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事業会社に入社するまでの軌跡

目次

1. はじめに
2. 法科大学院退学時
3. SES退職時
4. 最後に

1.はじめに

初めまして、小山田湧亮です。
表題の通り、8 ヶ月勤めていた会社を2018/07/31付けで退職しました。
ここまでに至るまでに、私は法科大学院を辞め、プログラミングを学び、就職活動をしております。
その軌跡をここに綴ることで、少しでも自分のことを知って頂けたらなと思いまして、今回記事を書いて見ました。
初めての記事ですので、暖かい目で見て頂けると幸いです(`・ω・´)

2.法科大学院退学時

2.1 法科大学院を退学するまで
2.1.1 法科大学院退学手続について

私は2017年4月から10月まで中央大学法科大学院に在学していたんですけれども、2017年9月に上記法科大学院を辞めようと思いました。
その理由は色々あったと思います。

将来的に支払う負債(奨学金)の割には授業の質が著しく低いとか、授業は適当に聞いて自習が物を言うのが定石であるとか、実際の法廷を見たら検察事務官が爆睡していて女性検事が呆れていたとか、etc....

でも、正直具体的な理由はどうでもいいんです。どうせ後付けだから。
その時、その瞬間にここにいちゃだめだと思ったから辞めたんです。
だから、退学の手続きを開始しました。

実際の手続きとしては、まず休学手続きをしてから、その後、退学手続きをしましょうという形になりました。
なぜ、そんな形になったかというと私が学費免除生だったからです。
私の学校は、学費免除生が年の途中で退学すると免除された分を後ほど支払う規則になっていました。
私が退学しようとしたのは10月ですから、休学を2018年3月一杯までして、その後4 月に退学するように、形式的にはした方が学費免除分を支払わなくて良いですよとアドバイスされました。

この時点(10月)でのの貯金額:約40万

2.1.2 法科大学院退学までにやっていたこと

さてさて、法科大学院を辞めると言っても、流石に次のアテがないと不安感が収まらなかった私は、次にどんな進路を進もうかと悩んでおりました。
正直なところ、就職活動なんてやったことないし、周りも大学院進学組だったり、公務員組だったりしたんで、一般的な就職活動の情報なんて何も知りませんでした。
それに、大学院を退学すると、新卒ではなくなります!!!!
既卒です!!!!!!!!
知っている方にとっては何言ってんのって感じだと思いますけれども、
当時の私の感情は、((((;゚Д゚))))))) でした。
半年しか変わらないのに新卒枠で就職ができないだと.....
総合職という選択肢が消えた....
大企業とはまず無理じゃん....
そう思ってました。
なので、キャリア志向なんて全部捨てて、"大学院退学 就職"でググりまして、ランキング上位に上がっていた某転職エージェントに向かいました。

某エージェントに相談しに言ったところ、"君にはプログラマーが向いてるかもね"って言われました。
プログラマーって、あのよく映画で出てくる、裏でものすごい活躍する、マトリックスみたいなやつか!!! って当時は思ってました。全然知らない業界でしたから。。
今になって思うと、某転職エージェントではITエンジニアを増やそうと躍起になっていたので、特に理由なく勧められたのではないか??なんて思ってます(あとで理由を聞いても曖昧に誤魔化された為)。
とはいえ、某エージェントでは無料でjavaを約1ヶ月半教えてくれるとのことだったので、業界やプログラマーは何をする職業なのかを知るために研修?みたいなものに参加しました。

そこでは、javaの基礎から、最終的にEclipseというツールを使ってWebアプリケーションを作りました。
確か、映画とその映画のロケ地に着眼して、映画 → 映画のロケ地、映画のロケ地 → 映画というアプローチで興味を持ってくれるようなWebアプリケーションを作ったと思います。

※ 後ほど、プログラムを発見次第、何かしらの方法でアップします。。。

2.2 法科大学院退学後

ちょうど、上記研修?みたいなのが半分進んだ頃でした。そして、上記Webアプリケーションを作りまして、転職活動に入りました。
面接練習をして(1、2回)、面接をして(3社面接)、最終的に2社に内定を頂きました。

最終的に、内定を頂いた2社の内、1社に決めた理由は"成長できそう!!"だったからです。
結果的にある意味成長できました(`・ω・´)

3. SES退職時

3.1 SESを退職するまで
3.1.1 客先1社目(2017年12月〜2018年1月末まで)

入社日に客先に派遣されました(笑)
前々から研修はないと言われていましたので、まあそうだろうなと思っていましたけど、唐突すぎて初日は呆気にとられていたと思います。

派遣プロジェクトは、社内WebアプリケーションのWindowsのバージョンアップ対応案件でした。

作業内容は下記になります。
結合試験仕様書をVBのコード、画面構成を見ながら作成
単体試験仕様書をVBのコードを見ながら作成
単体試験を自分で作成した単体試験仕様書を元に行うエビデンス作成
結合試験を既に作成された結合試験仕様書を元に行うエビデンス作成。

私の場合、既に派遣されていたSE歴5年目ぐらいの他社の先輩について頂いて、その人の指示に従って動いていた感じです。
最終的には、私がちゃんとやってくれると認識してくれたのか、指示が雑になりました(笑)。嬉しいのか嬉しくないのか良くわからないです(笑)。

この時点で私が気づいた自分の性格、適正、できるようになったことは下記になります。
ドキュメント(試験仕様書等)は、何を、どうしているのかをパッと見で分かるように気をつけて作成できるようになった。
● 単体、結合試験の観点が何となく分かるようになった。
● 私は、javaをある程度読み・書きできるようになっていたことで、多言語のコードでも抽象的にはやっていることが分かるようになっていた。
● 質問をする際には、要点をまとめて質問できるようになった。
● 私は、ある程度わかってくると細いところまで気になり、適度に報告・相談・問題点の解消・改善案の提示をすることができるらしい。
● 私は、問題点の発見と改善が楽しいと感じるらしい。

3.1.2 客先2社目(2018年2月〜2018年3月末まで)

次に、私の上記働きを買ってくれた?のか、別の会社に派遣されました。
ちょうど、上記客先のプロジェクトが落ち着いたことも理由だと思います。

派遣プロジェクトは、自社チームで他社に派遣され、他社の新たなシステムを開発するという案件です。
● 使用言語はjava
● 使用フレームワークspringBoot、myBatis。
● 使用ツールsvn、ちょこっとgiteclipse
● DataBaseはpostgreSQLです。

作業内容は下記になります。
DBから特定データを検索して取ってくる為のAPIをコーディング
BuzinessLogic層からDataBase層を作成
● SQLを書いているsqlmap.xml(DataBase層)とBuzinessLogic層をつなげるmapperも作成(一部自動生成あり)。
詳細設計書の修正点を指摘、改善
単体試験仕様書作成、実施エビデンス作成

自社チーム(3人)と他社メンバーを含めて、10人程度のチームで開発をしました。
私は基本的に分からないことがあった場合には、下記の流れで乗り越えてきました。
● 自分で調べる → ググる → 適当に試しでやってみる → 解消しなかったら、何が出来て何が出来ないかを簡単にまとめる → 自社のユニットリーダーに聞く → それでも分からなかったら他社の開発リーダー的な人に聞く

多少難解な問題は自社のユニットリーダーまでで止まるんですけど、大抵最後の他社の開発リーダーまで行っちゃうので、他社の開発リーダーとは比較的話しやすい関係になっていたような気がします(笑)
"また君か"みたいな感じになっていたような(笑)
気になったら止まらないたちなので、他社の開発リーダーには感謝しています。勿論自社のユニットリーダーにもです。

この時点で私が気づいた自分の性格、適正、できるようになったことは下記になります。
プログラムの流れを意識してコードが書けるようになってきた(画面 → BuzinessLogic層 → DataBase層等)。
単体試験の観点がより分かるようになった(考えられる処理手順を全て上げる(正常系、異常系に分ける) → まとめられるものはまとめる → 余裕があったら突飛なテストケースを考える)。
● 私は、分からないところは自分なりに分かるように頭の中で整理するところまで、突き詰めて理解しようと心掛けるみたい。
● 作業が空いたらとりあえず、qiitaを見ちゃう(javaの記事が最近あまりないような....)。

3.1.3 客先3社目(2018年4月〜2018年7月末まで)

GitHubが使える!! って何故か期待していた現場です(笑)。前の現場と同じように私の働き?が評価されて配属されたような気がします。恐らく、前のプロジェクトが最終的にお客さん側で荒れて中止になったことも理由だと思いますけれども。

派遣プロジェクトは、自社チームで他社に派遣され、他社の既存基幹システムを開発するという案件です。
● 使用言語はjava
● 使用フレームワークspringBoot、myBatis。
● 使用ツールsvngitGitHubeclipse、gradle、Redmine、jenkins
● DataBaseはOracleです。

作業内容は下記になります。
DBに対して検索、登録、更新したり、CSV出力/読み込む為のAPIをコーディング(画面、バッチ)
BuzinessLogic層からDataBase層を作成
● 客先独自のフレームワークを一部使用。試験用DB データはExcelで設定
詳細設計書の修正点を指摘、改善
単体試験仕様書作成、実施(マトリックス仕様)エビデンス作成。バグ表記載。
結合試験のバグ対応バグ表記載。

自社チーム(3人)と他社メンバーを含めて、10人程度のチームで開発をしました。
ただ、開発する上で下記難点がありました。
● 詳細設計が間違いすぎている。
● 事前に用意されたSQLが間違いすぎている(最終的に大抵ゼロから作った記憶があります)。
● 間違いを確認する為に詳細設計作成者に質問をする必要があるが、その返答が全然帰ってこない。
● 質問するにしても質問の仕方をヤケに注意しなければならない。
● 他社独自のフレームワークを使っている為、自社のユニットリーダーでは分からないことが多く、開発リーダー的な人に質問する必要がある。
● 質問したらしたでその人はコードのことがあまり分からないらしく、謎に激怒される。忙しいからメールをしてくれと言われる。メールをしたらメール上で謎にまた激怒される。
● 単体試験でバグがあまり出ていないと怒られる(基準があるそうです)。
etc.....

上記から、開発にあたって少なくとも下記の環境は必要だなと思いました。
できるだけ気軽に質問できる環境
柔軟に仕様変更に対応できるような環境(できれば)
パソコンのスペックの良さ(Eclipseが重すぎてビルドが全然成功しなくてそこで時間を取られる)
ピリピリしてない環境(質問するにしても、コード書くにしても萎縮してしまって、失敗を恐れてしまう。結果として無駄なミスを起こしちゃう)(胃が痛くなります)

この時点で私が気づいた自分の性格、適正、できるようになったことは下記になります。
比較的雰囲気が緩やかな環境と、ピリピリしている環境とでは生産性が全然違う(比較的雰囲気が緩やかな環境の方が質問もしやすいし、問題にも気付きやすいし、改善もしやすいし、改善案も提案しやすい)。
どんなに厳しい環境でも意地でも最後までやり遂げることができた。(ただし、その後退職しました(`・ω・´))(優しいユニットリーダーには感謝してます)
● 画面機能、バッチ機能を比較的短期間で実装・単体試験していた為、少なくともちゃんと動ける実装はできるようになってきたかもしれないと思えるようになった。
● 自分の作業ペースが何となく分かってきた (何人日で終わるか等)

3.2 SESを退職後
3.2.1 退職を決意してから退職届を出すまで

上記の3案件を経験している間、私は個人的に、DiveIntoCodeというプログラミングスクールに2018年3月から通っていました。
このスクールは、最終的にRuby on Railsというフレームワークを使ってWebアプリケーションを作成、その後発表まで出来る DiveIntoCodeというスクールです。

私の計画としては、2018年5月半ば以降から上記3つ目の案件が激務になりそうだったので、そこまでに卒業課題一歩手前まで終わらそうと考えていました。そして、実際に終わらせました。
また、並行していくつかイベントに参加したり、Webエンジニアについて調べたり、聞いたりしていました。

その結果として、私の中に下記の想いが芽生えました
エンジニアという職業はプロダクトを創り上げ丁寧に育てることで、より多くのユーザーを笑顔に幸せにできる職業なんじゃないか。
今までの現場にいたエンジニアの方はそんな想いで働いている人がいるのか。いや皆最終的に死んだ魚見たいな顔をしてたな。
1つのプロダクトを創り上げるに当たって、最初から最後までコミットしてみたい
環境変えたいなあ。ちゃんとしたスキル身につけたいなあ。
● 前職ではスキルとは経験だと言っていた人がいたけど、本当にそうなのか? 経験があってもスキルがあると言えない人がいるんじゃないか? じゃあスキルって何だ
問題発見と、問題解決は好きみたいだ!! 法律はプログラミングと共通する点があるし、エンジニアは向いてそう。。

そんな想いを抱いた私は、上記スクールが8月で卒業だし、5月半ばから激務が続いてRailsを全然触れなかったし、その気力も体力もなくなりかけていたし、転職活動も並行してできないなって、いざやってみて思ったので、7月末で仕事をやめて、8月から12月までに次どうするかを決めようと思いました。 

そう決意してからの行動は早かったです。
まず、6 月末には自社のグループリーダー"参画している案件に関して相談があります"旨を伝えました。 
実際に、当日を迎えて、今の案件の状況等を伝えながら、最後の最後に"辞めたい"旨を伝えました。
当然、引き止められましたけど、上記想いを伝えたり、自分がやってみたい業務領域では使用言語もフレームワークも異なり、評価される経験も違うから出来るだけ早く自分がやってみたい業務領域の経験を積みたい旨を伝えました。

次に、自社の営業と所属している部署の部長等と面談をしました。当然、引き止められましたけど、上記自分の想いを最後まで伝えたことで客先と退職交渉をしてくれることになりました。
そして、退職届をどう作成すれば良いのかググりまして、Amazon使ったりして、封筒・用紙を購入し(なかなかないんです泣)、退職届を郵送しました(郵送で提出して下さいと言われました)。
最終的に、7月末で退職することが正式に決まりました。
最終日に、退職手続きをしまして、無事退職しました。

3.2.2 退職後の話

直近のお話になりますが、退職後に必要な手続きをググりました。
実際に行った退職後に必要なことは以下になります。

国民健康保険に加入するか、任意継続するかを決める。
→ 計算したところ、私は前年の収入がない為、国民健康保険の方が安いことが発覚しました。
仮に現在の年収と同程度の収入(約300万)があったとしても、月16890円です。任意継続だと今までの2倍なので、月22000円です。
→ 結果的に、国民健康保険の方が安いと思い、役所で手続きしました。

厚生年金から国民年金に切り替える。
→ 国民年金の支払額は平成30年度だと、月額16430円です。
国民年金には免除・猶予制度があります。
私の場合は、前年の収入がないので全額免除になりました。
ちゃんと免除したいと申請書を書く必要はありました。

※ 私は奨学金を大学時代、大学院時代に借りていた為、月々23366円支払う必要がありました。流石に無職にはきついので、6月中に猶予ないし減免申請をしています。

 この時点でのの貯金額:約50万

4. 最後に

Noteでも同様の記事を書いてます。
https://note.com/fa19940118/n/nd4fa0abd21aa
その理由としては、大学院半年で退職・1社目の会社を約半年で退職したような人がネット上でも知人にもいなかったからです。
今の環境から抜け出したいだとか、行動したいけど肝心な1歩が踏み出せない人など、そんな誰かの心理的な不安感が除けられたらなと思って書きました。
同時に自分の大学卒業後からの軌跡も情報公開できるので、書いてよかったと思っています。
私は上記のような感想だったり、感情を抱く人間ですが、どうぞ宜しくお願い致します。

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