いろんなことを経験するといろんな傾向が見える。
経験自体が学びであり、それを次に生かす。
そうすると、傾向推定の精度が上がりいずれ自分の中で体系化されていく。
私は技術者として、地盤という「見えないもの」を理解しようとしてきた。
また、自分自身という「見えないもの」を理解しようとしている。
理論を現実に実装することも、自分を理解して成長することも、本質は同じかもしれない。
過去を振り返ると、私は人生そのものをPDCAと捉えて生きてきたように思える。
また、得られた傾向や、自分が観測可能な世界の中で構築された体系、仕組み、ルールを言語化していくと、過去の人類が考えて考えて誰かが辿りついた理に近いものになっていると気づく。
高校一年で履修した倫理政経の倫理の授業。
カタカナばかりで多感な時期には理解しずらい内容であった。
しかし、30歳を過ぎ、人間関係や仕事、マネジメントに悩み、自分自身を分析し続けていると、あの時の記憶と知識が自身の経験と結びつき始めている。
現在、今までとは違う新しい、大きな壁にぶつかっている自覚がある。
非常に疲れて心が折れたりもしたが、今は冷静に前向きに捉えられている。
その壁を前に、いくつか大切だと感じたことがある。
私が何を思い、どのような行動をして、その結果をどう受け止めたか、を振り返ること。
正しさだけでは人は動かない、正しさを持って翻訳して伝え、伴走すること。
今の状況を成長の一面として受け入れ、向き合っていくこと。
私はこれからも成長し続けたい。
どんなことが起きてもポジティブに捉え、学びにつなげ、成長の糧にする必要がある。
自己理解は大事だ。
自分自身を理解できなければ、他人を理解することはできない。
自分自身を理解するために考えることは、他人を理解するために使えるロジックになりうる。
自分自身を理解しはじめれば、成長し始められる。
自分自身を理解できれば、あらゆる感情に左右されず冷静な自分を保てるだろう。
自分自身を理解できれば、必要な役割と立場に合わせて自分を演じることができるだろう。
自己理解を試みることが、あらゆる成長の初歩となる。
さぼる自分、逃げる自分、頑張る自分、考える自分。
すべての行動、感情が生じた原因、背景を常に考える。
あるべき姿を具体的に考える。
そのすり合わせを行う動機付けを考える。
すり合わせの具体的アプローチを考える。
効率的プロセスを考える。
考えなければ自己理解はできない。
考え、自己理解し、理想の自分を想像し、現実とするためにまた考え、その過程で自己理解を深め再定義し、理想の自分になる。
このPDCAを回し続ける自分でありたい。
この仕組みと思考が、過去の人類が辿った歩みそのものと気づいたとき、理想の自分に近づけている証拠かもしれない。
自己理解とは、自分を甘やかすことではない。
理想の自分と現実の自分の差を知り、その差を埋め続ける営みであろう。
自分なりに考えてきたことを振り返ると、ストア派は二千年以上前に感情との向き合い方について同じようなことを考えていたらしい。
他にもロジャーズ、アーレント、デューイらが、それぞれ異なる立場から、私が経験を通して考えてきたことと通じるテーマを論じていたようだ。
こうした自分の経験に基づく思考と哲学者との結びつきを検証することには、自分が考えてたどり着いた現時点の見解に名前がつくような、そんな面白さがある。
それは言語化とも少し違う。
自分の経験が一つの体系として整理されていくような、推理小説読了後に感じる、すべての伏線が繋がった瞬間の爽快感にも似ている。
だから私はこれからも考え、成長し続けるために、人生というPDCAを回し続けたい。