書籍【天才論~立川談志の凄み】読了
私は人事部門で長く働いているが、特に最近感じているのが、「人を育成・成長させるには、デジタルツールでは成り立たない」ということだ。
本書を読むと、特にそのことを確信してしまう。
最近「学校の先生は不要で、動画教育だけでよいのでは?」という議論もされている。
私個人はそれには反対である。
未来の人材を育てるのは、結局人からの継承が必要で、師弟同士がぶつかり合わないと成立しないと思う。
古い考えなのかもしれないが、教えることは技能だけではないし、人間性や考え方、その人物の背景にある部分が重要だったりする。
育成の根幹の話になるが、「ダメな上司が、部下を優秀な人材に育てられる訳がない」と思う。
当たり前のことであるが、この理屈で言えば逆もまた真なり。
「自分が優秀な人材として育ちたければ、天才に教えを乞うしかない」
立川談慶氏の著作を読んだのは2冊目だ。
今回は、師匠である立川談志氏と、ご本人との関係性について余すところなく記載している。
私が見ていた立川談志氏は、子供の頃だったということもあり、テレビタレントという認識だ。
落語家としてどれだけ天才だったのかというのは、もちろんリアルタイムでは体験していないのであるが、本書を読むとその非凡ぶりに改めて気付かされる。
談慶氏は師匠からなかなか合格が出ずに、出世が遅れた苦労人。
本人も自分自身の至らなさに気付いていつつも、それを甘やかす師匠談志であるはずがないことも分かっている。
今令和の時代には失われてしまった人間同士の関係性が、この2人の間には確実に存在している。
確かにスマホやSNSは、人同士の繋がり方を変えたかもしれない。
遠く離れた人と、簡単に連絡が取れるようになったことは、良いことなのかもしれない。
しかしながら、育成の観点で見ると、デジタルツールはあまり役に立っていない気がする。
むしろ害悪であるとすら感じてしまう。
談志氏は「落語とは、人間の業の肯定である」という考え方の持ち主だったそうだ。
これは非常によくわかる。
古典落語に出てくる登場人物は、ほとんどが市井の人々。
それも大抵がだらしない人々だったり、ズルをしたり、ごまかそうと考えたり。
つまり、人間とは心の弱い存在であり、全員が徳のある人物には、なかなかなれないものである。
「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを教えてくれるものだ」という名言も談志氏のもの。
談慶氏は師匠談志氏から徹底的に厳しくされる訳であるが、ここまで追い込まれなければ、きっと中途半端な芸になってしまっていたのだろう。
それがどうしても認められなくて、自分に許せなくて、合格を出せなかった。
弟子の芸もまた、自分の作品の一部であるのだから、そこは妥協が出来なかった。
気持ちは理解できるのだが、今の時代ではここまですることは、許されないのかもしれない。
それはハラスメントだったり、コンプライアンスだったり、人権デューデリデンスだったり、働き方改革だったり。
様々な規制が出てきて、それが弱い立場の人々を守ることになっているのは間違いないが、極めて高いレベルを求めなければいけない仕事も、レベルを落とさなくてはいけないのだろうか。
本書の談慶氏のような苦労も、成長のためには必要ではないかと思ってしまう。
人事部門で働いていて、日々葛藤の連続である。
規制は規制で必ず守る必要がある。
一方で、人材が育っていないのも確かである。
(落語家ではなく、会社の中で、である)
これからの時代に合った人材育成とは何なのか。
未だに最適解は見つかっていない。
一つ言えることは、天才と言われる師匠に師事することが、成長の近道である。
結局二流の人に教わっても、しかも厳しくされずに甘やかされたら、技を磨けるはずがない。
人間はそもそもダメな存在である。
しかし、芸が超一流な人は、希少ながら存在する。
談慶氏は幸せだと思う。
結局のところ、人生の価値とは、誰と出会うかで決まる。
人事担当としては、そういう素敵な出会いのサポートをできたらと思っているが、果たしてそれだけでよいのだろうか。
仕事の中でも技の継承が課題になっている。
一方で、テクノロジーの進化によって、仕事は大きく変化している。
かつては一流の技が必要だった仕事が、機械に代替されて、誰でもできる仕事になってしまう。
そんな時代に、人材の育成は本当に難しい。
試行錯誤しながらだが、見つけていきたいと思っている。
(2025/6/18水)