プロインタビュアーが語る「インタビューの事業化」(第一回)
マスコミや編集プロダクションからの発注に依存せざるを得なかったフリーランス・クリエイターからの脱却。年間500人/100社以上対応し続けるプロ・インタビューアー伊藤秋廣が、株式会社エーアイプロダクションの経営者の立場から「インタビューの事業化」をテーマに語っています。
(聞き手:林春花 執筆:テキストファクトリー 撮影:古宮こうき)
――インタビュアーとして活動されていますが、最近、標榜されている「インタビューの事業化」とはどういうことなのか具体的に教えてください。
伊藤:2つの側面があると思っています。まずは、1つは私たちサイドの目線になりますが、ライティングやインタビューの仕事は、どうしても請け負いになりがちです。それはメディアから請け負ったり、あるいは事業会社から「ホームページのこの部分を作りたいので、そのためのインタビューをして欲しい」といった依頼をもとに仕事をするというものです。
もちろんクライアントワークは大切ですが、仕事の性質上、どうしてもこちらがリードするカタチでビジネスを展開するのは難しく、このワークスタイルを一生続けていく限り、お客様の都合や経営状態に左右されやすく、はやりの言葉で言えば、レジリエンスで競争力のあるビジネススタイルを確立することができません。
そこで、現在、行っているインタビューや書いている記事をサービス、あるいは商品化して、できる限り私たち提供側がプロとして考え抜いた形でエンドユーザーにお渡しできる方法はないものかと考えました。私ができることは、人のお話を聞いて記事化することくらいなものですから、それをどのようにしてビジネス化するかということを常に考えていました。
もうひとつの側面としては、年間350~500人に対してインタビューをして“人はとても可能性に満ちている”と気づいた点も大きく影響しています。世の中に新しいサービスが登場するのも、結局は誰かのアイデアや頭の中にある思いから生まれていますよね。取材を重ねていくと、人の中には可能性があるけれども、必ずしもそれが言語化されて、アイデアとして形になっているというわけではないことが分かります。まれに、それを実現できる人もいます。最近の若い経営者などは、自分の考え方を発信したり形にすることが得意ですが、ちょっと年齢を重ねた経営者の方や地方の方の話を聞くと、その人の中に良い経験やアイデアがたくさんあるのに、それを「私のアイデアは大したことない」と謙遜しすぎて発信せず、しっかりとした形になっていない例がたくさんあると感じています。すごくもったいないですよね。
そこで、そういった人々の中に眠る可能性をを誰もが認識できる形にして発信してあげれば、もっと皆さんが注目してくれるかもしれませんし、そのアイデアに同意した人が新しいサービスや新しい商品に繋げるかもしれません。人の頭の中や心の中にあるものをきちんと引っ張り出して分かりやすい形にするということは、とても社会的意義のあることですし、私たちインタビューやライティングを生業としている人たちができる社会貢献だと考えました。
この2つの思いからインタビューを事業化すると考えたときに、記事や動画を作るためのインタビューではなく、インタビューそのものに意味を持たせたいという思いが、このインタビューの事業化の根本にあります。
――媒体から脱却して、インタビューそのものを事業として独立させるとなると、大きくスタイルが変わりますね。
伊藤:そうですね。インタビューを事業化する上で、重要なのがクライアントのためにインタビューをするという目線です。これまではお客様である媒体のため、読者のためにインタビューをして記事を書いていました。しかし、クライアントはインタビューを受ける側の人、すなわちインタビューイーなので、がらりと目線と考え方を変える必要があります。
誤解を恐れずに言うと、もちろん媒体はそれなりに影響力を持っているので、特にマスメディアの力を借りるのは意味のあることですす。しかしその一方で、媒体側の意図するところがあり、彼らの価値基準で“美味しい部分”以外をカットしたり、恣意的に変更する例もありますが、私は、そこに違和感を覚えていました。
せっかく等身大の話を聞けたとしても、媒体的に不要だとカットされてしまうことがありますが、それは本当にもったいないと思います。すべてきちんと記録として残してあげたい。そこから媒体にしばられないインタビューや取材活動をすることが重要だと考えました。
これは理想論ですが、インタビューを受ける側の人寄りにインタビューや取材をすべきであって、そこから引っ張ってきたものを媒体に合わせて切り売りしていくイメージです。その人が媒体を使いたくなければ媒体を使う必要はありません。必ずしも既存媒体に合うような話をするのではなく、インタビューを受けた人が伝えたいことを聞いておいて、その人の考え方や哲学をストックしていきます。そして媒体から「こういう話が聞きたい」と依頼があったときに切り出して渡してあげるということができればいいですね。インタビューを受ける側の論理に起点を置くという感覚かもしれません。
繰り返しになりますが、媒体は利用したほうがいいと思いますが、しかし媒体側の論理で利用されるというのは、SNSやブログなど多数の発信手段があるイマドキではないと感じます。その人が発信したいことを媒体に合わせていっても良いのではないでしょうか。
昔から、ばらまき型の発信には疑問を持っていました。例えばパーティに行き、300人ほどの知らない人に名刺を配ります。それに2時間を使うのであれば、仲のいい人と2時間話す方が絶対に良いに決まっています。そこから新しいビジネスやアイデアが生まれる確率の方が遙かに高い。それを媒体に置き換えると、拡散型で様々な人が見に来る媒体に記事を載せるのではなく、伝えたいと思う層に記事を見せるだけでいいのではないかと考えました。
パーティで300人に名刺を配っても、商談に繋がるのは1件あるかどうかです。自分の考えをまとめた記事を、関係のある30人に配った方がよっぽど仕事に繋がる可能性があります。考えを伝えることは重要ですが、私は、伝えるべき人に伝えるだけで十分だと考えています。
マスコミュニケーション的に空中戦で撃つよりも、今で言うところのSNSに近いですが、シェア型でいいと思います。インタビューをした記事をまとめておいて、それを商談の席で名刺代わりに見せた方が確実に伝わります。必要な人に、自分の哲学や考え方を伝える手段としてインタビュー記事を活用するのもいいですよね。
テレビに出て誹謗中傷を受けるなど、よく知らない人に向かって自分たちの自慢気な情報を見せることの危険性やリスクがあると思っているので、信頼できる人に自分の考えていることを拡散していき、それをまた信頼している人にシェアしてもらい、紹介をされて広がっていくのが理想です。我々のような信用商売の人間はそれくらいの拡散でいいと思います。
その人の本当の魅力というのは、広告代理店やコピーライターがイメージ本意で外から提案するものではなく、その人の中に眠っているものをいかに市場観とマッチさせるかという話なので、そこは我々インタビュアーの出番だと思います。可能性は人の中にあると考えると、それは経営者かもしれないし、現場で頑張っている人かもしれないし、開発をしている人かもしれません。それぞれの思いを引き出してあげたときに、その魅力が市場とどのようにマッチしているかを第三者の目線で見て「これを伝えよう」と見つけてあげる感覚ですね。
――具体的に「第三者」とは、どのような意味でしょうか。
伊藤:私には偏りがまったくありません。野球でもひいきの球団はありませんし、めちゃくちゃ思い入れのある対象もないです。常に一般大衆の真ん中にいたいと思っています。常にフラットな目線でいることを徹底しています。政治や宗教、思想などもまったく偏らないように意識をしています。もともと淡泊でしたが、インタビューの仕事を始めてからは余計に意識しています。できるだけ一般の視聴者や閲覧者、市場に近づける努力はしたいと考えています。一般の人が「ここは知りたいのでは」というところを意識するイメージです。私の目線が本当に一般大衆のど真ん中かというとそんなことはないかもしれませんが、意識をする、しないでかなり変わってくると思います。
また、平均値を取るような考え方をしていて、それはたくさんインタビューをしているからだと思いますが、同じような業界を10社も取材していると、その業界における考え方の中心地がなんとなくわかってきます。自分の中で色々な人の話を聞いていると、色々な人の感覚が蓄積されてくるので、その中で「これはとんがっている話だな」ということが分かってきます。フラットな目で見なければならないという意識の中で、フラットな目線を作るような努力をしています。
私が思う「第三者目線」というのは、中にいる人間ではない目線という意味を多分に含んでいます。例えば業界常識がありますが、それは受け取る側からすると邪魔な情報です。少なくとも外側にいる人間は第三者目線になるので、業界にいない人が見たときにも分かるように話してもらえると、業界の中の人と外の人の境界線が中和されていきます。
私が言っていることが間違いないという意識なるのは絶対にいけません。第三者目線で業界の外にいること、また経済的にも中流くらいの一般的な感覚であるから言えるコメントがあります。
しかし、第三者で上から目線の物言いをしては絶対にいけません。インタビュイーの方に心から共感しなければ話を引き出せないので、中側と外側を交互に行き来する形を意識しています。常に普通の人でいることを心掛けています。普通というのは、どこにも基準がありませんが、少なくとも自分で意識しながら、ずれないようチューニングをしながら話を聞いているような感覚ですね。
媒体では、どうしても読者層を意識するのでその目線で切り取ってしまいますが、それとも違います。
(第二回に続く)