人として、一番成長できた時間
オーストラリアに来て2年が経った頃、一本の連絡が入った。
「また一緒に働かないか」
1年目に働いたガトンのファームのボスからだった。言葉も文化も違う国で、自分の仕事が認められた瞬間だった。シンプルに嬉しかった。
ガトンは、ブリスベンから車で1時間ほど内陸に入ったど田舎だ。最寄りのまともな街まで片道30km。コンビニもない。信号もほとんどない。日本の「田舎」とは次元が違う。
そこでの生活は、着いた初日から洗礼の連続だった。蛇口をひねっても、きれいな水は出ない。基本は貯水タンク、それが尽きれば隣の池から引っ張ってくる。パイプを繋いで、穴を掘って、自分で水の流れを作った。Wi-Fiも繋がらなかった。6年前の古いルーターの製品名を調べ、英語の説明書を読み込んで初期設定をやり直した。中継機を買い足して、ようやく全室で繋がるようになった。停電も日常茶飯事だった。そのたびにファームの発電機を動かす。最初は使い方すらわからない。ボスに聞いて、Googleで調べて、実際に触って覚えた。
通信、電力、水。気づけば僕は、生活の基盤を一から作り直していた。
仕事は朝6時半に始まる。ハウス栽培だから、雨の日も関係ない。午前中はきゅうり、トマト、ニンニクの収穫。昼からはパッキング、草むしり。スーパーバイザーとしては畑を耕し、配送トラックが来ればフォークリフトで積み込む。施設のメンテナンスも任された。普通のワーカーでは絶対に経験できない仕事だ。
スーパーバイザーは3人いた。台湾人の6年目、ソロモン出身の3年目、そして1年目の僕。正直、経験では圧倒的に劣っていた。でもボスは僕に、新しく入ってきたワーカーのお世話役を任せてくれた。
ボスはこう言っていた。「日本人はコミュニケーションや英語では劣るかもしれないけど、仕事ぶりと性格が好きだから雇っている」と。その言葉が、素直に嬉しかった。
チームには色んな国の人間がいた。
インド人留学生のジェイは22歳で、家族を持ちながら大学に通い、ファームでも働くというパワフルな男だった。ソロモン出身のフレドリックは無口だけど頭が切れて、指示が的確だった。バナナファームで働いていたという共通点で意気投合した。
英語が下手だった僕は、身振り手振りで伝えた。うまく伝わった時は、なぜかお互い笑っていた。
仕事が早く終わればBBQをした。国籍も言葉も関係なく、肉を焼いて笑っていた。とてもアットホームなファームだった。
できないことができるようになって、褒められた。
その積み重ねの中で気づいたことがある。通信が途切れれば調べて繋ぐ。電力が落ちれば原因を探して復旧する。水が止まれば別の経路を作る。「止まったら動かす、足りなければ作る」——気づけばそれが当たり前になっていた。
これってITインフラと同じじゃないか、と思ったのはもう少し後の話だけど。
ファームが終わると、16時から食肉加工工場に向かった。90度近い熱湯を大きなホースで扱いながら、深夜まで工場を洗い続ける日々。しんどくなかったといえば嘘になる。
でも目標があった。この大陸を、自分の車で一周する。そのためなら、深夜まで働けた。
次の準備を始めた。