書籍【THE VISION~あの企業が世界で急成長を遂げる理由】読了
「ビジョンを失うと、企業は衰退する」これは非常に恐ろしい言葉だ。今の時代、それだけ重要な指針なのだ。
ビジョンの重要性については、一企業に限られたことではない気がしている。
個人的意見にはなるが、「我々一人一人が、人生のビジョンを持つ必要がある」ということでもあると思うのだ。
壮大な夢を持って人生を生きることは、それは理想的な形だろう。
「少年よ大志を抱け」「信じれば夢は叶う」と、大義を掲げることの大切さは、今までもずっと語られてきた。
しかし、過去と現在の大義の意味は相当に異なる。
それは今の時代が「ビジョンを持てなければ、生きていくのが辛くなってしまう」という状況に変化してしまったからだ。
実際は、人々の大半が凡庸な人生を生きるはずである。
人間とは「存在するだけで価値がある」ものであり、そこに「壮大な夢」なんて持っていなくても、充分だったはずなのだ。
それなのに、これからの未来は特に、一人一人の人生においても、ビジョンを持たなければ、生きていくことは非常に困難になっていく。
これは由々しき問題だと感じているが、この流れは当面止まりそうもない。
発端はAIの大きな進化だ。
Aiがこれだけ発達し、人々の仕事を奪っていくと言われている中で、「人間にしかできないこと」を見つけることに人々は躍起になっている。
人間だけが持っていて、AIが持っていないものを端的に言えば、「意識・愛・モチベーション」などだと思う。
今後AIが意識や愛を持つかどうかは別としても、我々人間が現時点で持っている大きな差異は、これらであることは間違いないだろう。
「将来こうなりたい」
「人生をこの仕事に懸けて生きていきたい」
「どうしてもこれをやり遂げたい」
「世界をこういう風に変えていきたい」
これらはそのまま人生の指針となりえるが、このように「人生のビジョン」を持たなければ、AIに支配される人生になってしまうということなのだ。
これには、とんでもない時代が訪れたと、思わざるを得ない。
「存在しているだけで価値がある」という言葉に深い意味があるのは事実だし、その権利を他者が絶対に侵してはいけないはずだ。
それにも関わらず人々は、自己肯定感を喪失し、生きていく意味を見い出せずに苦しんでいる。
本来は、存在しているだけで充分なはずなのに、それだけでは許されない時代が訪れてしまった。
これは他者から強制されている話では、決してない。
AIの台頭により、「幸せになりたいなら、将来ビジョンを持たざるを得ない」という、時代の変化のことなのだ。
さらに言えば「将来ビジョンを持たない人は、幸せになれない」ということでもある。
こう言うと格差社会を助長しているようにも感じてしまう。
大半が凡庸な人生を送る中で、一部の人しか幸せを手に入らないかのように語るのは、あまりよろしくない。
それでは過去はどうだったのか?
本当に「存在しているだけで充分」が、全うされていたのだろうか。
ここは「◆◆を持たない人は、幸せになれない」の「◆◆」を考えてみれば、理解しやすい。
かつてはここに、「お金」が入った訳だし、「権力」が入った訳だ。
こう考えると、幸せになるための言葉が置き換わっただけであって、実は「存在しているだけで充分」ということは詭弁だったのではないかとさえ疑ってしまう。
社会の価値観が変わったというべきか、幸せな人生のルールが変わったというべきか。
いずれにしても、「将来へのビジョン」が、これだけ重要な意味を持つようになったということなのだ。
話を元に戻せば、企業も全く同じ状況になっていることが分かる。
当然、人間一人一人の集まりが組織化されたものが企業なのだから、企業こそ大きなビジョンを掲げなければならない。
社会の中での、その企業の存在理由が明らかにならなければ、それこそ不要なものとして退場させられてしまう。
もし不要ではないとしても、ビジョンを持たずしてただ存在するだけであれば、それこそAIに代替えされてしまうことになるだろう。
端的に言って「この社会において、この企業がどうしても必要だ」とならなければ、今後は生き残るのが非常に難しいということだ。
楠木建氏が本書について記載した「金で買えないものがいちばんカネになる。それがビジョンだ」という紹介文は、本質を突いていると思う。
「ビジョンを失うと、すべての衰退がはじまる」という言葉には、ドキッとさせられた。
例えビジョンを失わずとも「駄目なビジョン」があるだけで、衰退は始まるのだという。
実際に、次の時代に向けたビジョンを掲げられずに衰退した企業の例として、シャープ・東芝を挙げている。
一方で「明確なビジョンを持つ企業」の好事例として、Apple・Amazonを挙げている。
この2社は、今でも成長を続けており、社会の中で大きな存在感を示している。
端的に言って、これからはビジョン無くして、企業の継続そして成長はあり得ないということなのだ。
それでは、どんなビジョンを掲げればよいのか?
ビジョンを掲げるだけでも、成功は難しい。
どうすれば、成功に導くビジョンとなれるのか。
実行可能な、真のビジョンとは何なのか。
本書内で細かく解説しているため、一読することをお薦めする。
そして、翻って個人を考えてみると、「ビジョン無くして、幸せな人生はあり得ない」である。
それだけ「ビジョン」とは、強力な魔法の言葉だと言える。
私自身50代中盤を超えて、ビジネスマンとしての人生も終わりが見えてきている。
しかし、人生そのものを考えたら、まだまだ先は長い。
改めて、残りの人生をどうやって過ごすのか。
これからだって、壮大なビジョンを掲げるのも良いかもしれないと感じた。
(2025/2/5水)