僕1人で全くゼロからのスタートをした、創業期からの話をしてみようと思う。
シスナビ代表の藤田です!あまり社員にも話をしたことがない創業期からの話をしようと思います。
貯金200万を溜めて起業
前職時代に溜めたキャッシュを元手に自宅起業しました。池袋のワンルームマンションで1人。個人的な休息期間をその後は設ける事もなく(仕事を早くしたくてウズウズしていた)、すぐに仕事を開始しました。最初はまーったり慣れたビジネスで売上をコツコツと立てていました。個人でやっていた磯釣り船釣りのWEBメディアサービスも並行しながら、ガツガツと仕事をやってましたね。1人って実はめちゃくちゃ心細くて不安でさみしいなぁと本当に痛感した時期でもありました。楽しかったけど、反面めちゃくちゃ寂しかったw
黒字倒産の危機
起業して4ヵ月位で、縁故採用で社員第一号が入社。社員採用が出来て嬉しくなってた反面、そこからキャッシュフローを甘く見ていたツケがやってきました。社員を採用する事による、先行支払が立て続けに発生したお陰で、3ヵ月分の資金繰り表を作成してみたら、あと1ヵ月で黒字倒産する笑えない内容でした。売上は立っているのに支払サイトのズレが色々と生じて手元に現金が残らない。あぁ、こういう事かと思い唖然とした僕は、金融機関へ初めての借入を申し込むことになります。
日本政策金融公庫へ創業融資を申し込む
顧問税理士から頂戴した雛形を基に、創業計画書、PL計画書、必要備品、領収証、創業動機、代表者のプロフィールなどを盛り込んだプレゼン資料を1ヵ月かけて作成し、自信満々で臨みました。
若い融資担当者と資料を基に面談を行い、普通に好感触で面談終了。1週間後には現地調査という事で自宅に担当者が来てくださいました。普通に部屋にはギターとか置いてましたw これも特に問題なく終了し、後日満額の融資を実行して頂きました。手元キャッシュが増えたことにより、その間に営業で積み重ねていた売上も回収ができるようになり、手元キャッシュがしっかりと問題なく回りだし少しずつ軌道に乗り出しましたね。自宅起業だったので固定費を最低限にしていたのが良かったです。
特に大きなトラブルもなく...割と順調に売上が増加
営業間におけるトラブルはちょこちょこあったりしましたが、経営に関する大きなトラブルもなく順調に軌道に乗り出しました。周りの方々に恵まれて本当にラッキーだったと思います。当時は独身だったので時間も自由にあったし、暇があれば釣りにも週末は出かけていましたねw そこから2年目に突入したタイミングで事務所を借りようと思い、本社移転しました。(信用を獲得するために)
南池袋から西池袋へ本社移転
貸事務所に移転するのはまだ早いなと思い、最低限の個室が借りられるレンタルオフィスへ2年目に移転しました。会議室もあるし、ゴミも定期的に清掃業者が出してくれるし、自宅ではない環境が新鮮でしたね。めっちゃ楽でした。駅も近いし。
そこから売上も順調に増えていき、エンジニア社員をコツコツと増やしていこうと思い、採用投資をしました。結果的に1年半位は西池袋のレンタルオフィスにいましたが社員5名になりました。未経験者を中心に採用し、完全人柄だけで選びほぼ即決採用w 今でも全員しっかりと活躍してくれています。本当に皆には感謝です。
3期目で貸事務所へ移転後、会社の未来を創れるナンバー2のジョインストーリー
内装の途中段階
2018年10月に目白へ移転。当時住んでいた南池袋の自宅が近かったので、創業期の想いを胸に出戻りました。次移転する際、オフィスは貸事務所で内装を綺麗にしようと思ってたので半年ほど費やして探した物件になります。内見した瞬間に、「手を加えれば絶対良いオフィスになりそうやな」という直感が的中しました。管理会社さんも実は過去にご縁があってその頃の実績を見てくれたのか、色々とサービスをして頂きました。本当にありがとうございました。
個人名義でインスタをやっているのですが、そこに事務所移転の投稿をしたらすぐに島田(開発部長)からコメントが届きました。
中学時代の同級生、一緒にやっていたバンドメンバーのドラム担当、そして親友
2010年の島田(僕らは当時24歳)
島田とは同郷(宮崎県宮崎市)で中学が一緒だった同級生です。僕は県立ではスポーツが全般的に強い工業高校に入学し、島田は県内トップクラスの進学校に行き高校は別々になりました。高校時代にもハードコアバンドを一緒に組んでましたけどね。県立でサッカーが割と強いのと高卒の就職率が高いというところで選んで入学しましたが3ヵ月でつまらなくなり、バンドを始めた飽き性です。
お遊びバンドの頃の写真
そして僕が音楽するために上京し、島田が就職したタイミングで僕が作詞作曲するオリジナルバンドも組みました。途中から一緒にプロ目指したいねぇと色々と語り合ったりもしてましたが、島田の結婚を機に、お互い別々の道を歩み始めた背景があります。(長くなるので割愛)
その後、共通の同級生を通じて年1~2回の頻度でしか会わなくなりました。島田がSIerで開発エンジニアをやっていることは知ってましたがそこまで細かい仕事の話はせず、の完全に友人としての関係性でした。
そこからだいぶ時が経ち。音楽の道をキッパリと辞めて起業した会社が4期目に突入しようとしてた頃に、島田のインスタ返信内容から、僕は本気で口説くために横浜へトコトコ電車で向かう事にしましたw
横浜で酒を飲み交わしながらとことん語り合い、ジョイン確定
なぜシスナビへ来てほしいのか、島田へ想いを本気で伝えないといけない。そのためには僕らの人生軸から逆算してトコトン話をしないといけないと考えてました。横浜へ出向く中、色々とiPhoneのメモ帳にも思考整理でメモをしてましたが、結局は自分らしく想いを伝えようと思いすべてメモをそっと削除しました。1軒目は魚が美味しそうなお店で近況報告をしながらも、一呼吸おいてすぐに僕は本題を話し始めました。
藤田「ところでインスタの返信はまじでビビったわw 俺が返信したように、うちの会社にまじで来てほしいというのは本気やかいね。じゃないといま横浜に来てないわw」
島田「つか俺も本気で考えたいと思ってる。」
僕の性格もある程度知ってるだろうし、島田の性格もある程度知っている。建設的な話から様々な共感を得られ僕はあえてクロージングは必要ないなと思い、ほぼジョインするだろうという覚悟で話をドンドン前に進めるために、次の2軒目へはしご酒をすることにしましたw
2軒目はカウンター席しかない、ちょっと古びた横丁的な所にある居酒屋さん。そこでじっくりと語り合う事にしました。黒霧島(宮崎の芋焼酎です)が進むにつれてお互い酔っ払い。酔いが良い感じで回り始める頃、隣合わせになった若い女性とダンディーなおじさまと何故か僕が話してしまい、島田がふと僕に言った何気ない一言。
島田「どらさん(僕のニックネーム)は、誰とでも気兼ねなく話せるのが羨ましいわ。俺はそこまでは無理やもんなぁー。」
藤田「いやいや!俺もめちゃシャイやけど、営業畑で長年やってきたからなんかいきなりスイッチが入るとよねー。素敵なご縁や一期一会もあるし。これは職業病やろかね?w ハハハ~w」みたいな会話をした記憶があります。(うろ覚え)
「僕は営業+島田は技術」という得意分野が分かれているのがやっぱり組織を作る上ではこれが王道で最強だなと思い、2019年3月から無事にジョイン頂く流れとなりました。
島田がジョインしてから、エンジニアの社員採用も少しずつ加速したり、客先常駐型(SES)でのプライム(元請)として体制参画も実現できたり、請負であるエンドユーザー直接の受託開発も進み始めました。(島田がいない時に先行受注は当確してましたが、受注は良いものの開発体制をどうしようという非常に不安定な状況でした)
まだまだ会社の基盤を作っている最中の会社ですが、少しずつ良い開発案件のチャンスを頂けています。1人ひとりが会社を作っていく主人公であるために、開発経験が少なくても構わないので、少しでもご興味や共感頂ける方に来てほしいと願っています。
お気軽にご連絡ください。よろしくお願いいたします!