外国語として選んでいたドイツ語の勉強を再開した。
何となくだが、英語だけでは不十分なのではないかという思いがあったので、自分の興味や関心のままにまずは語学を勉強してみようと思ったのだ。いわゆる「実用性」がドイツ語より高い言語もあったが、僕の場合は「好きこそものの上手なれ」のスタンスが一番合っていたと思う。
その後、格安Simの台頭のおかげでスマホ・タブレットデビューを果たした後は、基本無料の語学アプリで毎日勉強していた。「Duolingo」をやりつつ、単語を覚えるためのアプリをやったり、ある程度語学力がついてきたら、好きなゲームを英語以外の言語でやってみて、知らない単語はメモしてGoogle翻訳で調べる、Youtubeで、一度プレイしたことのある言語の他言語版のプレイ動画を見る(例:「(ゲームタイトル)(言語名)」という風に検索すると、たくさん動画が見つかります)などなど…を繰り返した。
2018年くらいでは、SNSなどが3~4ヶ国語で埋められることが普通になってきた。実はこれに飽き足らず、もっと色んな言語で交流してみたいとも思っている。今は新しい言語にあまり手を伸ばさず、今までかじってきたものを更に強化していく段階だ(おそらく、2022年くらいまではそうなると思う)。
なお、主に西洋の言語をかじってきたお蔭かは不明だが、現在プログラミング言語を学習する上においても、これら外国語学習の経験が、各プログラミング言語間の類似のルール等を理解する上で役立っている気もしている(例:Sassは、変数が$マークだったり、他にもPHPに類似した書き方がある、など)。
これは僕の友人と結婚し、独学で日本語を習得し、僕にプログラミングを勧めてくれたニュージーランド人の男性(彼もまた友人)も言っていたのだが、外国語学習に近い部分はやはりあるとのことだった。我ながら、なんと良い友人に恵まれたことだろう。この夫婦を誇りに思います。
ちなみに今までやってきた言語とそのレベルを相対的に表すと大体以下のような感じになる。
英語:★★★★★
ドイツ語:★★★★
フランス語:★★
スウェーデン語:★★★
ロシア語:★
スペイン語:★
中国語(北京語):★
★クラフトビール
関連する特性:味覚の敏感さ、嗅覚の敏感さ、(ブログやSNSを書く場合)文章による表現力
大学時代に親が通わせてくれた英会話学校の先生(カナダの方)がクラフトビールのイベントに誘ってくださったおかげで目覚めた趣味。この酒関係の味覚については、まずはワインから入って感受性を鍛えていったのもあるのだが(今もワインは大好き)、ビールがもたらす人と人をつなげる魔力にも魅かれていった。一人でゆっくり呑むにしても、何とも言えない恍惚感を味わえるのだ。
ワインは土壌や気候といった自然環境が味に影響することが多いが、ビールは醸造の工程でそのあたりの味のカスタマイズがかなり自由にできるといわれている(決定打となるのは、その醸造所が使う水の質だろうか…?)。日本のクラフトビールも、醸造家の方々の惜しみない努力もあって非常にレベルが高くなっており、欧米圏の方々をも唸らせるビールも今は数多く存在している。
また、クラフトビールの本場は欧米圏ということもあり、上にあげた語学力も若干役立っているように思う。海外旅行をして、現地のバーなどで習った外国語を使うのも楽しい…という相乗効果もある。
クラフトビールに魅了されてしばらくしてから、発達障害者なりに何か行動をしてみようということで、ささやかながら日本語・英語バイリンガル表記のビールブログも立ち上げた。
ただし、もちろん呑み過ぎは健康にも、そしてお財布にもよくない。僕は週の半分は全く呑まないことが多く、今より収入が増えても(それこそ、まさかの年収1千万になっても!)、この傾向は維持したい。また、いくら酔っているからとはいえ、言動や態度にも気を付けないといけないとは思う。「無礼講」を、むやみに人を傷つけたり不快にさせる免罪符にしてはいけないと思う(昔、三菱創業の岩崎弥太郎さんが、最終面接を「宴会」にして、酔った時の態度を見て採用するか否かを決めたそうだが、それを思いついた気持ちもわかる気がする)。ちなみに僕は「よく呑む人」としばしば思われるのだが、僕は胃が強くないので、実は呑みながら水などを呑むことで深酔いを避けているだけで、本当に強いかは???だったりする。
★料理
関連する特性:味覚の敏感さ、嗅覚の敏感さ、芸術的創造力
前職に勤めていた時、もう少し昼食費を切りつめたい、だけど栄養価も確保したい……と思った時に、自炊することを思いついた。現在は自宅暮らしをしているので、お米は母が炊いたものを使わせてもらっているが……おかずは自分で作ったものを持っていく。野菜を多くできるのと、調味料などもいろいろチャレンジしてみるのが面白い。実際に食費も減らすことができた。自炊を始めたころから、仕事へのモチベーションが以前よりも上がった気がする。
また、前述の「語学」と同じく、料理は脳機能の向上に良いと言われている。
なお、お花見などのイベント毎にここ数年は読んでいただけることも増えてきて(ありがたい…)、その際に手料理を持ち込ませて頂くことが多い。
発達障害からくる自分の味覚や嗅覚の敏感さでどれだけ喜んで頂けるのだろうか?とドキドキしたが、外食産業に勤めたor経営した経験のある友人、色々とおいしいものと出会ってきたはずの40-50代くらいの方々からも、「おいしい!」と誉めて頂けたことはとてもありがたく自信になった。
「料理は愛情」という言葉があるが、今僕もこれを実践できているならこれほど嬉しいことはない。たとえどんなに素晴らしい技量があっても、「俺の腕前でお前らに食わしてやるよ」という傲慢さはあってはならない、と僕は思っている(そういえば、美味しかったけどそういう態度がかなり出ていたフレンチのお惣菜屋さんが、数ヶ月で消えたこともあったなぁ……考えさせられる)。
余談だが、料理中はYoutubeの解説動画をラジオ代わりに流したり、トランス、ダンス、EDM、パンク、ニューレイヴ、ロック、メタルなどで気分を昂揚させながら料理をすることが結構多い(もちろん、手元と火元には気を付けて)。料理中の耳の中は、日本語、英語、ドイツ語、スウェーデン語などであふれかえっている。
★音楽制作
関連する特性:聴覚の敏感さ、芸術的創造力
僕は子供のころにピアノとトランペットをやったことがあるだけで楽器は弾けない。大人になってから、EDMやダンスミュージックも好きになり、心情面でもロック、メタル、インダストリアルあたりの一部アーティストから影響を受けたこともあった中、MacのGaragebandの存在を知って作曲を始めたことがある。
既存のMidi音源などでも、イコライザなどの調整によりかなり違った印象の音源を「創作」することができるのも面白く、様々な音源を組み合わせて音楽という一枚のタペストリーを創っていくことは何ともいえない喜びを味わうことができる。
ある程度完成した楽曲を、他に音楽制作をしていたり、楽器の弾ける友人たちに聞いてもらって、レビューし合うことはとても大きな喜びにもなった。
作曲と少しかするかどうかという話題だが、先ほど「語学」の項目で挙げた、ニュージーランド人男性と結婚した友人が、僕の音楽のチョイスが「センスがある」とほめてくれたことが何度かあったことや、人前で歌った時に、歌唱を褒めてくれた人が何人かいらしたことなどもあった…。もしこれが、発達障害からくる感覚を上手くいかせて人を喜ばせることのできた一例なら、まさに冥利に尽きる。
……さて、自分の特性で人生を彩る方法として、僕は発達障害の診断を受けたこと、そしてそれに伴う支援やカウンセリングを受けたことが、非常に大きく作用している。もし自分で発達障害と向き合うことをしていなかったら、このような人生の深い喜びと出会うことはできなかったかもしれない。
なお、僕がこれらの喜びを追求し続けることができたのは、僕一人だけの力ではない。周りからポジティブな刺激を与え続けてくれる友人たち、仲間たち、理解者たち………そうした人々の力あってこそ、僕でもこのように喜んでわくわくして頂ける次元に少しでも辿り着けたのだと思っている。
発達障害の典型的な特性には「こだわり傾向」があるが、僕は、できる限り傲慢さを排し謙虚さを持つこと、感謝の気持ちを持ち、折に触れて助けてくれた人に恩返しはすること、にはこだわりたいと考えている。せっかくの知識や能力は、正しく使ってこそ、本当の意味での自分と他人の幸せに貢献できると信じて…。
その先に出会えた美しい友人たちとの交流は、物質的な価値では測りがたい素晴らしさがあるーーー僕でも、こんな素晴らしい世界に出会うことができた。
(※なお、趣味を追究する過程で人と接する過程は、必ずしも毎回必須ではありません。僕のこれらの趣味の多くは、まずは一人で追究してきました。まずは一人ででも行動してみることは大切だと思います。一人で始めるのは、周りの声に流されにくくなるというメリットも活かせます。)