「安全そうな道」を選ぶより、自分で制御できる範囲を増やしたかった。大学院への進学、研究、AI、コード、そして起業。一見ばらばらに見える選択が、僕の中では一本につながっている。
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僕にとって、会社員として働くことと、自分で仕事をつくることは、95対5ではなかった。
50対50だった。
おそらく、多くの人にとっては逆に見えると思う。会社に入れば毎月給与が入り、組織があり、役割がある。自分で仕事をつくれば、仕事も収入も自分で生み出さなければならない。
それでも僕には、どちらも同じくらい不確実に見えた。だから僕が欲しかったのは、「失敗しない道」ではなく、自分で扱える範囲を少しずつ増やしていくことだった。
大学院への切符を、手放したくなかった
大学院への進学を決めたあと、生活の前提が大きく揺らいだ時期があった。学費を払えなければ、せっかく手にした進学の切符を手放すことになる。
それだけは嫌だった。
だから働いた。半年間でタイミーを約950時間利用し、ミニストップの深夜帯にも、ピーク時には週5近く入った。
今振り返ると、よく身体が持ったと思う。
ただ、当時の僕は自分を「根性がある人間」だとは思っていなかった。行きたい場所が決まっていて、そこへ行くために必要なことをやった。それだけだった。
後になって、大人たちから「バイタリティがある」「よくそこまでやり切った」と言われるようになった。そこで初めて、自分が当たり前だと思っていた行動の強度は、どうやら当たり前ではないらしいと知った。
たくさん働ける人から、たくさん生み出せる人へ
でも、同じやり方をずっと続けたいわけではない。950時間働いたことを、僕は再現したい成功体験だとは思っていない。身体は資本だ。使い潰すための資本ではなく、次の選択肢をつくるための資本だと思っている。
だから今は、同じエネルギーの使い道を変えようとしている。研究する。一次資料を読む。文章を書く。AIを使う。コードを書く。プロダクトをつくる。現場で試す。人に伝える。
「大量に働ける人」から、「大量に生み出せる人」へ。
僕がフルスタックで動くようになったのも、最初からエンジニアになりたかったからではない。研究も、事業も、プロトタイプも、自分で前に進めたかった。
誰かが空くのを待つより、自分で一つずつ覚えた方が早かった。その積み重ねで、調査、文章、AI、Web開発、プロダクト設計まで、少しずつ自分で扱える範囲が増えていった。
肩書きを増やしたいわけではない
今の僕を肩書きだけで説明しようとすると、少し面倒になる。大学院で研究をしている。コードも書く。プロダクトをつくる。ピッチにも出る。会社もつくった。文章も書く。
けれど、自分の中ではそれほど散らかっていない。
調べる。考える。書く。作る。試す。
やっていることは、だいたいこの循環のどこかにある。研究で見つけた問いを、プロダクトにしてみることもある。現場で起きた違和感を、もう一度研究の問いに戻すこともある。
最近は、研究途中の仮説や一次資料の整理も「公開研究メモ」として外に出し始めた。完成した答えだけではなく、何がまだ分からないのか、どんな条件なら仮説を捨てるのかまで残していきたいと思っている。
僕が欲しいのは肩書きの数ではない。自分で問いを持ち、自分で検証し、必要なら自分で形にできること。その自由度の方が大事だ。
成功を、「自分で選べる範囲」と考えるようになった
以前の僕は、成功という言葉を、もっと分かりやすいものとして考えていた。評価されること。肩書きを得ること。誰にも簡単には否定されないだけの実績を積むこと。
もちろん、今でも結果は欲しい。研究なら良い研究をしたいし、プロダクトなら使われるものをつくりたい。コンテストに出るなら勝ちたい。
ただ、成功の定義は少し変わった。どこで暮らすか。誰と働くか。何を研究するか。どんな仕事を引き受け、何を断るか。何をつくるか。
そうした選択を、自分で扱える範囲を増やしていくこと。
僕にとっての成功は、「自由」より少し具体的な、「自分で選べる範囲」になった。
だから、会社員と起業を95対5で考えられなかったのだと思う。どちらが社会一般で安全かではなく、僕自身がどの環境なら自分の人生を扱いやすいか。僕にとっては、そちらの方が重要だった。
まだ、完成していない
僕はまだ、自分が最終的に何者になるのかを知らない。たぶん、一つに決める必要もないと思っている。
研究をする。コードを書く。事業をつくる。文章を書く。人と出会う。その間を行ったり来たりしながら、自分なりの社会との接続方法をつくっていく。
大学院への切符を手放したくなくて、時間を売ることで前へ進んだ時期があった。今度は、自分の知識や技術、研究や制作物そのものが、次の選択肢を生むようにしたい。
僕にとって会社員と起業が50対50だったのは、不安定な人生を選びたかったからではない。
自分の人生を、自分で扱える範囲を増やしたかったからだ。
そして今、そのために身につけてきたものが、少しずつ研究になり、プロダクトになり、仕事になり始めている。
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待っている時間が惜しくて、コードを書くようになった。
最初からエンジニアを目指していたわけではない。研究も事業も、自分で前へ進めたかった。その結果、僕はコードを書くようになった。